遺したものは ひとびとと競馬とのつながり
水曜日の担当は、坂田博昭@札幌滞在中です。 いのちあるもの、いつかは…。 とはいえ、私たち誰もにとって、その知らせはあまりにも急なことでした。 一昨年の社台スタリオンステーションの種牡馬展示会で 競走馬現役の時は、私自身の生来の「あまのじゃく」「判官贔屓」の気質から、そのあまりにも強い姿をどこか斜に構えて、そして冷静に見つめていたような気がします。ディープインパクトが三冠を達成したあたりから、世の中に立ち上ってきた熱気を、受け止めきることが出来ていなかったような気がします。 当時、グリーンチャンネルのキャスターとしての自らの「取り上げ方」「語り方」があまりにも彼に傾倒しすぎることに、何度も自省を繰り返したりもしていました。 ディープインパクトのレースを生で見た機会で印象に残っているのは、2回。 1回は、ハーツクライに負けてしまった有馬記念。あのときの中山競馬場を包んだ、異様とも思える「驚き」そして「落胆」の雰囲気は、もう二度と味わうことはないだろうと思っています。「今日は飛ばなかったですね…」と武豊騎手が戦後語ったそのシーンまで目の当たりにして、私の心の中は(とても罰当たりなことに)深い「安堵感」に満たされていました。 ディープインパクトは、勝ちの世界にのみ身を置くヒーローなどではない。 「勝負」の世界に身を置く、最高の「競走馬」なのだと。 あの有馬記念は、丁寧に伝えれば競馬がまさに「スポーツ」であることを強烈に示すことが出来る題材だったはずだと、いまは確信しています。翌年凱旋門賞に至る一連の「熱狂」の間も含め、当時の私には、それをきちんと伝えるブロードキャスターとしての技量が、未だ備わっていなかったのかも知れません。 広く世間が凱旋門賞での彼の敗戦に落胆したあと、ディープインパクトはジャパンカップに出走しました。そのジャパンカップを、私はライブで観戦・取材することが出来ました。 私は当時、ネット上に日記的に公開しているブログに、こう書いています。 「彼が勝ったレースで、初めて感動できました。」 スタンドで、双眼鏡を使って彼の姿を追っていたら、直線で姿が消えた…とも。 あのときのスタンドで感じた場内の興奮と熱狂。そしてそれを湧き起こしたディープインパクト自身のパフォーマンス。誰も文句のつけようのない最高のアスリートとしての彼の姿を目の当たりにした観衆が、ブームでもフィーバーでもなく、かれが真の王者であると心から認めた瞬間に、立ち会ったような気がしました。 勿論、私もそう感じたひとり。このジャパンカップをライブで見ていなければ、私にとってのディープインパクトは周囲がなんと言おうと「ブームの中の馬の一頭」だったかも知れません。 実は、ディープインパクトが活躍し、世の中が彼の姿と話題に熱狂していたこの時期、競馬自体の状況はかなり厳しいものでした。このジャパンカップの直後、引退レースとなった有馬記念の売り上げは、それだけの世間の盛り上がりにもかかわらず前年対比マイナスで500億円を割り込み、年間のJRAの売り上げも大幅減。仕事として競馬に携わる中で、「ブームとは何か」ということを深く考えさせられた時期でした。 同じく、一昨年2月の社台スタリオンステーションにて 引退してから…ディープインパクトは現役時代のブームの「借り」とも言うべきものを、着々と返し続けてくれました。 産駒の活躍だけではありません。 現役時代に彼の姿を見た人たちが、長く彼の姿を記憶し伝え、「競馬を楽しむ」ということの広がりを強力にサポートしてきたことが、いままさに「ブーム」とも言われる第何次かの競馬の隆盛を支えているということ。 私は、ブロードキャスターとして競馬を伝える立場で、また、REXSやビギナーズセミナーなどの初心者教室に携わることを中心として、競馬の楽しみ方をお客様に語りながら、競馬に縁の薄い方々を競馬の世界に迎え入れるという役割を頂戴した立場で、現役時代よりも遙かに大きなディープインパクトの存在感を、肌で直接お客様方のリアクションから感じていました。 私にとって偉大なる競走馬・ディープインパクトの実像は、むしろ引退後にこそ実感することになったのです。 もうこれからは、ディープインパクトを知らない世代のひとびとを競馬の世界に迎え入れ、楽しんで頂く流れを作っていかなければなりません。 彼が築いてくれたもの。それは、ひとびとの心の中の、彼に関する記憶のつながり。そしてひいては、多くのひとびとの競馬とのつながり。 彼が遺してくれたものを、これからどうやって私たちは活かしていくべきなのか。 彼の訃報に触れ、そんなものごとへの想いを新たにしました。 ありがとう。ディープインパクト。 安らかにお休み下さい。