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三十四
運よく彼女は刺客よりも先に大黒と接触することができた。 民家も混じる路地の、随分と入りくんだ、細く街灯もあまり役に立たない様な袋小路に立つ、いたってシンプルな佇まいの小料理屋で仕事仲間と何やらジャーナリズムとはと、熱弁を振るいながら、それでも楽しそうに、宵の口にひたる男を見た。 体つきが大層、丈夫そうに見えた。 「こだわりを持つ時の目付きは昔のままね。酔っていても十分面影があるわ」 カウンターに座る彼のすぐ後ろの、小さなテーブルがいくつも並ぶその一つに、橙がいつの間にやら座りメニューを眺めていた。 グラスを煽る男はその声の方へと首を回し女を見た。 それは彼にとって再会を意味した。まだ幼少期の彼と神社で戯れた懐かしい記憶。当然遠い過去のことなどを思い出せるほどの冷静さはない。 返って、それをつむぐにはまだまだ酔いが浅かったのかもしれない。 「お久しぶりですね、ひろしさん」 さらに怪訝な顔を作った。 「んん??なんだあんた。いきなり、それになんで俺の本当の、昔の名前を知っている?」 酒が回っているようで、目の下が赤くなり、虚ろなようだ。 ひろしは大という漢字を当てられたものだが、成人した際に母に断って醍(だい)という名前に変えたのであった。 ニックネームであるダイがそのまま醍になり今日まで続いているゆえ、本当の名前を知るものはそうそういないはずであったのだ。 「ひっく、同級生ではないな、ひっく……そんなオカマ面はしらんし。故郷あがりの田舎者か……?」 「おいおい、醍、失礼だぜ」 仲間たちも言葉がずぎる彼を諌めた。 「ふふふ、まだ飲み足りないようね。言葉遣いの悪さも、もう少し酌めば直りそうだし。そうそう、オカマというのもあなたが最初に指摘したわ」 橙は笑顔を作って見せた。 「何ィィ……」 憤りながらその顔を、醍はよくよく眺めてみた。橙はそのまま彼の視線を受け入れている。 「ケッ」 何もわからないとばかりに、また余裕である橙の素振りが面白くないらしく、カウンターに顔を戻しグラスを店主に差し出した。 「おい、マスターっ、もう一杯だ」 「へいへい、お姉さんすみませんね、いつものことでさぁ」 頭をかきながら橙に変わりに誤る店主をみて、醍はグラスを突き出し更に催促した。 橙はまったく気にせず、私にも彼と同じものをと注文した。 そして、ただ彼の後ろに座ったまま彼と同じように酒を飲み続けたのである。 醍が酒を煽る。 橙も続いてグラスを傾ける。 また、彼が酒を引っかける。 彼女も遅れて口に注いだ。 酔っていた仲間は口を開いたまま交互に彼らの様子を見るばかりであった。 何杯飲んだのであろうか、相当な酒豪と仲間内でも言われていた醍はとうとう、カウンターのテーブルに顔をうずめてしまった。 「あひゃ~。潰れたぜぇ」 「ほんまだ、あの醍がねぇ」 仲間はあきれた様子で彼の横顔をみながら口々にそう言い合っていた。 店主は仕方がないと、奥の座敷に上がり、さっきまで宴会をしていた客間を片付け始めた。 すると、橙が何も言わずに手伝い始めたのである。 「ちょっと、ちょっと、お客さん、いいですよ」 「いいえ、いいえ、何もしていないのも手持ち無沙汰ですから」 「そんなぁ、いけねぇな、こんな別嬪さんに手伝わせちゃぁ……ところで、お姉さん、こいつの知り合いか?」 「ふふふ、まぁそんなところよ」 「へぇ、詮索はいけねぇけど、醍さんは本当はいいやつでさぁ、仕事も出来るし、滅多に人に食って掛かるようなことはなし、果て、今日の、いやいや、さっきまでの醍さんとは違うなぁと思ってさ、何かおいらの知ねぇ関係なのかなぁってね」 「あら、男女のなんてことはないわよ。そんな小さなもんじゃないから」 橙はさっき見せた笑顔をこの店主の前にも照らしたのである。 「そうかい、しかし、あんたも強いねぇ、相当飲んだはずだけど、何ともないのかい?」 「ぜんぜん。こんなの飲んだうちにはいらないもの」 「てぇした、おなごだ」 店主は大分感心した顔つきで橙から盆に載せたグラスだの瓶だの受け取って部屋を出た。 続いて仲間が店主に指示されて醍をこの部屋へと抱えてきたのである。 座布団を枕代わりに、醍はその大きな体を横に寝かされたのである。 仲間もそのそばで、疲れたとばかりに横になってしまった。 すぐに、醍同様、高いびき。 橙は独り、飲みかけのグラスを近づけ、その透き通る液体から覗く醍の姿を見ていた。 『大黒、大黒、聞こえますか?私の声が聞こえますか?本当、懐かしい……」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.05.07 15:15:43
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