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醍醐山と下部(しもべ)温泉

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二代目館長日記 bnvn05さん
2025.02.20
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カテゴリ:お出かけ情報
徳川家康は自分の死後「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、八州の鎮守になろう」と遺言しました。
その遺言に従い2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建されました。
国宝の社殿の奥にはさらに険しい石段が神廟へと続きます。
石段の高さは家康の威厳を示し、頭を垂れて足元を見つめるためと言われています。

廟所参道(重要文化財):廟門から神廟までの参道です。左右の石灯籠は家康公に仕えた武将たちが奉納したものです。


山の下から社殿までの石段は1159(いちいちごくろうさん)段だそうです。そのさらに先に、この子供の膝ほどもある険しい石段が神廟まで40段続きます。


神廟(しんびょう)(重要文化財):家康の遺命により西向きに建てられています。西には、家康の両親が子授け祈願の参籠(さんろう)をした鳳来寺、さらにその西に岡崎の松平家の菩提寺大樹寺と誕生の地・岡崎城があります。そしてその延長線ははるか京の都へと続いています。


金のなる木:家康は「金のなる木」には3つの枝があると家来に伝えました。一つ目の枝は「よろずほどよ木」(すべてほど良き)、二つ目の枝は「しょうじ木」(正直)、三つ目の枝は「じひぶか木」(慈悲深き)です。細川忠興がこれにさらに8本加えたと伝えられています。


廟所参道(重要文化財)からの社殿(国宝):夕暮れの海がのぞきます。


家康梅:徳川家康が愛した梅が駿府城から移されています。





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Last updated  2025.02.20 06:00:13
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