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2016年07月14日
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カテゴリ:横川典視
 木曜担当のよこてんです。

 メイセイオペラが韓国で死亡したという報がありました。

 2006年以降は韓国で種牡馬生活を送っていたメイセイオペラでしたが、ちょうど韓国での10シーズン目でした。

 ちょうど自分が岩手競馬にのめり込み始めた時期に活躍した馬だけに、そして同時に競馬史に残る足跡を残した馬でもあり、メイセイオペラに関してはいろいろな思い出があります。
 このブログでもメイセイオペラを振り返っていきたいと思うのですが、今回はまず手始めとして、メイセイオペラが有名になっていく3歳時頃までを書きましょう。

■「普通の馬」
 自分がメイセイオペラをはっきりと意識し始めたのは彼が3歳(新年齢・当時は旧年齢表記で4歳。以下もレース名に入っている場合以外は新年齢表記を使います)になった春。97年のスプリングカップを制したあたりからでした。

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★97年4月5日/スプリングカップ表彰式でのメイセイオペラ

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★後々の姿と違って身体が細い印象を受けますね

 というのも、メイセイオペラと同じ世代にはアプローズフラワー、ダートではデビューから7戦7勝、当時の東北3県交流・東北サラブレッド3歳チャンピオンも圧勝した牝馬や、今に残る盛岡芝1000mのレコード・57秒8を叩き出したカツヤマリュウホー、快速サカモトデュラブの半妹としてデビュー当初から注目を集め、のちにひまわり賞を制するサカモトサクラといった実力馬・素質馬たちが、それこそゴロゴロといたからです。

 実際、2歳時のメイセイオペラは一度も重賞に出ていません。2歳後半になって徐々に白星を増やし始めて、次第に注目する人が増えていったかもしれないけれど、当時のオペラは、先に挙げた馬たちに比して「その他大勢」の域を、それほど大きくは出ていない存在でした。

 デビュー直後のメイセイオペラの主戦だった阿部英俊騎手、2歳時に一戦だけパートナーを組んだ佐藤雅彦元騎手(現調教師)も、当時のオペラの印象を「普通の馬だった」と言います。

 佐藤雅彦元騎手曰く「その頃のメイセイオペラはひょろっとして身体が薄くてね。見た感じ“迫力がある”という馬ではなかったよね。レースで乗った印象も、自分が乗ったのは平場で、勝たせてもらったけど(注・96年12月9日に行われた2歳A級・水沢ダート1600m。メイセイオペラは通算3勝目の優勝)、この辺のクラスの馬たちの中では走る方かな・・・くらいのものだったね」

 これは馬自体がまだ成長してなくて・・・というだけでなく、例えば先に挙げたアプローズフラワーの主戦が佐藤雅彦元騎手だったことで分かるように、佐藤雅彦元騎手としては他に“もっと走る馬”をたくさん知っていたために、相対的にメイセイオペラの印象が弱まったという部分もあるのでしょう。

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★アプローズフラワー。オペラと同期の牝馬で2歳時はまさに敵無しでした

 佐藤雅彦元騎手はこうも言います「その頃は3歳になってから成長してくる馬も少なくなかった。というかそういう馬の方が多かったからね。だから翌春になってメイセイオペラが強くなって、馬体なんかも2歳の頃は460kgくらいだったのが最終的には500kgくらいになったでしょ?そういう成長をみせても不思議だとは思わなかった。でも自分が乗った時の頃のメイセイオペラは、普通。ごく普通(笑)。自分が乗って勝ったから覚えていたけど、そうでなかったら覚えていなかったかもしれないくらい普通の馬だった」

 阿部英俊騎手も同じように言うんですよね。「いたって普通の馬だった」と。阿部騎手は、ちょっと前はテンショウボスを、最近ではコウギョウデジタルを、2歳の頃の白星もままならない頃から「この馬はいずれ走る」と言われていたりして、その感覚をいつも参考にさせてもらっているんですけども、そんな阿部騎手をして普通と言わせるのだからよっぽど普通だったんでしょう、2歳時のメイセイオペラは。


■躍進が始まる
 3歳春のスプリングカップを制してからのメイセイオペラは破竹の進撃を開始します。
 まず平場を一戦挟んで5月の盛岡・ダイヤモンドカップを制し、その勢いのまま東北ダービー、不来方賞と連勝。
 97年8月30日には古馬編入されたA級戦で古馬をも撃破。2歳時から継続してきた連勝を「9」としました。

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★97年5月4日/4歳A級戦で優勝。渡邉正彦騎手はこれが通算200勝

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★97年8月30日/サラA級戦。古馬を一蹴、翌日行われたみちのく大賞典に出ていても勝ったんじゃないかと思った

 自分がずっと「メイセイオペラのベストレース」としてきたのがこの時のダイヤモンドカップでした。2着以下を楽にぶっちぎってしまったのですから当然「強い」レースだったんですけども、自分が感じたのはその時の内容の凄さです。
 直線の坂を駆け上がってからさらに加速していく時の、空に浮き上がるのかと感じるばかりのもの凄い加速力。瞬発力。まさしく“モノが違う”。
 それまでもちょっと強い馬を見るとすぐモノが違うモノが違うと気軽に使っていたものですが、本当の“モノが違う”というのはこういう事なんだなあ、と心の底から思いましたね。
 余談ですが、この時のメイセイオペラと、もしかしたら同じくらいの走りかも・・・と自分が感じた馬が最近一頭現れました。ロールボヌールです。
 岩手ダービーダイヤモンドカップの時、直線を駆け抜けるロールボヌールを撮りながら、その少しでも気を抜くとファインダーに収めきれなくなりそうな瞬発力に、20年近く前のメイセイオペラを思い出していました。

