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全8件 (8件中 1-8件目)

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北方領土滞在記・・・国後島

Oct 12, 2009
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緑ハート国後島シリーズ・・最終回緑ハート

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さて、今まで、国後島について長々と書いてきました。
長いようで短い滞在中を経て、国後島は私にとって非常に近い島になりました。
そして、私の中にひとつの課題が残りました。

一国民として「四島」にどう向き合ってゆくか。

今まで、いみじくも愛国心や正義感のみが先立った、
返還か否か、という部分だけにこだわっていたのですが、
現地での無垢な自然、人々、特に未来を担う子供達と触れ合い、
違う観点で、四島の問題を考え始めています。

そこに住む人々、そこの自然をどうやって守ってゆけるのだろう。

沖縄本島より大きな島であるにもかかわらず、
島には、大きな船が停泊できる港湾がありません。
そのため、開発に必要な建設機材や重機が投入できません。
もちろん、そのため必要なインフラ開発が遅れています。
まともな廃棄物処理所もありません。島はどんどん汚染される一方です。
満足な医療設備もなく、また高等教育機関もありません。
サハリン行きのプロペラ機は天候次第で1週間も遅れることもあり、
そのまま足止めを食うのも、皆もう慣れっこです。
よくまあ、戦後60年間、こんな生活に耐えてきたなぁ・・・と思います。

2006年、オイルマネーにより経済状況が好転したロシアは、
巨額な予算にて千島クリル開発計画を発表しました。
そして、こんな看板も島でちらほら目にします。

<サハリンとクリル諸島はロシアの国土だ!>
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なんとも元気のよい、田舎じみたスローガンじゃないですか。
ある島の人は苦笑いして言いました。
「まあ、どこにだって、バカはいるってことですよ。」
気にするまでもない、とのことかもしれませんが、
向こうにだって、右の、しかも過激派がいることは明確です。

ロシア側による開発が進むと、北方領土の返還がますます難しくなるのではないか・・。
という意見があり、それは本当だと思います。
ただし、だからといって島民の生活が不便で苦しいままで良いのかというと、
そんな人の不幸を望むようなこと、人間として、隣人として考えるのもどうかと思います。
最近ロシア側が、「もう日本からの支援の必要はない」なんて言ってきて話題になりました。
それを受け、物資の提供や人道援助も止めてしまえという声もあります。
確かに、なぜ私達がロシア側にお伺いを立てながら援助するのか?
論理的にはまったく理不尽な話です。
しかし、そのわずかながらの物資や医療援助が、
今まで、どれだけの島民の助けになってきたことか?
あのムネオ騒動で注目を浴びたディーゼル発電所や友好の家も、
島民にとっては、見捨てられた生活のなかに灯された希望の光だったのです。
(それに関わる費用や、発注受注にかかわる問題はまた別の話ですが・・)
現地で、それを確認したものから言わせてもらえば、
政策としていくら無駄だと批判されようとも、
日本がやってきた人道支援は絶対に間違いではなかったと思います。
領土問題の施策というよりは、ひとつの国際協力として・・。
特に、怪我人や病人の受け入れにおいては、
実際、子供も含め、何人もの命が救われているのです。

「バカバカしい、ロシアが自国民を助けるべきだ。占領されているのに、なぜ我々が!?」
ごもっとも。それが普通でしょう。でもそんな常識も通用しない国を相手にしているのです。
島民が悪いわけじゃないんです。
彼らだって、ある意味被害者なのです。
何も知らずに、何も情報を与えられずに、ただやってきて、そこで生まれた人々。
あそこに住むより他に選択肢がない人だって沢山いるのです。
そしていくら政治的に問題のある地であっても、いくら不便で貧しくても、
彼らにとっては生まれ育った地。愛すべき故郷なのです。
彼らも、60年前あの地を追われた日本人と同じ気持ちを持っているのです。

<好きな言葉に「国後」と書いた生徒>
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<故郷、「国後」の入れ墨を入れている人>
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「私達は生まれ育った国後を愛しています。」
こういう島民の声を聞くと、日本の強硬派は忌々しく思うのでしょうか?
島を追われた人々の気持ちを考えてもみろ?!と怒り心頭かもしれません。
しかし、その怒りの矛先は、決して島民へ向けてはならないと思います。

モスクワの官僚達は、自分達は温かい部屋でウオッカでも飲みながら、
彼らを将棋の駒のように並べているだけです。
島民は駒でいえば歩兵です。
最低限の投資もせず、生かさず殺さず、何かあった時に楯にするだけ。
実際、千島クリル開発計画だって、先の経済危機に伴い
予算が劇的に削減されているそうです。
まずはここから削るあたりが、やはり・・という感じがします。

