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カテゴリ:独り言
今日、友人ほどより私の書いた物がキチガイな物であるとの指摘がありました。
なるほど。キチガイか。 小生、笑いながらも少しショックを受けている自分がいることに気づき驚いたのであります。 なにせ毎回タン壺にペッとすると同じで、わが身から出てきた梅毒を搾り出し、どうせ屑の塊だと思って捨ててかかっていたものに対してなにやら哀憐じみた感情が浮き上がってきたからです。 産まれてこの方全くの非外向性思考の持ち主である私は 小・中・高と外向性の欠片も持っておりませんでした。 というか対照的な内向性があったのかさえ定かではなく、丸っきり空っぽであるコケシの置物であったのです。 その証拠に、17歳以前の記憶というものが全くなく、旧知の友人と会ったときも あの時あんなことあったよねー というよくある昔話があまりできないのです。 ああ、そういえばそんなことがあったな とシナプスがわずかにうなずくだけであるのです。 それもこれも出生の際の問題が頭を擡げているのではないかと最近思うのでありますが、まぁこれは関係ないのでいいとして。 ここで言いたいことは空っぽであった私が大学に入り急激な外向性を身につけたことによる弊害、内向性不在による外圧の強襲。 そこで私が取った行動は、歪んだわが身の隙間から搾り出すように内向性を垂れ流させやっとこさ表現させようと日々悪戦苦闘することです。 それはどう見てもわが身から出たもの。 脱ぎたての衣服の温かみを自らが寒ければ寒いほど惜しく感じるように、やはり捨てたものにも同じ感情が沸いてしまうようなのです。 参ったなこりゃ ニャーーーーーー ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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