 東北ダービーも重要な戦いでしたね。メイセイオペラにとっては初めての遠征、初めての他地区馬との戦い。そんな事もあってか現地・新潟の専門紙でもいわゆるグリ本ではなかったのですけど、それでも1番人気に支持されたメイセイオペラは2着以下に3馬身差を付けて完勝。それまでは強い走りを見せていると言ってもあくまで地元馬同士の話でしたから、この勝利は見ている方としても非常に心強い、ホッとする結果でした。

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★本来は「東北優駿」というレース名ですが、新潟で行う時だけ「東北ダービー」とされました。今となっては懐かしい限りの東北三県交流戦

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★パドックで騎乗した菅原勲騎手と馬を曳く柴田厩務員。この頃のオペラはまだこの通りの普通のメンコを着用

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★東北ダービーは97年7月6日。2着フジノローリアスに3馬身差をつけ快勝

 当時の自分の記録にはこの頃のメイセイオペラについて「揉まれる競馬を経験させることが課題」「かかり気味に先行する点が唯一の気がかり」と記しています。
 思い返してみるに、3歳夏頃までのメイセイオペラはパドックで汗をかいてテカテカしていた事が多かったような。けっこうピリピリカリカリしていたイメージが強かったかも。なんというか「筋っぽい」馬体印象でもあった。
 揉まれる競馬が、というのは、その頃既に岩手の3歳の中では抜けた存在になっていたからでしょうね。強い馬の宿命みたいなものです。

■暗転、そして復活へ
 メイセイオペラの3歳の秋は、思いもよらぬ事故のために重く暗いものになってしまいました。
 前頭骨骨折。右目の上のあたりですね。よく「頭蓋骨骨折」と間違われるのですが実際には前頭骨骨折です。
 この怪我のために出走予定だったユニコーンSを回避、ダービーグランプリ、スーパーダートダービーには無理をおして出走したもののいずれも10着。メイセイオペラがデビューして以来の大敗を、それも2戦連続して喫してしまいます。

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★97年11月3日/ダービーGP、返し馬に出たオペラ。見ていて右目の所が気になってしかたなかった

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★ダービーGPの直線。オペラが後退し始めスタンドからどよめきが起こる

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★97年11月20日/スーパーダートダービー、パドック。右側の後ろ姿は故佐々木修一調教師か

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★SDD最初の直線。逃げたシンプウライデンを追って2番手に付けたオペラ

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★のちのち有名になる「明正」メンコはダービーGPから使用し始めました

 ここで説明しておくとですね、当時の3歳ダート三冠はJRA東京『ユニコーンステークスGIII』、盛岡『ダービーグランプリGI』、大井『スーパーダートダービーGII』で構成されていて、この97年はそれぞれ10月4日、11月3日、11月20日に行われています。今と違って秋に行われる戦線だったわけですね。
 そしてこの年のそれぞれのレースの勝ち馬は順にタイキシャトル、テイエムメガトン、メイショウモトナリでした。

 メイセイオペラが何事もなく順調に三冠に挑んでいたとしても、当時のオペラではよくて掲示板争いくらい、もしどこかで一度くらい勝ち負けを演じる戦いができれば「よく頑張った!」くらいなものだったと思います。簡単に勝ち負けできるなんていくらオペラファンでも思っていません。
 ただ、全力のオペラの力を、本当のオペラの走りを、全国の競馬ファンに見せることができなかった。そんな悔しさは、ファンの間にもずっと残り続けたのではないかと思ったりします。それが翌年の南部杯の、さらに翌々年のフェブラリーSの、勝利の時の喜びの爆発につながったのではないだろうか?とも。

 ああ、ただ、タイキシャトルとの戦いは見てみたかったですねえ。後に国際GI馬になる馬とどんな戦いを見せてくれたか?勝つとは言わないまでも、もしも馬体を接して争うくらいになっていたら・・・。ファン目線としてはダービーGPやSDDの敗戦はあきらめが付いたけど、ユニコーンSは見られるものなら見てみたかった・・・と思いますね。

 スーパーダートダービーで敗れたメイセイオペラは1ヶ月ほどあけて桐花賞に挑戦。2番人気1着。当時としてはレース史上4頭目の3歳馬による制覇を成し遂げました。

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★97年12月31日/桐花賞 ロイヤルハーバーを振り切ろうとするメイセイオペラ

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★勝利の後のウイニングラン、菅原勲騎手がスタンドのファンにムチを投げる

 当時の岩手の古馬勢は、かつてトウケイニセイやモリユウプリンスとせめぎ合ってきた馬たちが高齢化する一方、新たな主軸も生まれていない状況。そんな必ずしも古馬勢の層が厚いとはいえない中ではあったにせよ、メイセイオペラの勝利はいろいろと価値のあるものだったといえます。
 その時点ではグレートホープ以来、8年ぶりとなる3歳馬の制覇。加えて高齢馬を退けて演じて見せた世代交代劇。なによりメイセイオペラ自身も久々の重賞での勝利になりました。暮れの大一番であがった復活ののろし。秋の悔しさを全て晴らすことはできないかもしれないけれど、翌年の見通しを明るくしてくれる勝利だったのは間違いなかったはずですから。

 この後の話もおりをみて進めていきたいと思います。






最終更新日  2016年07月15日 00時48分46秒
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