領土問題自体が、そういう認識なのかもしれません。
彼らにとってはやっかいな問題なんかじゃなく、
逆に日本との外交上、都合の良い切り札だと思っているのかもしれません。
絶対渡すつもりはないけど、
日本の力が必要な時だけ、妥協する振りをしてカードをちらつかせ、
日本をうまく操ろうとしているのかもしれません。
日本がいくら必死で純粋に問題に立ち向かおうとしていても、
逆に国内ですら意見もまとまっておらず、
国としての方向性を打ち出せていないということを見透かされ、
これからも、都合の良いように翻弄され続けるのかもしれません。


<国後島から対岸に見える知床半島>
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国際政治上、安易な妥協なんて絶対あってはならないけれど、
ただ、やり方は変える必要があると、ずぶの素人ながら、感じました。
解決の糸口が見えないまま、確実に世代は変わってゆきます。
「返せ!」という憎しみ溢れたスローガンじゃ、
今の時代の国民を扇動できないことは明らかです。

こうすれば良い、ああすれば良いということは、言いません。
この問題については、長らく研究している人達、取り組んでいる人達がいるし、
色々な主張や理論にも根拠があるはずです。
彼らがなかなか思うように動けないのかということは、それなりに理由があり、
それは、我々のような素人には、簡単に分かるものでもないのでしょう。

だからまずは、もっと勉強しなればなりません。
そしてもっと多元的に考えなければなりません。

今回の経験は本当に勉強になりました。が、勉強は続けるつもりです。
これからも北方領土の問題について意識しながら、関与してゆけることと思います。
そして、もっと多くの一般の国民にも、四島に行く機会が開ければよいと思います。
百聞は一見にしかず・・・。
じゃないと、多くの人にとって、あそこは遠い島のまま終わってしまうことでしょう。







最終更新日  Oct 13, 2009 08:06:01 PM
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Oct 7, 2009


国後島滞在中、できるだけ昔住んでいた日本人の生活の痕跡を見たいと望んだ。
しかし戦後60年たった今、残るものはほとんど無に等しかった。
日本人墓地はかろうじて何ヵ所か残されている。
そしてそこには島に住んでいたご先祖様が眠っている。
年に何度か元島民やその子孫がビザ無訪問の一環として墓参にやってくるが、
それ以外はきっと誰も訪れることのない野原と化している。


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そして、ここにはお寺があったと言われているそうだ。
コンクリートの土台がかろうじて残っているが、
何があったのかは分からない。鐘台だろうか?
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戦前はオホーツク海に面する泊という町が国後最大の漁村だったというが、
現在この辺りはほぼ誰も住んでいない。
かろうじて漁師の居住地が散在するだけだ。
沿岸では打ち捨てられた船が桟橋となっていた。

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ある週末、羅臼山の中腹の白い煙が立つ噴火口に行ってみないかと言われた。
なんでも戦前日本人の硫黄の採掘所だったところらしい。
もちろん、見てみたい。ただし、かなしハードなトレッキングになるとのこと。

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ハードというのは距離ではなく、そこに至るまでは獣道すらないということだった。
熊笹をかき分けながら、道なき道を進む。

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自分の背より高い笹の中に埋もれながら、前を歩く人すら見えない。
時々、どこに向かって進めば良いか全く分からなくなる。
おーい!どっちだ?と1m先にいるはずの人に叫ぶ。
小枝や笹の葉で顔や手はもちろん、ジーンズすらあちこち切れる。まさに熊!

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途中から、日本人が作ったと思われる小さな小道が見つかる。
なんとなく、作業の痕跡が見受けられる。
温泉が沸いているので、足湯にし、切り傷を癒す・・。気持ち良い!

 

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やっと到着!
ここが、当時の硫黄の採掘現場だ。
現在は発掘は行われていないそうだが、かなり火山活動は活発だとみた。

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すごい噴火口!硫黄のにおいがキツイ。有毒なのに、
みんなへっちゃらでここでピクニックを始めた・・・。

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第二次大戦後、ここにやってきた日本人は私達が初めてだそうだ。
まあ、そりゃそうだろうな。だってロシアに占領されているんだもん。


その他にも、日本人が作ったものの名残としては
ロシンカという海に面した温泉がある。
海を見ながら天然露天風呂!
やはり日本人は温泉やお風呂が大好きなんだろう、昔から。
昔は漁師さん達が入っていたんだろうな・・と想像する。

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ここは夏の天気の良い日、ライダー達が集まる。
そしてひと風呂あびてゆく・・(もちろん水着着用)
ここに来るための道はない。
だから、オフロードバイクやビーチバギーに乗ってくるのが主だ。

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ビーチバギーは四駆より高価な乗り物らしいけど、島では大変便利なので人気。

 そ・れ・か・・・
車で来たければ・・・もっちろん日本車!日本車の4WD!!

