”ボスホラスへは行ったことがない。
ボスホラスのことは きいてくれるな。
でも、ぼくは海を見たんだ、君の目に。
碧の火の燃える海なのだ。”
セルゲイ・エセーニン
「エセーニン詩集」 内村 剛介(翻訳)より・・
街は形を変貌させてゆくけど、海はほとんど変わらない。
海水成分が変わったり、水面が高くなったりすることはあるかもしれないけど、
何千年もの人類の歴史の中で、
多分この海はずっと同じように、それぞれの無数の人生の背景となったのだと思う。
この海は潮の満ち引きがなく、荒れることはほとんどない。
青く、蒼く、灰色にと、トーンを変えることはあっても、
いつも穏やかで、静かで、シルクの絨毯のように光輝いている。
しかし、ベールに包まれたその深い水面下では、潮流が最大6ノットもの速度で、
下層部では二つの海から対流が激しくぶつかり合っている。
そんな静と動の二面性を持つ海だが、決してそれを表面に出さない。
モナリザのように黙って微笑んでいる。
世界にはもっと美しい景色があるかもしれないけど、
私にとってはこの海こそが一番美しい心のふるさと。
毎日、飽きるほど目にしていた風景なのに、
一度たりとも飽きることもなく、
いつ、どんな時でも、この海を眺めると、一瞬心が日常から離れた。
よく人が死ぬ前に走馬灯のように色々なことを思い出すというけど、
まさにそういう感じで、ある瞬間、我を忘れてしまう。
ギリシャ神話の時代から、ビザンチン、オスマントルコ時代、
そしてあの60-70年代のB級トルコ映画の時代や、現在トルコまで・・
そんな数々の歴史の情景が、高速光通信レベルのコマ送りで、脳裏をかすめてゆく。
これは他にたとえようのない感動的な瞬間。
それはたとえば、友達と何かおしゃべりしながら歩いていて、ふと海を目にした時、
対岸をわたるボートの中で、読んでいる本から、ふと顔をあげた時、
仕事中の移動で交通渋滞にイライラしながら、ふと窓の外の海が眼に映った時、
いつ、何をしていても、どんな状態であっても、
改めて、心の一番深いところで、感動することができた。
夜の散歩、バルコニーでの談話、ピリピリした会議中、
雨の日も、晴れの日も、雪の日も、
いつもこの海に無意識的に一瞬心を奪われた。
そして、とても雄大な、静かで落ち着いた気持ちになることができた。
なんだろう、この海は。
すごいエネルギーを持つ海だ。
ボスポラス