イラクの新特許法:農民への宣戦布告
イラクの新特許法:農民への宣戦布告フォーカス・オン・グローバル・サウスグレイン報道発表2004年10月 2004年6月前暫定占領当局行政官ポール・ブレマーがいわゆる「主権委譲」を終えてイラクを去ったあとに、占領当局の長として彼が制定した100の「指令」が残された。指令81もこの一つで「特許、工業意匠、営業秘密、集積回路、植物品種」を対象としている。これはイラクの1970年制定の特許法を改訂するもので、今後イラク政府が廃止しないかぎり法的効力を持ち続ける。この指令は、イラクの農民と農業の将来に重要な意味をもつだけでなく、イラク経済体制の根本的改革を目指すアメリカの計画の一環として重要な役割を担っている。得をするのは誰か? 何世代にもわたってイラクの小規模農家は規制の及ばない商品経済外の世界で種子を保存・交換して農業を営んでいた。農家は長年、種子を自家採取・保存したうえ自由に品種改良し農家同士で交換してきた。こうして作物を作付け、栽培、収穫してきたのだった。しかし、これは今は昔の話となってしまった。イラク暫定占領当局(CPA)が、法で定められた登録新品種の種子の再利用を禁止したからである。戦争と干ばつを乗り越えて今にいたるまで保管されている既存の種子は、これまで通り自家採取し利用できるが、これは為政者側の再建計画の目指すところではない。法が目的としているのはイラクに新たに種子市場を創設することである。つまり遺伝子組み換え種子であろうとなかろうと、とにかく企業が所有する種子を売りつけ農民がその新しい市場で毎年作付けのたびに種子を買わなければならなくするのだ。これまでイラク憲法によって、生物資源の私的所有は禁止されてきたがこのたびアメリカが制定した法によれば、種苗の専売権という考え方が認められることになる。イラクの前特許法に「植物新品種に対する保護」を規定した植物品種保護制度(PVP)を述べた章が新たにつけ加えられたためである。PVPは、知的所有権(IPR)の一つ、言いかえると植物に対する特許権の一種で新品種を発見または開発したと申請する者に対して与えられる独占的専売権である。したがってPVPの中の「保護」という言葉にはまったく保存、保全という意味はない。営利育苗業者(ほとんどは大企業)の商業的利益の防衛という意味で使われている。 保護品種として登録されるには「植物の新品種の保護に関する国際条約」(訳注:UPOV条約。1961年に制定、91年に改正された。改正の要点は育成者の権利に特許権に似た考え方を入れた点)の基準にある、新規性、区別性、均一性、安定性を満たさなくてはならない。(訳注:区別性とは既知の品種と何かしら違うところがあること、均一性とは生育の途中で形質が変化しにくいこと、安定性とは形質が安定していること)。ふつうの農家の種子は、これらの基準を満たしにくく、PVPによって保護された種子とは、必然的に企業のものを意味することになる。この制度で育成者(種苗業者など)に認められた権利は、生産、再生産、販売、輸出入、保護品種の保存などである。これらの権利は種苗だけでなく収穫物にも及ぶ。また保護品種を利用して得られた収穫物の全体だけでなく部分にも及ぶ(訳注:権利は一般消費用収穫物全体と種子だけでなく、枝を使った挿し木接ぎ木など栄養生殖による繁殖にも及ぶ。つまり農民は挿し木接ぎ木もできない)。多くの場合このような品種保護制度は、本格的な生物特許制度への布石である。イラクの場合もまさにその通りで、法の他の部分では植物または動物の特許登録の可能性を排除していない。 独占期間は作物品種については20年間、樹木とぶどうについては25年間とされている。この期間保護品種は事実上育成者の占有財産であって何びとも育成者に対して対価を支払わずにこの品種を植付けるといった利用のしかたはできない。つまりイラク農民はこの改訂特許法の植物保護制度のもとで登録された品種はどれも、法の手続きを経ずには作付けることも種子を自家採取して利用することもできないのである。農民は種子を自家採取し利用するという、世界中の農民が当然の権利として主張する権利を奪われるのだ。企業の支配 この新法はイラクの種子供給の質を確保するため、またイラクWTO(世界貿易機関)加盟を促進するために必要であるとして制定された。しかしこの法が促進するのは、モンサント、シンジェンタ、バイエル、ダウ・ケミカルなど世界の種子市場を支配する巨大企業のイラク農業への侵入である。農民から競争力を奪うことはこれらの企業がイラクで操業開始するための必要条件であり、新法によりこの条件が整った。食料の生産から消費にいたる過程に一歩食い込むことがこれら企業の次の目標である。 この新法はまた積極的にイラクにおける遺伝子組み換え種子の商業化を促進している。世界中で農民と消費者が真剣に反対しているにもかかわらず、まさに上述の企業が世界中の農民に遺伝子組み換え作物を押しつけて利益を上げようとしているのである。業界の主張とは逆に遺伝子組み換え種子は農薬使用量を減少させるどころか、環境と健康に大きな害をもたらし農民はアグリビジネスに依存せざるをえなくなる。インドなどでは遺伝子組み換え作物の環境中への放出が「偶発」的な出来事をよそおって実行されている。遺伝子組み換え作物と非組み換え作物を隔離するなどと言っても、実質的にできないからだ。農業と生態系の間の循環に組み換え遺伝子がひとたび持ち込まれたなら、回収も遺伝子汚染からの浄化もまったく不可能である。 WTO加盟問題との関係で言えば、イラクがWTOの知的所有権に関する規定に適合するための措置には、国際法的には多くの選択肢がある。しかしアメリカはイラクが選択肢を検討する余地をいっさい認めなかった。見せかけの再建 現在世界中で地域の農民を犠牲にして多国籍企業の独占権を保護する種子特許法採択の動きが起きている。イラクもその一つの舞台である。過去10年、途上国の多くは二国間条約によって、種子特許法の採択を強要されてきた。アメリカは、スリランカやカンボジアなどの国との二国間通商協定において、WTOの知的所有権基準を上回るUPOV型の植物保護法を実現してきた。