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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。
今回は、先週の鈴木祐・木村直輝両騎手のデビューとか鈴木祐騎手の初騎乗・初勝利の話を書こうと思っていたのですが、突然の話が。 櫻田浩三調教師がご逝去されました。21日の朝のこと、とのお話でした。19日に75歳の誕生日を迎えられたばかりでありました。 ★櫻田浩三調教師 岩手ではよく“櫻田一門”と言っていたのですが、遡れば「黄金競馬場」と呼ばれていた頃の盛岡競馬場で活躍していた櫻田石太郎から始まり、昭和初期から戦後まで活躍した櫻田浩、そして櫻田新一郎(騎手、調教師)、櫻田勝男(調教師)、櫻田浩三(騎手、調教師)の“櫻田三兄弟”へとつながる、まさに岩手の競馬史と共に生き、歴史を創ってきた名門。櫻田浩三調教師も騎手・調教師としてだけのみならず東北の馬産界とも長く関わり、全国の競馬界にも広く名を知られた名伯楽でした。 騎手から調教師に転身して1974(昭和49)年デビュー。4月13日に初出走・初勝利を飾ったという記録が残っています(水沢2R・イセヒカリオー)。 初の重賞制覇は調教師開業2年目の翌1975(昭和50)年。南部駒賞をサカノエミールで制しました。鞍上は平澤芳三騎手。櫻田浩三調教師の初特別勝ちとなった同年のIBC杯でも平澤騎手が手綱をとっており、初期の櫻田浩三厩舎の活躍の原動力は平澤騎手だったようです。 1990年代に入るとアラブの女傑・シバノアマゾネス、2歳世代で地方最強とうたわれたアプローズフラワー、アラブ競馬末期に息長く活躍したタービュレンスらを輩出。 2000年代ではJRA特別勝ちを果たしたガッサンヒカリ、ダート中長距離戦線の主的存在だったグローバルゴット、マイル・短距離路線で芝ダを問わず活躍したトキオパーフェクトらの名前が挙がります。 2000年代はグレードレースでも存在感をしめされました。03年東京大賞典4着のデンゲキヒーロー、05年全日本2歳優駿2着のアテスト。06年ジャパンダートダービー3着のオウシュウクラウン。そして06年10月、エーデルワイス賞をパラダイスフラワーで制し、初めてのグレードタイトルを手にしました。 ★2006年、旭川競馬場でのエーデルワイス賞制覇の口取り 近年もトーホクキング、コミュニティらみちのく大賞典の勝馬、あるいはアスペクト、スペクトル、サプライズハッピーといった2~3歳戦線での活躍馬を送り出し、各世代にまんべんなく有力馬を配しているというイメージを保ち続けました。 ★トーホクキングでみちのく大賞典制覇(2012年) ★トーホクキングはその年の4歳以上最優秀馬に。IWATE KEIBA GRAND PRIXにて トーホクキングやトーホクアロー、かつてのアプローズフラワーのような東北産馬・青森産馬を数多く育ててきた・・・という点も非常に印象深かったです。 地方通算勝利数は1843勝。もちろん岩手の現役調教師では最多勝でしたし、岩手競馬の調教師歴代最高記録である1914勝にも「あと71」までせまっておりました。 ★1800勝達成(2015年6月7日) 重賞タイトルは最初の南部駒賞から昨年のプリンセスカップまで61勝。先にも多くの馬たちの名を挙げたように、特にここ20年くらいはどの世代・どの路線を見ても中心的な存在となる馬を擁している、櫻田浩三厩舎の有力馬抜きではレースを語れない。そんなポジションにあり続けました。 そんな「大」を何十個もつけなくてはならない偉大な櫻田浩三調教師なのですが、厳しいだけでなく非常におちゃめなというか、楽しい、優しい一面も持っておられました。 今でも忘れられない出来事があります。あれは2008年の冬。その頃、岩手の冬休みの間、まとまった数の馬を荒尾に遠征させてレースに出る・・・という事を数年続けておりました。騎手や厩務員さんたちも大挙して遠征して荒尾で住み込む一大イベントでした。 その岩手からの遠征馬の監督役として、調教師さんも2名ほどが荒尾に滞在する事になっていました。2008年は櫻田浩三調教師がその役を負い、現地で長期滞在をされておりました。 自分もその時取材に行ったんですけども、朝の調教を終えて皆で朝食・・・という時に率先して料理を作っていたのがなんと櫻田浩三調教師。そしてそれがまた手際が良いし味も良い。「こう見えても俺は料理が上手いんだぞ」とニコニコしながら、実に手早く進められるのです。 あまつさえ、おかずを並べて厩務員さん達も席について、さあご飯・・・。浩三先生がご飯をよそっているじゃないですか! 結局、大調教師手作りのおかずを大調教師が手ずからよそったご飯で食べるという、嬉しいような恐れ多いような経験になりました。おかずもご飯も非常においしかったものだから余計に忘れられない思い出になっています。 ★浩三先生の料理姿。携帯とかじゃなくちゃんと撮れば良かったなあ ★一番働いているので一番写真に写ってない浩三先生・・・ ここ何年かはしばしば体調を崩され、入院された、退院されたという話を何度も聞くようになっておりました。この春も競馬場にはおいでにならず、心配していた矢先の訃報でした。櫻田浩三調教師のご冥福をお祈りいたします。そして、競馬の事を様々教えていただきありがとうございました。 なお、櫻田浩三調教師の逝去にともない、管理馬は櫻田康二調教師あずかりという形になっています。所属の大坪慎騎手の移動先も含め、詳細は後ほど岩手県競馬組合より発表される事になると思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月22日 03時09分09秒
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