睡蓮の目覚め…
小川いらさんの、『夜明け前の睡蓮』を読みました。前作『真夜中の睡蓮』で出逢った二人が、ようやく恋人同士になりました…横浜で漢方薬局を営む高黎蓮(コウ・リィレン)は、店に訪ねて来た刑事の小林一から、薬物反応が出ずに幻覚症状を引き起こすような薬はあるかと問われます。その頃、いきなり錯乱して、周囲に刃物で切りつける事件が続いていました。弁護士の仲神正志は、黎蓮に危険な事に首を突っ込まないよう忠告しますが、早朝の公園で黎蓮は意識のハッキリしない若い女に首を絞められてしまいます…GWの横浜開港記念みなと祭に沸く中華街で人間の強欲さが引き起こした事件を、美人な黎蓮が、伊達男の仲神と、憎げない小林と幼馴染の施浩(スウハオ)に支えられ、解決していきます。そこには、他国に根付いている人々と定着せずに流れ流れていく者と、意識的に同化する部分としない部分と、こだわりや意地や無意識や、共感や情や言葉や沈黙や、中国人と日本人との関わりが、さりげなく表されています。殊更、強調する事なく、1/4日本人の血を持つ薬剤師と1/4中国人の血を持つ弁護士という設定が、実に巧みに活かされているのです。中華街の長老たちで結成された黎蓮ファンとか、一向に気付いてもらえない小林と施浩の失恋同盟とか、クチコミで集う観光客集団とか、美人を取り巻くコメディ要素も豊富に埋蔵されている作品なのですが…どうやら、小川さんには中華街シリーズとする計画はないようです…残念!やはりそのあたり、描きたいのは異民族間の相互理解とか、異質な部分に対する寛容とか、要は人間同士の根本的な情というところだろうと思います。祭の仮装パレードに借り出された黎蓮のコスチューム・プレイという美味しいフリもあるのですが、むしろその美女振りに翻弄される周辺ではなく、化粧をされた顔を見られた事に動揺する黎蓮がクローズアップされているあたりにも、国籍とか肩書きとか上辺ではなく、人間の素の部分こそが重要だと感じられます。とはいえ、今だ眠れる花である黎蓮が仲神に愛され艶やかに開花する、二人の恋の行方こそがこの物語の主題です。黎蓮は自分自身の心の行方を確かめつつ、決して容易くなく、でも無駄な意地を張る事なく、恋に身を委ねていきます。そのあたり、仲神は無理強いせず情熱的に愛を注ぎ続け、黎蓮の覚醒をゆったりと促していくので、ちょっと余裕過ぎるようなところもあるのですが…何しろ黎蓮が鈍感で、小林も施浩もまーったく波乱どころかさざ波も立てさせてもらえないあたり、ちょっと可哀想だったりもします。とはいえ、恋をゆったりと育ませる事ができる男というのは、何とも好もしいものです。巻末の「昼下がりの睡蓮」で、黎蓮の微笑ましいツンデレ振りを見る事ができます。手料理を振る舞い、甲斐甲斐しく世話をする仲神は、明るい陽の中でほころぶ黎蓮に、この上ない至福を感じました。「睡蓮の花のように清楚なのに、真夜中に咲く様はどこまでも淫ら」と、その一部分しか見せていなかった黎蓮は、夜も昼もなく飾る事も隠す事もなく、その美しさのまま咲き誇っています… 『夜明け前の睡蓮』 2009年3月 ルチル文庫 小川 いら * 緒田 涼歌