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テーマ:学校生活(513)
カテゴリ:醍醐山の麓
今日は醍醐山の麓にある下部小学校の最後の卒業式でした。
昭和31年9月30日、下部・久那土・古関・共和村の一町三ヶ村が合併し下部町が誕生しました。 当時の人口は現在の身延町よりも多い1万4390名でした。 下部小学校はそれに先立ち、昭和30年1月1日に下部小学校 に改称され、62年の歴史を持っています。 昭和34年には児童数1058名を数え、西八代郡を代表する大きな学校でした。 その後児童数は激減しましたが、延べ5500名を超える卒業生を送り出しています。 下部小学校は3月19日に閉校式を迎えます。 20日には久那土小学校が閉校します。 昨年の3月には同じ五条ヶ丘で向かい合っていた下部中学校が閉校し、久那土中学校もまた閉校しました。 小鳥が笑いさざめくように、子供達の声がにぎやかに五条ヶ丘に登っていった時代は終わりました。 下部町に1万を超える人々がいた頃より、 日本の人口ははるかに増えているのが不思議です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.03.18 00:09:56
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