|
カテゴリ:心
高価な神戸牛のステーキは
大きな塊りのままでは食べられない どんなに美味しくても 切り分けるなければ 食べられないからだ 愛も同じだ どれだけ深く高邁な「愛」でも 受け入れられない「愛」ならば ないのと同じである 受け入れてもらうには その相手を分析して 理解することが 愛の第一歩だ はるか遠くの目標まで 自分で勝手に走れといわれても 誰もそんなことは出来ない 「ここの足場に 一歩 右足を出してごらん」 こんな風に 共に悩んで苦しんで 「どこまでならば耐えられるか」 「そうすれば理解してもらえるか」 それを考えるのが「愛」であろう 「応病施薬」という 仏教の言葉がある その人の病状に合わせて 薬を処方する という意味だ 病状に合わせた薬であるのは当然 さらには その薬が飲めるかどうかも 大切だ 高価な朝鮮人参だとて そのまま かじるわけにはいかない 口に苦い良薬が飲めない人もいるだろう オブラートに包んだり 糖衣錠を用意したり 愛には そんな準備が不可欠だ 眼前に 悩める人がいるならば 智慧の限りを尽くして「愛」する必要がある 洞察力も 分析力も 知識であれ智慧であれ 全ては「愛」のためにあるのだ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.04.07 08:10:20
コメント(0) | コメントを書く |