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Feb 23, 2021
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全28件 (28件中 1-10件目) アゼルバイジャン生活
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
ということで、脱アゼルバイジャンです! 先日2年間の任期が終わり、無事帰国して参りました ~ ![]() 歳月人を待たず・・・。常套表現でお粗末ですが、2年間はまさに『あっという間』でした。 乗り継ぎ先のイスタンブールはイスタンブールで、仮眠を取るため友人の家に行ったはいいものの こんな国で仕事をするのだから何事も思うようにいかないのは当たり前です。 それに、アゼルバイジャンという響きが私に連想させるものは、 ありがとうアゼルバイジャン
最終更新日
Feb 19, 2012 02:14:23 AM
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Nov 13, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
するとスパムのようなメール攻撃が・・・ 「今シーットと言いましたね・・?」 緊張感が高まります。 「僕はね・・今、そのシーット、う、うん○がしたいんです・・。」 それから私達は究極の早歩きをし、今来た道を黙々と引き返しました。
Nov 3, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
時々、知り合いの弁護士&歴史小説家(!)が企画する 「歴史倶楽部」に参加します。 毎回ゲストを招待し、アゼルバイジャンにまつわる歴史上の一幕を取り上げるコミュニティで、 結構面白くてためになるので、大抵招かれれば他の用事を差し置いて出席します。 参加者は歴史オタクや一癖も二癖もある外国人が多いのですが・・・(私を含め・・・(-_-;)) それぞれ熱心でユニークです。 この前は、ノルウェーの有名な人類学者で探検家のトール・ヘイエルダールの息子さんが ゲストプレゼンテーターとして「わが父トール・ヘイエルダール」について語りました。 ![]() (↑テーブルの奥で小さく見える白髪頭のおじいさんがヘイエルダールJr.さんです) コンチキ号の探検記でも有名なヘイエルダールは 現在世界遺産に登録されているバクー近郊のゴブスタンの壁画を調査し、 その線刻画がバイキングが描いたものと酷似していたことから、 スカンジナビア人の祖先はカスピ海沿岸に由来するのではないかという仮説を提唱しました。 よっぽどその考えに取りつかれたのか、 その後2002年に逝去されるまで何度もアゼルバイジャンに来ては研究調査を繰り広げています。 アゼルバイジャンにはかつて古代アルバニア王国が存在し、 (今のアルバニアとは無関係・・どうもアルバンというのは(白い)を意味するラテン語らしい) コーカサス山脈麓にはその史跡がいたるところに散在します。 その中の一つ、シェキの「古代アルバニア教会」の修復工事も ノルウェー政府によって実施されました。 ![]() (ノルウェー人の手がかかっているだけに、他の国内史跡と比較すると良い出来です。 遺跡っぽい古さと趣を感じさせながら再現されています。) また、今回のセミナーでヘイエルダールのご子息さんがご主張なさってた事には、 DNA鑑定でバイキング族と古代コーカサス人とが一致した・・! (どういう並列でどう一致したかは不明なんですが・・) とのことでした。 そういわれてみれば、 ガバラというところにも、古代アルバニア帝国の町跡があるのですが、 そこで発見したのが、古代の人骨。 大きいです!身長が2m以上あります!! ![]() これを見たとき、 やっぱり民族的に現在のアゼルバイジャン人とは違うなあ・・と納得しました。 そのほかにも 北欧民謡の一説がアゼルバイジャン民謡の一説に似ているとか スカンジナビアの人々にとっては 色々ロマンチックな妄想を掻き立てるのに相応しい材料が沢山あるようです。 そういや昔、友人達と一緒にナショナル・ジオグラフィックの人類の足跡を探るという研究に 頬っぺたの粘膜のDNAサンプルを送って鑑定をしてもらったところ、 私の母方の祖先はハプログループBということが判明しました。 たしか、それはカスピ海のこの辺を通ってさらに西側に進んだグループであったはずです。 そんなことを思い出して、 自分のルーツの根底部分には、この地で生きた人々もいたはずだと考えると、 ちょっと感慨深いものがあり、 なんとなく、北欧の人々が心を揺さぶられる気も分からないでもないと共感できました。 謎の多いコーカサスの歴史ですが、 一つ一つ考えて見ると本当に面白い地に自分はいるんだなぁと、少し光栄に思います。 もらった本を読んでみなきゃ!
