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カテゴリ:ベンゼン屋日常
かねてから、日本の産業遺産に興味があり、函館に行ってきました。
函館で青函連絡船「摩周丸」を見てきました。 ![]() 本州鉄道の北端、青森駅と北海道鉄道の南端の函館を結ぶ連絡船で「国鉄」「JR」時代をまたいで、 1908年(明治41年)~1988年(昭和63年)の間運航していました。 今、運輸の主力は青函トンネル(1988年開業)となり役目を終えています。 ![]() 函館港には連絡船のうち「摩周丸」が記念館として係留されています。 JR函館駅から5分、函館朝市からすぐのところにあります。 入場料は大人500円でした。 ①函館連絡船の貨物輸送 船内にレールを敷いて、直接貨物列車ごと積み込む「車両航送」方式を採用し、港の線路に直接接続して貨車を流すよう工夫されていました。 ![]() (記念館パンフの写真から) ![]() (展示模型の写真;右の緑のコンテナが貨車に積まれている) 貨物の積み下ろし時間を大幅短縮して、北海道の水産物が関東・北陸まで運ばれるようになり、輸送革命と呼ばれました。 最盛期は13隻で1日30往復もしていたそうです。 入り口を入って船内3F、歴代の連絡船の模型が展示してあります。 ![]() ②洞爺丸台風 ![]() 洞爺丸台風進路(Wikipediaより) 1954年(昭和29年)北海道を中心に大きな被害を出した台風において、洞爺丸の遭難により1,139名が犠牲となり、他にも連絡船4隻の沈没・転覆により総数1400名の犠牲者を出しました。 多くの船は函館湾の中にいましたが、流されて座礁したようです。 沈んだのは洞爺丸・第十一青函丸、北見丸、日高丸、十勝丸。どの船も運航を中止して、函館湾内に錨をおろしたうえでの遭難でした。 摩周丸はこの台風の時、日本の他の場所で整備中だったので難を逃れました。 ③摩周丸内部と函館市内の展望 摩周丸には当時のままのグリーン座席室、船橋(操舵室)、無線通信室が残されていました。 ![]() 操舵室;いろいろとさわって操作できます。 ![]() 無線室;無線の打鍵もできます。とてもレトロな感じ。 ![]() 操舵室から、函館山がよく見えます。 ![]() 甲板からみた市内。 ![]() 摩周丸後部と鉄道地上部への連絡 鉄道甲板もなく、地味な展示でしたが、昭和初期に戻れたようで懐かしかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.06.30 17:19:16
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