∞ My Life As A Nomad ∞
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くあどろ
通訳などしながら鍼灸師を目指す日々でございます・・・・
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北方四島にて日本語を教える・・その意義は? 島民に日本への興味・親しみを持ってもらう、 お互いの言語・文化を知ることにより、 領土問題への住民の意識をより深めさせ、 しいてはビザ無などの担い手となる層を構築させる・・ などという目的が根本にあります。 で、毎年夏に一定期間(1カ月~1カ月半)、実施されております。 講座にどういう人達がやってくるかというと、 まずは、学校が夏休みに入った子供達。 彼らにとっては日本語教室に来るのは、 夏の間のレクレーション的な意味合いを持っているようです。 文字も表現も、頭の柔軟な彼らは理屈抜きにスイスイ覚えてゆきます。 それから、大人達。 興味本位でやってきて、ゼロから始める人達やら、 長年ビザ無交流に関与し、日本語を勉強し続けている人達やら、 年齢も職業もレベルも、本当に多種多様。 ただただ誰もが本当に熱心なのには驚かされます。 どんなに嵐の日でも、きちんと休まずやってくるのですから・・。
まあ、自主的に日本語を習いにやってくる人だけあって、 非常に親日的で、言葉も前向きに学んでくれます。 真面目でスレていない・・というのが皆さん共通して言えることでしょう。 一番印象に残った人。 こちらのおばあちゃん、タマーラさん。 恐らく私の今までの最年長の生徒さんです。今年74歳。 ビザ無し交流では沢山の訪問団をホームビジットにて受け入れてくれていて、 島では日本との交流に一番積極的なおばあさんです。 日本語も長年やっていて(の割には話せないんだけど)プライドが高く、 ちょっと間違いを正したりすると、突然スネてご機嫌斜めになったりする。 しかも年のせいか、なかなか新しいことが頭に入ってゆかない・・。 ちと、やっかいな人でしたが、なんだかそんな姿が可愛いくもあり、憎めないキャラでした。 彼女の半生というのは、一体どんなに厳しく激しいものであったのか・・。 そういうものが頑固で一歩も譲らない壁から、なぜか伝わってくる人なのです。 そりゃそうですよね、第2次大戦も、ソビエトの時代も、そして新生ロシアの時代も 全部その目で見てきて時代を生き抜いてきたんだから・・。 しかも、極東で。この国後にて。並大抵の苦労はしていないはずです。 長生きしてね・・!と願わずにはいられません。 そうそう余談ですが彼女は未亡人なんだけど、なんと30代イケメンの恋人がいるのです! いやいや、すごいっス見習いたいものですネ。 とにもかくにも敬意を表しますm(_ _)m というわけで、色々な個性的な生徒さん達に囲まれて、 とても楽しい貴重な経験をさせていただいたのですが・・・ まあ、しかし、ここで日本語を教えるにあたり、 色々と難しい制限も出てくるのです。 というのも、ここはそもそもどこか?ということを考えると、 日本語を教える際に当たり前のように使う 「日本から来ました。」とか「日本へ帰ります。」 とかいう表現の導入すら難しいのですよ。 解釈として、ここも日本だろということになれば、 そういう言い方はタブーとなりますので・・・・いやはや、気を使います。 島の帰属的な問題が言葉の端にもついて回るのです。 私は無意識的にそういう禁忌表現を多く使ってしまったと反省してます。 というのもですね、暫く島に住んでいますと 周りは皆ロシア人だし、ロシア語しか通じないし、 店の品物も食べ物もロシアのものばかりだし、ロシアの規則に従ってるし、 自分がロシアにいるのだという錯覚はどうしてもぬぐえないわけですね、正直言って。 だって、もう実際にロシアの実効支配下になってしまっているんですから。 それはもうまぎれもない事実なのです。 ただ、そういうひとつひとつの言葉のあやにこだわるまでもなく、 実際、どの生徒さんからも、日本に対しては敬いの姿勢が感じられました。 皆、それなりに歴史事情を知っていますし、クリティカルな状況だって分かっているのです。 ただ彼らは本当に純粋な気持ちで友好を望んでいます。 墓参の季節になると、日本人のお墓の前の草むしりを皆でやってくれたり、 ビザ無訪問団が来島する際には車を出してくれたり、 家に呼んでご馳走をふるまってくれたり、 パーティや交流会を企画してくれたり、という人達なのです。 もしかすると、私達は立場上親日派に囲まれていただけなのかもしれず、 島にはタカ派も沢山いるはずで、 日本人なんか帰ってしまえと石を投げられる可能性もあったかもしれません。 しかし幸いにも、いつどこにいても、そういう目で見られることもありませんでした。 それほど、国後島は誰もが親日的で、 通りすがりの誰もが「コンニチハ!」と笑顔であいさつしてくれました。 その基盤には、過去10数年来の人道支援事業や交流事業があり、 そして日本語学習の基盤を築き上げた各講師の方々がいるのです。 自分もその流れにわずかながらも貢献できたなら、本当に光栄に思います。 この夏、日本語講座を通じて、皆の日本への友好の思いが深まったのならば・・・。
仕事ではない、生き方である May 12, 2009 コメント(2)
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