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国が自粛勧告しているにもかかわらず、
ダウン症などの先天異常の確率を推計する 「母体血清マーカー検査」は、 年間、一万5千件以上実施されている模様だ。 この不完全な検査によって、 胎児に障害の可能性が指摘されるだけで、 中絶されてしまうことも多いようである。 これは本当に大問題ではなかろうか。 さらに踏み込んで考えると、 障害を持って生まれることは、許されないことなのだろうか。 親に足手まといの子供は、生まれる権利がないのであろうか。 8年前に亡くなった私の兄は、ダウン症であった。 兄の人生は、生まれてくる価値のない、 無意味な人生だなどとは、決して思えない。 兄がいてくれたおかげで、 家族は多くのことを学ぶことができたからだ。 私個人にしても、兄の存在がなければ、 どれほど傲慢な人間になっていたかわからない。 弱者に対するやさしさなど、かけらも存在しないような、 嫌な人間になっていた可能性は充分に考えられる。 しかし、家族に障害者がいるということは大変なことだ。 私は、兄弟という比較的楽な立場でそれを体験したのだが、 それが親の立場であったならば、 我が子が障害を神仏より授かったならばと思うと、 その重圧は想像を絶する。 我が子の障害の可能性が検査で指摘されたとしたら、 その苦難をうやうやしく 神仏から受け入れる勇気があるかどうか、 私は完全には自信を持てない。 されど神仏は、 「その逆境にあって、あなたは一体どうするのか」と、 問い掛けていることを忘れてはならない。 「その逆境を見事に乗り切り、 心にすばらしい宝物を作り上げなさい」と、 期待していることを、同時に忘れてはならないのだ。 「人生は一冊の問題集である」と、かつて読んだことがある。 個々人に与えられた、逆境とも思える環境は、 その人が心を鍛え、慈悲心を養い、智恵を深めるために、 神仏より与えられたものだ、という考えだ。 その考えの上に立つとき、 障害と共に生まれてくる子供は、 神仏からの授かりものでしかない。 「苦しいかもしれないが、この環境で頑張りなさい。 これが、あなた方が今世なすべき課題ですよ」という 神仏の言葉が伝わってくるのだ。 かつて、作家の景山民雄さんの、 亡くなられたご長女の話しを読んだことがある。 彼女は障害と共に生まれ、 一度も病院から外に出ずに19歳で亡くなられた。 真偽のほどはわからないが、 亡くなられた彼女が景山さんに対して、 自分が不自由な身体で生まれてきたわけを 教えてくれたと言う。 それは、「私がこうした人生を選ばなかったら、 パパが弱者に対する優しさを持てない可能性があったから」だ というものであったそうだ。 その文章の題は 「どんな人生にも敗北はない」というものであった。 たとえどのような障害を持とうとも、 その人それぞれのすばらしい人生修行を歩んでいるのだ。 せっかく神仏から授かった生命である。 人間心で選択し、中絶していいはずなどない。 そう、「人生は一冊の問題集」なのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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