六十歳の大学生

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2004年09月03日
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 ついに軍歌は、ここまできたかと思わせるのが「比島決戦の歌」(一九四四年三月、作詞・西條八十、作曲・古関裕而) です。

 一、決戦かがやく 亜細亜の曙
   命(いのち)惜しまぬ 若櫻
   いま咲き競う フィリッピン
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 二、陸には猛虎(もうこ)の 山下将軍
   海に鉄血(てっけつ) 大河内(おおかはち)
   みよ頼もしの 必殺陣
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 三、正義の雷(いかづち) 世界を震わせ
   特攻隊の 往くところ
   われら一億 共に往く
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 四、御陵威(みいつ)に栄(さか)ゆる 同胞(はらから)十億
   興亡岐(わか)つ この一戦
   ああ血煙の フィリッピン
   いざ来いニミッツ マッカーサー
   出て来りゃ地獄へ 逆落とし

 軍部の依頼で、読売新聞社が作詞を西條八十に依頼したものです。
 当時のアメリカ軍の指揮官が、マッカーサー(陸軍総司令)、二ミッツ(海軍総司令)の両将軍でした。
 歌の目的は、フィリピン(比島)の決戦を機に、さらに国民の士気をふるいたたせ敵がい心をたかめるためです。
 歌と平行して「いざ来いニミッツ・マッカーサー、出てくりゃ地獄へさか落し」と記した大きな長い垂れ幕が、東京の丸ビルや有楽町駅の近くのビルの屋上や屋根に出されました。
 日本軍は、反抗を開始したアメリカ軍によって、一九四二年のミッドウェー海戦に敗れ、それ以後、つぎつぎと敗北と退却をつづけました。
 この歌は、こうしたなかでつくられたものです。
 アメリカ軍は、一九四四年七月から九月には、サイパン、グアム、テニアンのマリアナ諸島を占領し、ここに日本本土を爆撃する基地をつくりました。
 この年の十月二十日、アメリカ軍はフィリピンのレイテ島に上陸。同月二十四日、日本海軍は、レイテ沖海戦で敗れ、連合艦隊の主力を失いました。
 そして、一九四五年二月にはフィリピンのルソン島をアメリカ軍に奪われ、三月には硫黄島(いおうとう)の守備兵二万人が全滅します。
 中国でも、この年の春から八路軍(はちろぐん)の反抗が強まり、日本軍の退却がはじまりました。
 西條が、戦後、軍歌について書いています。
 「ぼくは流行歌、軍歌の如き歌謡は、もとから芸術品ではないと考えている。だが、芸術品でなくとも、これらには政治、産業などと同じく、百万人、千万人の人間を動かす力があるのだ。そういう点で、男子が一生を賭ける仕事として価値があると信じるのだ」(『私の履歴書 第十七集』、日本経済新聞社)
 「流行歌、軍歌の如き歌謡」と流行歌、軍歌をひとまとめにしたずるいいいかたで、軍歌をつくったことの「価値」を論じている文章です。
 西條は、同じ文章で「いざ来いニミッツ マッカーサー 出て来りゃ地獄へ 逆落とし」のところは自分の創作ではなく、レコード吹き込みに立ち会った参謀本部の軍人たちの創作だと他人の弁を借りながら弁明していますが、この部分があってもなくても、一億に必勝を呼びかけた「比島決戦の歌」の本質は変わりません。







最終更新日  2004年09月04日 12時28分02秒
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