身体の語ることば
大学時代に 竹内敏晴先生の「身体と言葉のレッスン」というものを受けたことがあります。その人の精神や心のありようが 声や動作にどのように表れるものであるのか、人は大抵無自覚に言葉を発して、人とかかわりをもっているけれど、それがいかに表面的で 中身を伴わないものであるか。とか実際に身体を使った授業で みなで床に寝そべったり、触れ合ったり、声を出して呼びかけあったりするレッスンでした。それまで 学んだことのないような内容で、私にとっては 仰天、ものすごく印象的な授業でした。大学で学んだ大抵のことは忘れてしまったけれど、未だに竹内先生の講座はかなりよく覚えています。その授業では優等生とそうじゃない人との逆転がありましてね。大学は国立の教育大学でしたので、生徒は大抵 学校の優等生でまあ成績はいい方の人たちの集まりです。でも、そういう人たちって、身体の感受性が鈍くて・・・ですね、人に対してリラックスできないし、ひどい時には手でゆったりと触れ合うことさえできない。私も例外ではなくて、小さいころからすごく身体を固めて緊張して生きてきていたんでしょうね、手と頭で支えて逆立ちする3点倒立ってのがどうしてもできないままでした。はっきり言うと 小さいころから頭を使って優等生でやってきた人たちは、身体が鈍い!多分感受性も鈍い。全員そうだと言うわけじゃないだろうけれど、鈍い人たちが多い。そういう人たちは他者に対する間口も狭かったりするわけなのです。子どもの教育に向いているとは、なかなか言いがたいかもしれない。 K君、去年の夏から英語の勉強にうちに来ていました。3月に無事に志望した高校に合格して、今楽しそうに高校に通っているので、良かったな♪でありますが、いやあ、びっくりしたのが 彼が今まで見たこともないくらい 身体のコチコチで固い少年であったことです。前屈させてみると、手の先が床上30センチくらい。腰も固いし、いつも肩が凝っていて、眼も疲れていて そのせいで頭痛持ちのようでした。いい子なんですよ。いつも大人の言うことを素直に聞いて、悪いことはしてはいけないと自主規制をきっちりはめて、気持ちのとても優しい子です。でもねぇ、彼もまた自分の本心に蓋をして、しゃにむに保護者の敷いたレールをまじめに走る・・・それ以外のことを許されてこなかった子どもなんですよね。英語が大っ嫌いなのに、勉強していい成績取らなくちゃ。でも、教科書開くと 頭が3分でフリーズ、そういう状態でした。ありゃりゃ これじゃあ、英語頭に入りっこないよねえ。と 私には見えた。で、英語を楽しむことからなんとか英語の勉強続けていったのですが。入試では半分くらい取れたのかな?だいぶ英語わかるようになってたとは思うんだけど。 でも、彼 たぶんうちに来て良かったんだろうと私は思っているのだけれどちゃんと会話するーーーってことをうちではやってました。自分の本心を探って会話すること。頭ごなしに命令されるのではなく、いっしょにどうしたいのか考えて 二人で決めた方向で授業を進める。嫌だったら いつでもそれは嫌だと言っていい。疲れたら疲れたと言っていいし、わからないときには教えてくれと言うこととかね。彼は それまでそういう勉強の仕方をしたことなかったんだろうと思う。それから、基本的なストレッチとかボクササイズ。ボクササイズを使った肘での打撃方法、こぶしの使い方まで教えたぞ!苛められたら、初期のうちにやりかえせ、とかね。自分の本心を隠さないこと、自分で自分の気持ちをわかってあげること。そういうことが大切なんだよ、って教えてあげる大人が少ないのですよねえ。 自分自身を信用してない人は、相手も信用できないから、子どもを自分の範疇でコントロールしようとしてしまう。 竹内先生の授業から30年以上もたっていますが、この頃 あの当時よりももっと深いところで 彼の教えがようやくわかるようになったとも思います。太極拳で自分の身体意識が 敏感になったせいもあるんですけれどね。これから、もう少し、竹内先生の本を読み返そうかな・・・と 思っています。