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今夏、我が家に迎える、
「微笑みの国タイ」からの、お客人のことを考えていて、 妙なことに思いが至りました。 「微笑み」と、 「冷笑」と、 「薄ら笑い」 この三つ、どう違うのだろう、などという疑問です。 面と向かって浮かんだ笑みが、 区別付かないはずもなし。 されど、眼に見る外見だけじゃ、 何の違いもないかも知れぬ。 写真で瞬間切り取れば、 果たしていかなる笑みなのか、 とんと想像付かぬがオチよ。 でも、分かりますよね。 分かる、というよりは「感じる」んでしょうか。 全体から受ける波動が何なのか、 それで区別が付くのでしょう。 もう学生の頃ですから、ずい分と以前のことですが、 チャップリンの「街の灯」のラストに、シビレたことがあります。 チャップリンの満面の笑みがアップになって終わるんですが、 その笑顔に感動したんです。 「どうやったら、こんな笑顔を出せるんだろうか!」、とです。 それからしばらくの間、鏡の前で格闘していたことを思い出します。 いかなる技術や工夫があるのか、懸命に模索していました。 (ヒマでしたねえ・・・) 結局、出た結論は、「技術でも造作でもない」ということです。 すなわち、「心の奥底からの愛の思い」が噴出しなければ、 あの大輪のバラのような笑顔は出てこない、という結論でした。 ありったけの愛念とやさしさとを、 心の底から搾り出すと、 あのラストに似た大輪のような笑顔が、 鏡の中にありました。 やはり、心が全てです。 いかなる技術があろうとも、 いかなる造作があろうとも、 心の中から何がほとばしり出てくるか、 人は敏感にそれを察知するのでしょう。 愛こそ全てです。 心の底から湧き出でる愛念と、 そして大輪のバラのような笑顔とが、 この地上を埋め尽くさんことを願います。 心の底より。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.07.31 22:25:03
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