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テーマ:峠めぐり(13)
カテゴリ:旧下部町(山梨県身延町)
勝坂と書いて「かんざか」。武田が今川に勝ったと言われる峠です。
勝坂への道 武田軍がこの峠で休息した時、信玄は夢で地蔵尊の姿を見て、石に「地蔵尊」と書いて供養しました。 今川の大軍がこの坂下まで押し寄せた時、山から武田軍の異様な唸り声が聞こえ、 雑木がまるで武田の大群のように見えて、恐れをなして退却したそうです。 うなり声は、地蔵にかけてあった金輪が風で鳴ったものでした。 以来地蔵を輸鳴り(わんなり)地蔵と呼び、この坂を勝坂(かんざか)と呼ぶようになったと伝えられます。 勝坂の分岐 山のてっぺんにある勝坂配水池 ぽっかりと大きな月の見える名所でもあり、富士見山をはじめ近隣市町村の眺望がすばらしい峠です。 勝坂からの富士見山 富士見山 左から福原・矢細工・平須・久成・大塩の各集落 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.06.15 23:19:28
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