未来は挑戦、変化は楽しみ/ご奉公終了
(11:00記)我々が近い将来重大な変化を迎えることは明らかでしょう。あいにく変化が穏やかに訪れることはめったにありません。新しい世界を構築するためには、古い価値に固められた古い世界を解体する必要があるからです。一極集中が著しく、とんでもなく巨大化してしまった産業は、今でさえ自らの重みで窒息寸前になっているように思えます。政治機構は本来治めるべき規模をはるかに超え、はるかに多様化している社会になんとかして歩調を合わせようとしています。我々のある意味やんだ経済状況に対して、診断を下すことはできても、それを治すことは残念ながらできそうにない雰囲気があります。地球を生命が住めない惑星に変えてしまう力を持つ技術の進歩を我々は現在目の当たりにしています。進歩それ自体が社会不安を生み出します。人々と進歩とは愛憎入り混じった関係にあるのではないでしょうか。我々は新しいものを大慌てで歓迎し、真新しさがなくなると置き去りにしてきたものを懐かしんで後ずさりする。二歩前進一歩後退。結果的には前進することになります。ときには急速に前進することもあります。しかし、一貫してでこぼこの激しい道のりです。進歩のもう一つの本質的な問題は、加速度がつくことにあります。先進社会や人々はますます進歩が速くなるため、進んでいる国(=持てる国?)と遅れている国(=持たざる国?)とのギャップがますます開いていきます。これは非常に危険なことでもあり、また興味深い疑問も湧いてきます。もし、我々が本当に持てる人々であれば、持たざる人々とのギャップを縮めることは我々次第なのでしょうか?そんなことが可能なのでしょうか?更に重大なことは、我々はその間に自分たちを守ることができるのかということです。軍事力の行使を不快で非人道的だと思うだけの知識や教養がある人々は、進んで軍事力を使おうとする人々から身を守ることができるのでしょうか?なんとも、未来の世界の話が情けない感じになってきました。その理由は、未来の世界は現実の世界でもあり、現実の社会では、物事が必ずしも最良の結果になるとは限らないからです。ここで、我々の世代の核心的な問題が出てきます。それは我々の世代は前進しながら団結を保っていくことができるのかということです。我々の意識は、果たして技術の進歩についていけるのでしょうか?その答えはやはり、我々の内側にあるのでしょう。我々が直面しているどの問題にも、積極的な行動を取るチャンスが山ほどあるといえます。たしかに世界の終末が訪れる可能性は、あるでしょう。ですが、未来を恐れるのはおそらく自然なことだと思います。しかし、我々には新しい世代が皆そうであるように、こういう臆病な態度否定する以外に取る道はないような気がします。我々には新しい答えがあるのだと思う方がいいでしょうし、その答えを意欲的に試していく必要もあるでしょう。我々にとって未来は挑戦であり、変化は楽しみなものです。幸運なことに、我々にはたくさんの味方がいます。例えば、遠隔通信はエネルギー問題の解決につながるかもしれません。遠隔通信のめざましい進歩によって、意識にも基本的な変化がもたらされつつあります。専門職の人々は、毎日会社に通うよりも自宅で仕事をすることが多くなるかもしれません。転職の場合も、同じところにいて、単にアクセスコードを変えるだけのことになるでしょう。皮肉にもハイテクがもたらしたものは、定着意識、地域意識、家庭意識の高まりなのでしょうか?ほかにも海洋牧場、気象管理、遺伝子工学などの新しい技術が出てきており、それのどれもが驚異的な進歩の可能性を秘めています。そして、正しい科学の使い方を信じるなら、更に知識を深めることで、この惑星の法則を完全に変えてしまうことでも、かなり現実的に可能ともいえるでしょう。我々の誰でも、役に立てることが何かあります。あたりを見回せば、また自分の内面を見れば、それが何か分かるでしょう。我々はそれを優先してやる方がいいと思います。これ以上に大切なことはありません。歴史的に、我々ほど失うものも得るものも、多く持っている世代はないでしょうから。(16:34記)昨日ようやく父の免停期間が満了し、本日試験場まで免許を受け取りに行くため、最寄の駅へ送りました。この1ヶ月間の父の送り迎えが無事終了致しました。父は戻ってきたその足で、母を連れて姉と可愛い甥を車に乗せて、姉の家まで送り届けに出かけました。基本的には優良運転者なので大丈夫でしょう。私の日記リンクしている方々のページはすごく面白いので、覗いてみて下さい。