最終更新日
Nov 4, 2011 07:05:56 AM
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Aug 29, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
Aug 7, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
最終更新日
Aug 10, 2011 12:56:06 PM
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May 8, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
って、絶対引きとめるだろう。納得ゆくまで説明していただけませんか。
最終更新日
May 9, 2011 12:33:12 AM
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Apr 10, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
まぁ・・よくわかんないけど、日本の今回の惨事が世界に与えた影響は多大です。
最終更新日
Apr 10, 2011 08:37:54 PM
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Mar 14, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
追悼花は何がいいのでしょうか? 特に日本大好きで、人助けに喜びを見出す気質を持つ多くのトルコ人は、 誰一人泣き叫んだりしない。文句も言わない。すべてを冷静に受け止めている。
最終更新日
Mar 14, 2011 08:08:49 AM
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Jan 30, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
アゼルバイジャン生活ついに1年になろうとしております・・・ ----------------- というように、冬場はインドアの生活になってしまいますね。寒いし・・。
最終更新日
Jan 30, 2011 11:37:23 PM
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Jan 9, 2011
カテゴリ:アゼルバイジャン生活
![]() ![]() しばし、ブログの存在を忘れておりました・・(-_-;) が、お陰様でなんとか生きております・・。 ![]() 年末年始は気の置けない友人達と隣国グルジアにて過ごしました。なかなか楽しかったです♪ 私達は夜行列車で行ったのですが(バクー・トビリシ間は寝台夜行列車があり所要15時間弱です)、 電車は国境の入国検査で2時間くらい無駄に待たされるため、 国境周辺の町で降り、そこから国境まで乗合バス、 国境を徒歩で通過、トビリシまではタクシーを使いました。 まあ、こういう面倒臭いことは全て何度か行ったことのある友達が仕切ってくれ、 お陰で時間のロスなしに合理的に目的地に到着することができました。 年末で電車は混み合い2人用のコンパートメントが満席だったため、 私達は仕切りのない大部屋寝台ワゴンにて移動しました。 第一印象は「刑務所の大部屋」もしくは「兵役」 ![]() まあ、仕方ありません。切符は国境の町まで700円ほど・・!タクシーより安いのです! 年末年始の休暇のせいか私達の周りは出稼ぎ帰りのおじさん達でごった返し (グルジアには沢山アゼルバイジャン人集落があるのです) 当初は彼らの躊躇のない好奇の視線に居心地の悪さを感じざるを得ませんでしたが、 その後持ち前の食べ物を勧めたり、トランプに誘ったりするうちに、 その緊張感の溢れる場がすっかりうちとけ、温かく楽しいものとなりました。 友人にロシアの「馬鹿」というカードゲームを教えてもらったのですが、 覚えの悪い私はなかなかルールを理解できず、それを見て堪りかねたおじさん達が、 「違う違う、そのカードは出しちゃいけない」「そうだ、良い調子だぞ!」と横から加勢します。 しまいには「あ~もう!駄目だなあ!よこせ、よこせ」とカードを取り上げられ、 おっさん達が私達を差し置いて人一倍盛り上がってました。ま、いいんですけどぅ・・ それからおじさん達の身の上話がはじまり、その田舎臭いアゼルバイジャン語の響きは 疲れた頭に心地よい子守唄となったのでした・・・ ![]() 電車の旅@アゼルバイジャン・・。 