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ほんとーに、何度も言うので日本車のメーカーのまわし者みたいだけど、
日本車、すごいよ・・・。
国後島に来て、あらためて日本車の偉大さに驚かされた。
だって、普通に街乗りしていたら分からないじゃない、ここまでのすごさが。
どこも耐久テストのような最悪なオフロードにて、
ガツガツ使い込んでみてこそ、その驚異的な性能に驚かされるのです。
中古のNissan中古のToyota、おそらく日本で捨てられた車なのでしょうが、
なのになのに、まだまだ素晴らしいパフォーマンス!!!
川だって、海だって、岩場だって、どこだってスーイスイ!

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もっちろん、運転の腕も良いのでしょうが。
まあ、日本でいくらピカピカのランドクルーザー乗っていても、
こういうところで使いこなせる腕をもった人は、あまりいないかもしれません。
(しかもちょっと傷がついただけでピーピー言う器の小さい奴もよくいるしね・・)

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こっちの人はスケールが違う。というかスケールが大きくならざるを得ない環境にいる。
中古車を手に入れても、島で修理工場も部品を売ってるところもない。
修理でも何でも自分でやらなければならないから、何でもできるようになる。
パンクしても、エンジントラブルがあっても、自分でなんとかする。すごいなあ。
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ということで・・・
島にも日本の名残はどんどんなくなってゆくが、
日本車、日本の電化製品に代表される日本の技術力、ものづくりの力には、
ますますロシア人全体は強い畏敬と憧れの念を持ってやまない。
そしてそれらが肯定的な対日感情の基盤となっているに違いない。
だから、領土問題があるとしても、一向に聞き耳をもたないというわけでもなく、
日本に返還されてもいい、日本人となら共存してやってゆける
と考える島民層もかなりの割合でいるわけだ。
良く聞かされるのが、できれば日本と共同で何かがしたい、
インフラだって、日本の企業が入札すればいい、
日本企業が進出してきてこの島で経済活動をすればいい・・などという島民の意見。
まあ、それはあまりにも無邪気な意見で、
気持ちはわかるけど、そうなるとロシアに対しての投資ということになってしまうから、
そういう経済活動は今の状態ではこの島ではできないのですよ・・と、
いちいち説明しなければならない・・・。

ただ、今の国際社会で日本がどういうところで評価されているかというと、
やはり「ものづくり」であるのだと、ここでも痛感し、
およそ私には不可能な緻密で正確な作業にてマシーンを作り出している
日本経済を支える「ものづくり」に携わる人々に、あらためて深く敬意を表したところで・・
台風も近付いていることだし、まとまらない本日のBlogはこの辺で・・。


-国後8に続く-







最終更新日  Oct 8, 2009 11:28:37 PM
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Sep 24, 2009


戦後60年、ソビエト政権そして現在のロシア政権においても、
この島にはほとんど開発や投資の手が行きとどくことはなかった。
開発に必要な建機、重機用船舶が碇泊できる港湾がないことが、
現状の原因でもあり、結果でもあるのだ。
が、しかしそれゆえに、この島には世界に誇れる自然遺産がそのまま残ることとなった。
世界的に希少で絶滅の危機に瀕している植生物がここにはまだ息づいている。

人の手が少しでも加わったところ。そしてそのまま見放され錆びついた荒野。
そんな死を連想させるような殺風景な光景も多々目にすることがあったが、
この島の手つかずの自然の美しさには、いつもはっとさせられた。
360℃、本物の原野、本物の自然に包まれた時、
自然そのものの息遣いや鼓動まで感じることができた。
それはすごい体験だ。

<ダーチャからオホーツク海を望む>
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<朝靄の中のろうそく岩>
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<湖の畔の美しい野生の水仙>
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<羅臼山。別名“横たわる女性”とも呼ばれる>
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<材木岩>
オホーツク海に面する、調度知床の羅臼岳の対岸に位置するこの沿岸は
火山活動によって形成された柱状節理の岩がそびえたち圧巻である。

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この柱状節理は根室の“車石”網走の“二枚岩”に良く似ている。
6000年前の火山活動によって形成されたといわれるが、
もしかすると同じ時期の火山活動によって形成されたものかもしれない。

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自然が作ったこの美しくユニークな景観・・・。

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静かにゆっくりと流れる時間・・・。

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ここに来るにも道路なんか当然ない。だから岩場を歩くか4WDで乗り入れる。
ザブザブと海を渡り、ゴツゴツした岩の上を進んでゆく。
こんなハラハラドキドキのオフロードは日本じゃまずお目にかかれない。
中古の日本車なのだが、ここでは車も車冥利に尽きるのではないだろうか。
やはり日本の車の性能はすごかった!心からそう誇りに思う。

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私達は進む。対岸に見えるのは知床半島!
そう、羅臼岳が手の届きそうな距離に見えている。

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そして、ここまでくれば日本の携帯電話の電波が届く。
ここに来た日にゃ、皆景色なんてそっちのけ。
携帯片手にメールチェックに電話に一心不乱となる。
(なにしろ通信の遮断された生活なので、日本の電波が通じるだけで貴重な機会なのだ)


