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2020/05/23(土)18:25

劇団一跡二跳「夏の夜の獏」

演劇(古城十忍)(13)

【社団法人日本劇団協議会「次世代を担う演劇人育成公演」】   劇団一跡二跳   『夏の夜の貘』  原作:大島弓子  脚本・演出:古城十忍  池袋シアターグリーン ビッグツリー  開演 14:00 <配役> 羽山走次   溝渕康裕 * 外海のりこ  村田麗香 * 父      奥村洋治 母      山下夕佳 祖父     重藤良紹 兄・走太郎  高久慶太郎 青井小箱   関谷美香子 ツメタ郎   日暮一成 * 男先生    山下 翼 女先生    増田 和 * 五味さん   杉野博臣 平野さん   瀬山英里子 *「次世代を担う演劇人育成公演」育成対象者 <あらすじ>  主人公の「羽山走次」は小学校3年生。実年齢は8歳ですが、ある日、精神年齢だけが異常に発達して20歳になってしまいます。すると、たちまち世界は一変。走次から見ると、周りの大人たちがみんな非常に幼いのです。お父さんもお母さんも、担任の先生さえも、まるで幼い子供。19歳の兄もまだまだ小学生クラス、おじいちゃんにいたってはまさに赤ん坊…….。どうしてこんなことになってしまったのか……?その原因を探るべく思い悩んでいるうちに、走次は同じ3年生の「外海のりこ」と出会います。実はのりこもまた、走次と同じように精神年齢が大人になっていたのです。そして彼女はシェークスピアの「真夏の夜の夢」を示し、「この恋人たちのように、私たちは恋の魔法をかけられたのだ」と言うのです。 話を聞いた走次は喜び勇んで家に帰っていきます。というのも家庭の中でただ一人、ホームヘルパーとしてやってくる「青井小箱さん」の精神年齢だけは、走次から見ても実年齢と同じ20歳だったからです。こうして走次は「真夏の夜の夢」の登場人物さながら、魔法を受け入れて、家庭という森をさまよい始めていきます。しかし魔法は、次第に恋の魔法から悪夢へと変わっていくのでした……。 ※劇団一跡二跳HPより転載  大島弓子の原作に、古城十忍がシェイクスピアの『真夏の夜の夢』を重ねて描いた、子どもの目から見た家族の物語 です。  突然、精神年齢が20歳になってしまった走次君は、次々と起こる家庭内の問題も「僕はもう大人だから」と冷静に捉えます。大人だから耐えられる。大人だから平気。初めはそのアンバランスさだけで笑えましたが、物語が進むにつれ、可笑しさよりも、見た目と精神年齢の違いから生じる悲劇が次々と浮き彫りになり、笑えなくなりました。  観ながらずっと、これは残酷なファンタジーなのか?それとも…辛い現実から逃れるための逃避なのか?と、考え続けました。  そして私なりに出した結論は、後者。 人間、耐えられないほど辛い出来事に直面すると、「これは夢なんだ!」と思い込もうとしたり、極端な場合は本当に記憶すら封印し、「初めから無かったこと」にします。 走次君とのりこちゃんは、子どもの心が抱え込むには辛すぎる現実から身を守るために、精神年齢だけが無理矢理「大人」になってしまったのだと思います。これの逆が、おじいちゃんの痴呆です。ボケることにより「老い」の現実を忘れることができるのです。 でも、やはり8歳は8歳。赤ちゃん扱いされるおじいちゃんの、長い年月を生きた人間としての尊厳も簡単に消せるはずはありません。  家族が、まだ幸せだった頃の記憶に向かって叫ぶ走次くんの言葉。 「行かないで!まだ、もっと鮮やかに、ここにいて。記憶するから!鮮やかに記憶するから、もっとここにいて」 …切ないです。  子どもを抱え今現在離婚をお考えの方や、すでに離婚された方、ご自身が子どもの頃に両親の離婚を経験された方には、相当キツい内容だな…と思いました。 また、離婚まで行かなくとも日々夫と会話が少ないとか、家族と会話はあるけれど心が通っていない気がするとか、家族関係で何らかの悩みを感じる人の胸にも突き刺さるものがあるはずです。 私自身?…それは、秘密です。(苦笑)    あと、「広い一戸建てを手に入れれば、家族皆が幸せになれる」とは限らない「持ち家神話」の脆さ、小さなすれ違いからほころびる夫婦の結びつきの危うさ、そして老親介護の難しさについても警鐘を鳴らしてくれました。 自分を含め何人もの人が、我が家、我が夫婦にもあり得るかもしれない、と感じたのではないでしょうか。 まぁ一番の悲劇は、走次君以外の「大人」達が皆自分勝手で、自分が一番かわいいと思っているからかもしれません。新居の一番いい場所に何を置くか?いい大人たちがバトルを繰り広げる場面は、その象徴でしたね。 そんな自分大好き人間が急増中の現代ですから、次回で劇団は解散してもこの作品は再演して欲しいと思いました。

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