北杜の初秋(1)清泉寮
清泉寮は1938年「清里開拓の父」ポール・ラッシュ博士により創設されました。当時の司祭が清泉寮キャンプ場のある敷地が当時の清里村と大泉村にまたがっていることから、両方の地名の頭文字から一文字ずつとって「清泉寮」としてはどうかと提案したものの、単純に地名を一文字ずつとったことに最初博士は不満げだったそうです。しかしその意味が「ピュア・スプリング」(清らかな泉)だと知ると大喜びで賛成したと伝えられています。清泉寮本館本館は火災を経て1957(昭和32)年に再建し、落成奉献式には高松宮両殿下もお越しになりました。2009(平成21)年には新館が、本館のイメージを継承した宿泊研修棟として建設されました。清泉寮新館ジャージハット:清泉寮のソフトクリームは清里の代名詞です。ジャージハットからの富士山(3,776m):右は毛無山(1,964m・山梨百名山)、手前は斑山(1,115m)ジャージハットから:左から富士山、櫛形山、千頭星山(2,139m・山梨百名山)、辻山(2,585m)、鳳凰山(2,841m・日本百名山・山梨百名山~薬師岳・観音岳・地蔵岳)、高嶺(2,779m)間ノ岳(3,190m・日本百名山・山梨百名山)、北岳(3,193m・日本百名山・山梨百名山)ジャージハットからの北岳:その右は小太郎山(2,725m・山梨百名山)、アサヨ峰(2,799m・山梨百名山)、摩利支天(2,820m)、甲斐駒ヶ岳(2,967m・日本百名山・山梨百名山)