ここを世界遺産登録し、ロシア国民向け観光開発をしようという動きもあるらしいが、
そうなると話はややこしくなる。
ロシアとして、ここを世界遺産に登録することは北方領土問題を無視する動きだからだ。
たまたま、ある日、我々がここに向かうと軍に止められた。
“今、上院議員が来る予定だから一般の人々は侵入禁止”ということだった。
そして、次の日の新聞には、
やってきた上院議員がここを観光開発し、
愛国観光の拠点にすると宣言したことが書かれていた。


<爺爺(チャチャ)岳 1822m>

島のシンボルともなる一番の高さを誇る活火山。
世界で最も美しい火山だといわれる。18個の崖錘とクレータをもつ。
この山は保護区域の中に位置しているため、誰もが好きなように足を運ぶことはできない。
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島には4つの活火山があり、地熱発電も力が入れられている。
火山があるということは、地震地帯であり、
地震地帯であるということは、当然温泉地帯ということでもある。


ここ掘れワンワンじゃないけれど、どこを掘っても温泉源。
山にトレッキングに行けば、必ず目にする天然温泉の沢。
源泉かけ流し!100%の天然温泉。
これを目当てに歩き歩き歩き、そして疲れた足をお湯に浸ける。
大自然の中の至福のひと時だ・・・・

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そして、なぜか温泉地には蛇がいる。
蛇は温泉が好きなのだろうか?不思議なものだ。

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見ることはなかったが、森には熊をはじめ沢山の小動物、蛇、野鳥、数々の虫が生活している。
沢山の生態系が誰にも侵害されることなく、苔生す原野のなかで息づいている。

生態系の専門家は言う。
自然や動物の見地からすればロシアの領土、日本の領土と争っている場合ではない。
とにかくこの生態系を守るために、手を取って協力してゆかなければならない。
国と国とのボーダーを引くのは人間だけれど、
そこには植物や動物も生活しており、それらを尊重することを忘れてはならない。

まったく、その通りだ。
私達は歴史や国家に固執するあまり、大切なものを忘れてゆく・・・。
子供や自然の純真に触れた時、あらためてその過ちに気付く・・・。










最終更新日  Sep 26, 2009 01:12:01 AM
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Sep 22, 2009


 国後島 ―人々の生活(夏)―


2009年夏、古釜布。
午前中はたいてい濃霧に包まれ霧雨も多い。
8月にも関わらず暖房を入れるほど肌寒い日もある一方、
いったん太陽が顔を出すと、日射しは強くすぐに陽に焼けてしまう。
太平洋側とオホーツク海側では天気に大きな違いがある。
太平洋側の古釜布から30分ほど島を横断し、オホーツク海側に出てみれば、
突然空は明るくなり、太陽がさんさんと照りつける。

島民にとって、夏は長いこと待ちわびた憧れの季節。
短い夏を、太陽を、少しでも満喫しようと外に出る。
もちろん、夏の休暇には島を出て大陸に行く人も多い。
(公務員などは僻地手当の一環として年に一回モスクワ往復航空券が給付されるとか)

週末に太陽が顔を出せば、まず海へ行く。
オホーツク海。天気が良いとはいえ、水着になるには肌寒く、水温はひんやりと冷たい。
しかし、彼らには関係ない。
小麦色の肌に焼けることがステータスなのだ。
誰もが陽に焼けようと、海で泳ぎ、砂浜に寝そべる。

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海辺のBBQやピクニックも家族や友達の憩いのひと時だ。
BBQはトルコのシシケバブに似たシャシャリクという串刺しの豚肉を焼く。
ピロシキやサラダ、チーズなどを持ち寄って、
ウオッカ、ワイン、ビールなどとともに楽しむ。

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何度かこういうピクニックには参加したが、やはりいくら寒かろうと青空の下は気持ちいい。

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そして、少し余裕のある家庭は、休日はダーチャへ行く。
ダーチャとはロシアの伝統的な郊外の家庭菜園用別荘。
別荘といっても暮らすためのものではなく、
庭仕事の合間に少し休んだり、静かに本を読んだりするための家だ。
だから水道電気も敷かれていない場合が多い。

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このダーチャで野菜や果物を育てたりするのが何よりもの楽しみだという。
ここでできた野菜や果物は、物資の少ない島民にとって、
わずかながらの食材の糧ともなるのだ。

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上の写真のダーチャには敷地内にハウスもある。
ここまできちんと管理されているダーチャは少数だが、
たいてい、ベリー系の小果類やじゃがいも、ネギやトマトなどが植えられている。
そして、沢山の観賞用植物や草花。

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冬は道が閉ざされてしまうため、夏の間だけの楽しみだ。
ただ、94年の地震後、倒壊したまま管理が維持できなくなり、
そのまま荒れ地になっているダーチャも沢山見た。

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8月というのに、ダーチャではイチゴが収穫のシーズンだった。
かなりの量のイチゴを収穫!!
これはそのまま食べたり、ジャムにして保存したりする。
早速できたてのジャムをもらったが、かなり砂糖が多め。美味しいけどネ。

