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自民党がテレビ朝日とNHKの幹部から事情を聞いた件を、特に左派メディアが問題視している。
が、ツイッターなどを見ると 「問題ない。当然」 「国民は公共の電波でウソもデタラメも自由に流していいとは考えていない」 「結局、安倍政権が気に入らないだけなんでしょう」 などと、あっさり左派メディアの魂胆を看破しているようだ。 このような声が多いのも、実際にテレ朝やNHKの番組を見て(問題はあるだろうが、リアルタイムではなく動画サイトで)、国民が「これはひどい」「さすがに度を超している」と思ったからだろう。 実際、この件を批判する左派メディアもテレビ局側に問題があったことは認めている。 「(社説)自民党と放送 「介入」は許されない」 番組に確かに問題はあった。だからといって、権力が安易に「介入」と受け取られる行為に踏み込むことは許されない。 2015.4.17 朝日新聞デジタル 「権力と放送法 統治の具と成す不見識」 政治的に偏ったり、虚偽を放送しないよう、放送局側が自ら律することは当然だが、何が政治的公平か、真実は何かを判断することは難しい。にもかかわらず政治権力を持つ側が自らに批判的な放送内容を「偏っている」と攻撃することは後を絶たない。 2015.4.16 東京新聞 安倍政権嫌いで有名な朝日新聞や東京新聞の書き方は要するにこうである。 「テレビ局側が悪いのは確かだ。だが、安倍政権は報道に口を出すな」 「だが」「しかし」は逆説の接続詞である。 逆説の接続詞は後段に筆者の強調したいことがくる。すると 「テレビ局側が悪いのは確かだ(がそれはどうでもいい)。だが、(私がいいたいのは)安倍政権は報道に口を出すな」 という内容であり、要するに朝日新聞や東京新聞は「安倍はだまって批判されろ」といいたいわけだ。 左派メディアの何が不健全で人々を「うさんくさい」と思わせるかといえば、この逆説の多用だと思う。 その最たるものが、朝日新聞の天声人語で伝統芸能と評される「だが、ちょっと待ってほしい」だろう。 「だが、ちょっと待ってほしい」もはやネタ化して、普通の人までSNSやメールに使うネットの流行語だ。 朝日新聞社説のワンパターン化は天声人語風メーカーのようなWEBアプリも生んでいる。 前段に「確かに悪かった」と物事を多角的に解説した、両論を併記したというアリバイ文章を置いて、後段は常に日本や自民党政権のの批判である。 決して「自民党の事情聴取はやりすぎだ。しかし、この件はテレビ局側の問題が大きい」とは書かない。 それどころか。「自民党の事情聴取はやりすぎだ。一方、テレビ局側にも問題がある」とすらも書かない。 左派メディアの多用する「だが」は、あまりに言い訳がましく、こっけいだ。 そのことに自覚がない限り、左派メディアはネタにされつづけ、笑われながら、国民の心から離れてゆくのだろう。 自民党が「報道ステーション」について「公平中立な」番組作りを要請した問題や、今回の聴取に対し「政治的圧力が報道を萎縮させる」といった指摘もある。 果たしてそうか。 この程度の「圧力」で、本当に報道は萎縮するのか。聴取に不当な言動があれば、それを堂々と報じればいい。 2015.4.18 産経新聞「主張」 同意だ。 報道側には「これはまたとない機会だ。聴取されながら、不穏な発言がないかチェックしてやる」ぐらいの強さ、したたかさが欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015/04/19 10:15:30 AM
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