ビールと蕎麦が美味しい季節になりましたね~★
トルコでまさかのデモが始まってから、早2週間。
政府の息のかかったメディアは何も放送しないけれど、Facebookは大忙し。
色々な友達のリアルタイムのデモ状況がリアルタイムでどんどん更新されてました。
アーチストの友達は、またもや早速こんな曲 ↓ を作っていた・・・(-_-;)相変わらずです。。
「Chapuller」 Dinar Bandosu
https://www.facebook.com/photo.php?v=519101298143692
まあ、これだけの騒動になるとは、寝耳に水だったわけですが。
別に突然のことではなく、起こるべくして起こった国民のフラストレーションの爆発です。
貧困・不公平とは別の理由の。思想信仰の自由が迫害されつつあるという危機感から。
今の政権のイスラミックな価値観の押しつけが、数々の政策にて表面化されてきたのです。
今に始まったことじゃないとはいえ・・それでも誰もの堪忍袋の緒が切れる寸前でした。
2002年に、AKPが政権を握ってから10年近く。
もちろん、様々なマイナス面に目をつぶっても、彼らの政策が全て間違っていたとは言えないし、
良い業績も沢山残していることは認めましょう。
ただ、彼らの価値観は市場経済主義とイスラムの教えに偏り過ぎてしまいました。
確かに、物質は豊かになり、人々は小奇麗になり、町はクリーンになりました。
安定した政治、経済的ポテンシャルから、多くの外資がマーケットに注目するようになりました。
しかし、その発展は、私にとっては失望と落胆の過程でした。
毎回足を運ぶ度、私の愛したトルコはどんどん消えてなくなってゆく。
市場経済主義やコマーシャリズムに汚染されたクリーンで小ざっぱりしたトルコは、別の国のようでした。
少なくとも私の愛した、純粋と混沌、愛と憎悪、エネルギーと退廃、民族と宗教とイデオロギーのカオスでありながらも、一杯のウサギの血の色をしたチャイを交わせばすべてが融合される・・・。そんな自由で何千年もの歴史の息吹を感じられるトルコは、どんどん古き良き時代に葬られてゆきました。
この失望たるや・・瞳のキラキラした多才で優しいあらゆる可能性を秘めた少年が、大人になってドブネズミ色のスーツに身を固め、お金のあるものに頭を下げ嘘をつきながら、あくせくと市場経済の奴隷になってゆく現実を見てしまった時に感じる、何とも言えない哀しみと似ています。
もちろん、私ですらそうなのだから、トルコの国民達が感じる喪失感と怒りは相当なものでしょう。
そんな中、人々の怒りに火を注ぐように、あの首相は少々でしゃばり過ぎました。
「これは俺様の国。国土をどう使うかは俺様が決める。倫理も道徳も俺様が決める。」
そんな日本のどこかの市長みたいな、傲慢で鼻もちならない態度で国民を挑発していたのです。
最近はトルコ航空の女性のスチュワーデスの制服を変え(ひざ下スカートに胸元をしっかり隠したもの)、夜間アルコール販売禁止令などの法案を可決したりと、ずいぶんやりたい放題でした。
忘れてはなりません。AKPの支持率が50%なのも、国民の半分が支持しているってわけじゃないのです。
政治への夢も希望も諦めたボイコット票の30%は、自由に慣れ親しみ、文化・文明が何であるかを知っているリベラリストなのです。そんな多くの国民が、教養も文化のかけらもない、ただ金とイスラムだけを崇拝し、戒律・規律をうるさく押し付ける政府の暴挙に耐えられるはずがありません。
今回のデモは公園の樹を切るとか切らないとかいう下らないことがきっかけですが、
全国的に拡大しました。民族や宗教、世代を越えた「打倒政権」の大同小異運動です。
ただ、残念ながら、これは一時的なもので何かを変える力は持たないだろうというのが私の見解です。
なぜなら、どこでも共通するように、リベラリストの弱点は「組織力」がないことなのです。
集まっている群衆の中には、ただお祭り好きなもの、暴力好きなもの、略奪や喧嘩目当てでやってくるものもいます。それらのどうしようもない族をコントロールすることさえできません。
もはやデモの群衆が、お互いにお互いを嫌悪しはじめています。
そんな中でいくら「打倒政権」を叫んだところで・・何が変わるでしょうか。
これは日本の反原発運動にも言えます。
去年一年色々参加し、実際に活動にも加わって思ったことは、「このやり方じゃだめだ」でした。
何か別の方法を見つけなければ、いくら人が集まって、いくら叫んだところで、何も変わらない。
どうやって組織化してゆくか。できるのか。どのようなツールを使えばいいのか。
もしかすると今後のトルコでの動向に、色々なヒントが出てくるかもしれません。
私達日本も、人ごとではない事態ですよ・・。まじめに。
最後にデモの喧騒とは隔離された空間なう、紫陽花の美しき・・・★