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ダーチャのトイレ・・・
もちろん水洗ではありませぬ。
島ではまともなトイレを探すのが至難の業。
外出する時は覚悟を決めなければならない。
郊外に行くと、当然のごとく藪の中が天然トイレとなる。

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ダーチャで土仕事して汗を流した後は、温泉に入ってリラックスする。
島は火山地帯に属するため、天然温泉であふれている。
どこを掘っても温泉が出てくるといった感じだ。
ダーチャの密集地帯には、こうした公共温泉が見られる。(もちろん無料)

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島にはほとんど娯楽施設がない。
映画館も、ショッピングセンターも、パチンコも、ジムも公園もない。
あるとすれば小さな図書館か、喫茶店がいくつか。
なので、島の人々の休日の過ごし方といえば、
TVを見たり、友達の家に行ったり、本を読んだり・・というインハウスなものが多い。
近年はインターネット網が普及しているので、
若者はインターネットばかりしているようだ。

パーティなどがあると、女性は料理に手をふるう。
そしてウオッカで乾杯が延々と続く。
ここでは、ビールはアルコールのうちに入らない。
だから乾杯にビールなんて許されないのだ。

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こちらでの食事はロシアの家庭料理が基本。
ボルシチやロシア風水餃子などはもちろんだが、
この地域の特色として、島ならではの水産物が食卓に出ることが多い。

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樺太鱒、ニジマス、アメマス・・・・鱒類は大量に川に上がってきているため、
いくらでもある。これは、鱒の詰め物。(中にミンチの魚肉と和え物が詰まっている)

イクラはそのままパンにつけて食べる。朝から出てくる。
そして甘エビも美味しい。

そして、大量の花咲ガニ。
海にピクニックにいけば、漁師さんがそこら辺から捕ってきたカニを
その場で茹でて差し入れてくれる。

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こちらの漁師さん達は片言の日本語を話す人達も多い。
ウニ、カニ、エビ、というところをみると、根室あたりで闇商売しているのかもしれない。
そういえば、漁師の人々は随分良い車に乗っていたし、お金を持っているようだった。

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皆気前がよい。まきを斧で切って火を起こし、捕れたての海産物を茹でて食べる。

この豊富な海産物資源を目の当たりにすると、
ちょっとのところまで踏み入って
拿捕されてしまう日本の漁船の気持ちがよくわかる。
そしてここが北方領土だと思うと、複雑な気持ちだ。
本来であれば、この水産物を獲得する権利は日本にあるはずなのだが・・。

さて、先ほどほとんど娯楽施設がないと行ったが、
ある日、行政府の講堂で開かれるディナーショーに連れて行ってもらった。
数か月に一回、企画してこういう会が行われるらしい。
ショ―あり、音楽あり、ダンスありの大人のパーティなのだが・・・。
衝撃だった・・・!
30年前にタイムスリップ(*o*)!!ここはどこだ・・!!(*o*)

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御覧の通りミ、ミラーボールである。
ユ、ユーロビートである・・・!!
みなさまのダンスが、これまたすごいのである・・・!!

いや、これは初めての経験ではない・・(-_-;)
途上国の田舎というのはどうしてここまで似ているのであろうか。
これはもう、国は関係ない。田舎は田舎で、ひとつの同カテゴリーの文化だ。
もしかすると、いや、きっとあるのだろう。
日本のどこかに、まだ、こういう場末なナイトクラブが・・。
あるはずなのだ、こういうカルチャーが!!日本にだって!!
ある意味、すごく新鮮なのです。この21世紀に!!

しかし、横ではすぐに噂話が始まった。
客が皆、お互いの素性を知っているのだ!
「あの太っちょが○○議員で、今彼といちゃついているのが○○で働く女の子で・・
あれが○○のボスの○○で・・・あそこにいるのが○○の息子で・・」
つまり、ここでは何かあったらすぐにスキャンダルになるという危険を伴うがゆえに、
たとえナイトクラブであっても自分の行動には責任を持たなければならないのだ。
どこでも壁に耳あり障子に目あり・・の世界。
もちろん、透明性があって良いことかもしれないが、窮屈な場合もあるに違いない。
狭い島の生活は想像を絶する苦労もあるのだろう。









最終更新日  Sep 23, 2009 08:03:12 PM
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Sep 19, 2009



島にいてまず驚くことは、子供、赤ん坊の数の多さだ!
これは野犬、野良牛の多さ以上に目に付いた。
ちょっと外に出ると、必ず乳母車を引いた人とすれ違う。

ロシア全体で人口減少(年間70万人の減少率)が続く中、
なぜかここでは出生率がうなぎ登り。
それもロシアの手厚い児童手当も関係しているのだろう。
ロシアでは少子化対策として、政府予算に母親資本を設置し、
第2子を出産した人には250万ルーブル(75万円相当)の補助金を提供しているそうだ。
結構な額だけど、これが本当だとしたら、すごいよね!?
また、幼稚園などの支援も行き届いており、
幼稚園でも3食の食事、医療制度が充実している。
そんな安心して子供を育てられる環境と、
島では他にやることも娯楽もないから、早く結婚して落ち着くというライフスタイルが、
この出生率に相乗効果をもたらしているのだろう。