神経質な人には不向きかもしれませんが、旅情たっぷりです。 また、良い旅仲間がいればどんな状況でも楽しいものとなります。 薄暗い車内。ガタンゴトンというノスタルジックな車両の揺れ、 窓の外に果てしなく広がる暗闇、ところどころに浮かび上がっては消えてゆく集落の淡い光。 いびきをかいて寝る人、ひそひそ話をする人。偶然席を隣にした乗客達との温かい触れ合い。 窮屈でも、多少不便でも、飛行機やマイカーでは味わえない醍醐味がここにあります。 最後にこんな旅をしたのは、一体いつのことだったろう・・そんなことを思いながら、 気がつくと朝を迎え、国境近くで下車。 そこからは荷物を友人に持ってもらい、半分寝ながら乗ったり降りたり歩いたりの移動。 無事国境を越え、タクシーでトビリシまで向かいました。 国境からトビリシまでは1時間弱。タクシーで約2000円ほど・・・。 トビリシでは仕事で現地に駐在中の友人が、 「滞在中好きに使っていいよ~」と提供してくれた彼らの会社の車と専属運転手が、 私達を待ち受けていてくれました。 彼らはヨーロッパに休暇中で残念ながら会えませんでしたが、 車があったお陰で行動範囲が広がり、大変有意義な旅となりました。 こういう心遣いは有難いです!本当に助かりました♪ 友人に感謝感謝 ![]() ![]() まるで骨董品のように美しい街トビリシに大満足♥♥ コーカサスのドナウとも言えるクラ川が街の中心部を静かに流れ、 起伏に富んだ丘の上には、城塞や古い教会があちこちに散りばめられています。 こんなに近いのに、アゼルバイジャンやトルコとは全く種を異にした独自の文化を持つ地。 歴史と文化水準の深さ、何よりも芸術的センスの良さが街の随所に看取できます。 ![]() もちろん、グルジアは産業がなく貧しい国で、どの街もどこかシャビーな印象を受けます。 何人かの友人は「あんな国で新年を祝うなんて退屈じゃん!」と私の旅を止めすらしました。 しかしそのシャビーさは、ビンテージのジーンズが持つ色褪せ感や使用感みたいなもので、 それだけに価値が高いプレミアムだと思うのです。少なくとも私はこの国に「貧しさ」を感じません。 真の貧しさとは精神的な貧しさのこと。 石油大国の悪趣味な成金主義にいいかげん食傷していると、 この質素さ、その中の精神性の高さ、繊細な美意識、自民族への誇り、 そういったものに、はるかに崇高な「豊かさ」を感じるわけであります。 そして経済状態が悪い貧しさのメリットは物価の安さでもあり、 バクーの高級レストランに法外なお金を払っても得ることのできない満足感が、 この地においては3分の1の対価で十分得ることのできる、本当にありふれたものなのです。 トビリシの郊外、クラ川のほとりの古都世界遺産ムツヘタを望む↓ ![]() 教会は素晴らしい!そして偶然新年のミサに遭遇した・・・まるで映画の世界・・!!↓ ![]() あ、一つ気になったことは町中にEUの旗がたなびいていたこと。 恐らくグルジア側の一方的な片思いだと思いますが、 あれは、知らない人に「へえ!グルジアはEU加盟国なんだね?」と誤解を生じかねない 紛らわしいことこの上ないキャンペーンだと思います。 一方完全にロシアに背をそむけていることは明確で、 皆、ロシア語を話すことすら嫌がる傾向にありました・・・。 独自の文化・・・独自のサンタ・・??(このサンタ白いぜ!?) ![]() 私達は食事とワインを楽しみ、歌を歌い、トビリシの街を練り歩き、 大晦日の夜を思う存分楽しみ新年を祝いました。 (遊園地に行きお化け屋敷にすら入った・・この年で・・!!ちょっと忸怩 たる思いで反省・・) 大晦日のトビリシ中心地の様子。なぜか仮面とピンクバニーのバルーンが流行っていた↓ ![]() トビリシの夜景↓ ![]() また、私達はワインの発祥地と知られるカヘティ地区へも行ってみました。 ここはアゼルバイジャン北部の国境に近い 大コーカサス山脈の谷間に位置します。 美しい街並みと自然・・美味しいワイン・・歴史的名所・・・♪ 歴史に詳しい友人が色々と説明してくれましたが、 もっときちんと勉強してくれば良かった・・・。 ![]() ![]() ![]() 帰りはまた国境を渡り、そのままバクー行きのバスに乗り込み帰省。 バスの中で乗客が喧嘩をするわ、運転手がタバコを吸うわ、交通事故に巻き込まれそうになるわ、 なんともプリミティブで波乱万丈な道中でしたが、 遊び疲れた私達は、そんなことお構いなしにひたすら爆睡していたのでありました・・。 という、グルジア数日旅行(^-^) 新年明けましておめでとうございます・・・
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