また紛争後の国々をとくに狙い撃ちにしてきた。たとえばアメリカは再建計画の一部として、最近アフガニスタンとの間に通商・投資枠組協定を結んだ。この協定にもまた知的所有権に関する規定がある。 イラクは、新特許法の採択が主権国家間の交渉によるものではなかったという意味で、特別の事例である。またイラク国民の意思を反映した主権をもつ議会によって制定されたものでもなかった。イラクにおいて新特許法制定は、新自由主義的な方針に沿って被占領国経済を根底的に改革しようとする、占領軍政の全体計画のまさに一環にほかならない。改革にはさまざまな都合のよい法の採択だけでなく、自由市場体制に直結した制度・機構の設立も必要なのである。 指令81は、ブレマーが残した100件の指令の一つにすぎない。この中で問題の指令39は注目に値する。これはイラク国内市場の利用にあたりイラク人と同等の権利を外国人投資家に与えることを、事実上のイラク経済の法的枠組みとするものである(訳注:外国人投資家にイラク人とまったく同等の条件で、一部を除くほとんどすべての分野に投資する権利を無制限に認めている)。 これら法すべてをあわせると、イラク貿易体制、中央銀行設置法、労働組合法などほとんど経済の全領域をカバーしイラクに新自由主義的体制を作るという遠大なアメリカの目的へ向けての基礎となっている。指令81の条文にはイラクの「不透明な中央集権的計画経済から活力ある民間セクター確立による持続可能な経済成長を特徴とする自由市場経済への移行とそれを実行するための法制度改革の必要性」に沿うものであると明確に述べられている。イラクでこれら「改革」を推進してきたのは米国際開発庁で、2003年10月からイラク農業復興開発計画(ARDI)を実施してきた。これを実施するにあたりアメリカのコンサルタント会社、デベロップメント・オルタナティブに500万ドルの1カ年契約が与えられた。契約ではテキサス農工大学が実施協力機関となっている。事業の一部は、オーストラリアのサグリク・インターナショナルに下請けに出されている。ARDIの目標は農業部門の再建に名を借りてアグリビジネスの機会を開発し、輸入農産物とサービス(無形財)受け入れの市場を整備することである。 このように復興事業は、必ずしも国内経済と国力を再建するものではなく、占領軍政が認めた企業がイラクの市場に投資するのを助けるものである。ブレマーの敷いた法的枠組みは、米軍が将来撤退したとしてもイラク経済に対する米支配は残ることを保証するものである。食糧主権 食糧主権は自分たちの食糧・農業政策を選択し、国内の農業生産と通商を保護・規制し食糧生産の方法や地域で生産すべきものと輸入すべきものを決定する人民の権利である。この10年食糧主権の要求と種子の特許登録に対する反対は、世界中の小規模農民の中心的闘争課題であった。イラクの知的所有権法を根底から変えることによって、アメリカはイラクの農業システムが確実に「占領下」にとどまり続けるようにした。 イラクは自給できる能力をもっている。しかし、この能力を発展させる代わりにアメリカは、イラクの食糧生産の将来像を米企業の利益に奉仕するべく方向付けた。イラクの新知的所有権制度はかつて小麦、大麦、デーツ、豆類などの重要作物の開発・改良に果たしたイラク農民の役割に少しも敬意を払っていない。1970年代にバグダード郊外のアブグレイブにおいてこれら農民の手になる品種の標本の保存が開始されていた。長い戦争の年月にこれらすべてが失われたのではないかと考えられている。しかしシリアにある国際農業研究協議グループ(CGIAR)の国際乾燥地域農業研究センターの台帳にはまだイラクの品種数種が載っている。イラク農民の知恵の証であるこれら収蔵種子は、センターにより保管されているはずである。これらはいまやイラク農民に返還されるべきイラク農民の農業遺産である。国際的農業研究センターによって保管されていた遺伝資源が、先進国の研究者の研究開発用に流出するという状況が続いている。このような「生物資源に対する民衆の権利侵害」は、先行する農民の技術を無視し何か新規なものを作りだしたと主張する種苗業者に権利を与える知的所有権体制によって加速されている。新規なものも元々は法が顧みない農民の知恵と財産から生まれたものであるのに。 政治主権がいまだ幻影である状況において、イラク国民の食糧主権の確立はこれらの法制度によってすでに不可能に近い。イラク人が自らを養うために播き育て刈るものを自ら支配できなければ、イラクの自由と主権が確立する日は遠いだろう。(訳注)1)フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス(Focus On The Global South)はタイ、チュラロンコーン大学に拠点をおき途上国の貧困、開発などの問題と取り組んでいる。2)グレイン(GRAIN)はスペイン、バルセロナに本拠をおき民衆の力で多様で持続可能な農業を実現するための運動を推進している。 3)「2004年特許、工業意匠、営業秘密、集積回路、植物品法」Coalition Provisional Authority Order Number 81, Patent,IndustrialDesign, Undisclosed Information, Integrated Circuits And Plant Variety Law(CPA/ORD/26April2004/81)原文は以下で読めます(2005年6月30日まで)。http://www.iraqcoalition.org/regulations/20040426_CPAORD_81_Patents_Law.pdfこの稿の原文は以下で読めます。Iraq's new patent law: A declaration of war against farmers by Focus on the Global South and GRAIN October 2004 NEWS RELEASE http://www.grain.org/articles/?id=6 (翻訳:TUP/池田真里)