<幼稚園>
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子供はとても愛嬌があり、くったくない。
小さな子供さえ、「こんにちは!」と声をかけてくれる。
彼らはビザ無し渡航開始後の世代だから、
生まれた時から日本人を身近に感じているのだろう。

<幼稚園のどこかレトロなおもちゃ達>
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幼稚園の玩具や備品は、そこそこの年代物が多かった。
現在島には5つの幼稚園があるが皆パンク状態で予約待ち。
6つ目のマンモス幼稚園が近日中に開設予定だ。

<私達の開いた七夕祭りに来てくれた子供たち>
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私達が七夕祭りを開くと、幼稚園生がやってきてくれた。
七夕といっても、なにしろ現地では材料も何もない。
1週間ほど前に山で刈ってきた、ほぼ枯れかけのササを使って
ハップハザードなデコレーションをしたが、
歌を歌ったり、短冊を書いたり、折り紙を折ったり、
なんとなく雰囲気は味わってもらえたようだ。

<子供たちが描いた短冊>
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子供たちは皆、短冊に絵を描いていた。
「犬が欲しい」「おうちが欲しい」とかいう可愛い願掛けもあったし、
少し年代が上になると、「世界平和を・・」なんて書く子供もいた。

この新しい世代の子供達には、
お互いの文化を知り、リスペクトする土台は築かれているのだと感じた。


<小学校と子供たち>
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島の小中学校。プレハブ作りではあるが、島の中では立派な建物だ。
ロシアの教育システムでは3-6-2年制。
9年生までが義務教育だが、6歳から17歳までの生徒が同じ校舎で勉強する。
現在南クリル地区では小中学校の生徒が840人ほどいるという。
政府や行政府の教育支援は手厚く、
教育費、給食費(5年生まで)教材、教科書類も全額無料だそうだ!

島には高等教育機構がないため、学校を卒業すると多くの若者は、
大学に進学するために島を出てサハリンや大陸に渡る。
そのため、島には18歳~22歳の若者層が相対的に少なく、あまり見かけない。

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驚くことに、子供達はみんな自分用の携帯電話を持っていた。
それも結構最新モデル!!
授業中に携帯電話を見たり、カンニングに使う生徒もいるようで
教育関係者は問題視していた。
また、近年島にはインターネット網も架設され、
島では買うことのできない本や物品を、インターネットを通して購入する人も多かった。

なかなか目に見える開発が進んでいない地だが、
情報化社会の中、ソフトな面での生活スタイルの変化は想像以上だと思われる。

なにはともあれ、この新しい世代が領土問題の新たな後継者となるのだ。
もしかすると、子供達同士に交渉を任せれば、
一番良い方法を生み出してくれるのではないか・・と思えるほど、
純真無垢で、目がキラキラした子供達であった。
この子供達に幸あれ・・!!








最終更新日  Sep 20, 2009 07:07:03 PM
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 古釜布の町はかつては海岸に面した集落だったらしい。
ロシアは侵略後、昔の日本人集落を見下ろす高台に新たな集落を作った。
これがユジノ・クリリスクである。
現在の日本名称「古釜布」は、このユジノ・クリリスクを指す。

ここに住んでいるロシア系島民は、当然だが戦後大陸からやってきた人ばかり。
ここに来ると通常より給料が良いし年金受給条件も良いこと・・
などの好条件を提示され、はるばる移り住んだ人が多いと聞く。

(ロシアでは極東に居住すると「僻地手当」が保障され、
また年金受給の対象年齢も通常より5歳ほど若くなり、額も良いらしい。)
恐らく、当時の民間人は不法侵略した地という情報も意識もなかったのだろう。
ただ、戦後ロシアは領土を主張するものの、ほとんどこの地の開発に力を入れなかったので、
道路もなければ、電気も、水道も、基本的なインフラが整備されない厳しい環境だった。
そのため結局は期待を裏切られ、職もなく島を去ってゆく住民も多かったそうだ。
そんな時に、鈴木宗男みたいな政治家が現れ、
発電所を作ったり、人道援助に力を入れたものだから、
島民感情としては、自国よりも日本に多くの希望を持っていた時期もあったのだろう。
実際に暮らす人々にとっては、どちらの領土ということよりも、
とにかく自分の生活を何とかしなければならない・・
というのが必死の本音だったのかもしれない。

しかし、最近ロシアはこの地域にかなりの投資をし、開発計画を進めているという。
空港が整備されたり、港湾拡大工事がおこなわれる予定だと聞く。
少しづつ、島民にも中央政府に期待を持ち、明るい未来を描きはじめている。
そうなったら、日本の領土という意識はどう受け止められるのだろうか・・。

今、国後は一つの時代の過渡期を迎えている。


<友好の家から見る羅臼岳>
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道の脇はおびただしい野生のフキが生えている。
近年まで街灯もなく、夜は真っ暗だったようだが、
ようやく最近になって行政府の前の通りのみ街灯がともるようになったそう。

<古釜布の街並み>
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木造トタン屋根の小さいアパートのような建物が並ぶ。
錆びついたセントラルヒーティングのパイプが道路の脇やら建物の上から視界を縦横する。
まるで毛細血管のような小道がうねうねと建物の間を隔てている、
アスファルトで舗装された道路は皆無だ。
そのため、車が通るたび、あたり一面真っ白な砂煙に覆われる。
少しでも外にでると、頭から足の先まで砂塵の洗礼に合う。(口の中もジャリジャリする)

<国後一番の繁華街)>
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通称「国後銀座」と呼ばれる通りがあり、商店が並んでいるがいつも閑散としている。
通りと行っても数百メートルで終わってしまうので、日本の商店街の比ではない・・。
(ましてや銀座の比でないことは言うまでもない・・)
ほぼ同じようなものを売る小店やマーケット、薬屋や文房具店が軒を並べる。


<店の中>
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国後では特別な産業がなく、水産物以外はほぼすべてのものを大陸から輸送している。
そのため、運送コストなども相まって、物の値段が非常に高い。
ユニクロで1000円で買えそうなTシャツが、6000円相当した。
(しかも中国製!値段だけは銀座に相応しい!)

韓国製の加工食品やお菓子などは種類も豊富で比較的安く良く見かけたが、
品質の割には何でも高いのが驚きだ。
アイスクリーム類は運送中、または停電などで何度か溶けているのだろう、
ほぼ原形をとどめないユニークな形に変形している。

日本の洗剤や歯磨き粉などを売っている店もあったが、
日本の数倍の値段だった。一体誰が買うんだろう?
また、ある文房具屋では2005年や2008年のカレンダーやダイヤリーを
恥じることなく1000円相当の値で売っていた・・・。
恐るべし・・・国後スタンダード!!すべてが未知数の世界で理解に苦しむ・・。


<行政府>
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ロシアは国後島、歯舞諸島・色丹島をサハリン州の中に治め、
南クリル地区と行政区分し、国後島に行政府を置いている。
ここの地方自治体は日本に対してはかなり友好的であり、
たび重なる領土問題に対する中央の軋轢に「どうしたものか・・」とボヤいていた。
この建物、綺麗に色が塗られているが、他のアパート同様木造の簡素な造りだ。
ここの講堂が町で唯一大きなサロンであり、
講堂以外に、ディスコパーティやディナーパーティ、交流会に良く使われる。


<レーニン像!?>
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行政府の向かいの広場にはレーニン像が・・!!
なぜ、今時、まだレーニンがあるのだろうか?
と、考える間もなく、
ここにレーニン像が置かれていることについて、
何らかの思想やメッセージが込められているわけじゃないと感じとった。
とりあえず、枯れ木も山の賑わい・・程度だったのだろう。
「なんだか広場っていっても何もないし殺風景だなあ・・・」
「これ、ここに置いたままにしちゃおう!」
というような流れで置きっぱなしにされたのだと想像する。
(実際には、USSR崩壊後も撤去する費用がなかったのかもしれない)
そして、それについて誰も気にも留めず、素通りしてゆくのだ。
まるで北方領土問題そのもののように。

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ただ広場に放置されたレーニンは、
一人ぼっちで廊下に立たされた小学生のように、しょぼくれている。
まるで「俺が思い描いた社会はこんなはずではなかったのだ・・」とでも言いたげに・・。


<ロシア正教会>
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木造の綺麗な建物。かなり敬虔な宗派で異教徒は見学させてもらえない。


<国後らしい光景>
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このなんの変哲もない光景が、典型的な国後事情を物語っている。
店の前に乳母車を引いたお母さん: (出生率はうなぎ登り!どこもかしこも乳母車だらけ!)
沢山の野犬:(とにかく野犬が多い。どこへ行っても犬、犬、犬だらけ!)
真っ白に砂をかぶった車(いくら綺麗に洗っても、数分走行すればたいていこうなる)
砂利だらけの道路(雨が降ると、泥沼になりうる)
セントラルヒーティングのパイプが無造作に横行し、
そして2階建て以上の建物がないため、空が広く、高く見えるのだ、この島は。


-3-に続く・・・









最終更新日  Sep 20, 2009 03:53:05 PM
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Sep 18, 2009



私はこの夏、北方領土の国後島で日本語を教えるという貴重な機会を得ました。

戦前は多くの日本人の方々が暮らしていた地。
北海道から目の鼻の先という近距離にも関わらず、
現状はロシアに実効支配されており、決して自由に行くことができない遠い地。
そこでどんな生活が営まれているのか以前は知るよしもありませんでしたが、
今回ひと夏を過ごし、現状と昔の面影、そして問題の根深さを知り得ることができました。

そんな近くて遠い国後島について、見たこと聞いたことを、徒然と書き綴ってゆきましょう・・・


国後島
国後.jpg

もともとはアイヌ民族が住んでいたこの地域に和人がやってきたのは江戸時代のこと・・
松前藩が統治し、1855年の日露和親条約においては正式な日本領とされた。
第二次世界大戦で日本の敗戦が明らかになると、
突然ロシアは不可侵条約を一方的に破棄し、千島列島より南下、北方四島を侵略する。
ロシア兵進駐により、多くの島民が日本本土へ引きあげざるを得なかった。
その後、ロシア人民間人が入植し、日本人住民から現地での農業や漁業のやり方を教わるなど、
両国民が共生していた時期もあったが、1947年までにはすべての日本人が完全送還させられた。

現在はロシア政府により実効支配されているが、ロシアの中で最も開発が遅れている地でもある。
日本人は特別措置の「ビザ無し交流」の範囲内でしか、この地に行くことができない。
(ロシアビザを取得しロシア本土から島に入ることは実際には可能だが、
その場合は島をロシアの国土と認めることになるので、外務省は自粛を呼び掛けている)

戦前から漁業が盛んな地で、漁業集落が散在していた。
また、この島は、豊かな植生と手つかずの自然、温泉資源の宝庫である。
かつて地続きだったのか、植生は北海道と似ているが、原生のままという特性を持つらしい。
現在、島の60%はクリリスキー自然特別保護区に指定され、
民間人の立ち入りは規制されている。

現在島の人口は7000人弱とのこと。
その80%以上がが古釜布(ユジノ・クリリスク)という町に集中している。


古釜布(ユジノ・クリリスク)(Google Earthより・・)
古釜布1.jpg

 島最大の集落で、ここに南クリル行政府や裁判所などが置かれている。
一時世間を騒がせた「友好の家」もこの町にあり、ビザ無交流事業の拠点ともなっている。
しかし、日本での報道とは裏腹、現地でここを「ムネオハウス」と呼んでいる人はいない。
まあ、ここが生活の拠点となるわけだが、どこでも歩いて数分の距離。
どんなに頑張って練り歩いたとしても、半日もかからないほど小さい町だ。


根室港から出港し、4時間半で国後の古釜布港に到着する。
大型船が停泊できる桟橋がないため、沖合に艀がやってくる。
その艀に乗り換え、古釜布の小さな港に着く。



艀から見た古釜布の町
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港の沿海部には多くの放置船が沈んだまま錆びついている。
なんともシャビーな光景だが、この船から見た第一印象通り、
国後という島は、どこを見渡しても、常に荒涼とした殺風景さが目に付いた。

1994年の北海道東方沖地震で国後は大きな被害を被った。
この時に倒壊した建物なども撤去するお金がないのでそのまま放置されている。

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-2-に続く・・・







最終更新日  Sep 19, 2009 10:36:17 AM
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Sep 8, 2009


無事ミッションが終わり帰省してまいりました♪

まるで竜宮城に行っていた浦島太郎みたい。
帰ってきたら政権が変わっているし。我々が投票できなかったことが記事になってたしわからん

あっという間の、しかし密度の濃い、煮出しエクスプレッソみたいな充実した日々でした!
実に・・実に実に、貴重な経験をさせていただきました。
日本語教育について、領土問題について色々考えさせられ、
また、類まれな自然の美しさと人間味あふれる島の住民と触れ合い、
後ろ髪をわしづかみで引かれる思いで港を後にしました。
60年前、島を後にした人々の心情にほんの少しでも近づいた気がします。
というのも、いくらお金を積んでも、いくら時間があっても、
政治的問題が続く限り、もう二度と行くことができない地
もう二度と会うことのできない人々かもしれないのですから・・。
そんなこんなでちょっとセンチになりながらも、
早速、東京で色々やることがあるので、
島については後日ゆっくりとUPしてゆきます。

Team Kunashiri。わしともう一人の先生と政府の人と通訳さんの4人は
現地で抜群のチームワークで活躍(?)したので、
帰ってきたその足で一緒に知床-網走旅行車にでかけたとさ・・!


国後が見える~泣き笑いみんなぁ~元気?
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知床5湖

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大木・・あっぱれ!
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シカ肉はなかなか美味しかったりもする。
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オシンコシンの滝
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ホテルから美しいSUNSET
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網走へと向かう道・・・
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楽しかった!
良いメンバーに出会うことができ感謝感謝。


そういえば島で3kg太ったショック
しかも帰ってきたら日本のお菓子が美味しくて、また1kg太ったショック
・・・もうどーでもいいや・・・ほえーほえーほえー







最終更新日  Sep 8, 2009 11:29:21 PM
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