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2016年07月28日
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カテゴリ:横川典視
 木曜担当のよこてんです。

 今回はメイセイオペラの思い出話の第二弾をしましょう。前回は3歳の冬の桐花賞を制したところまででしたね。
 明けて4歳、旧年齢で5歳になったメイセイオペラは、活躍の場を再び全国の舞台へと求めていきます。

■王者アブクマポーロ
 桐花賞を制したメイセイオペラは98年1月の川崎記念に挑戦して4着。地元のシアンモア記念優勝を挟んでの6月、SDD以来の大井に向かった帝王賞では3着。
 この頃のオペラがいきなり帝王賞や川崎記念で勝ち負けするとはまだ思えなかったですが、それでも川崎記念の5番人気、帝王賞の7番人気はちょっと見くびられているな・・・とも感じたものでしたね。

 この両方のレースを制していたのがアブクマポーロです。前年97年の帝王賞で2着、東京大賞典3着。97年の11月には当時JRA中京のダート2300mで行われていた東海ウインターSGIIを1番人気で勝ってもいて、98年時点の“ダート最強馬”。
 いや、98年初頭の川崎記念を勝った頃はまだそこまでの評価ではなかったかもしれません。しかし、川崎記念GI、ダイオライト記念GII、かしわ記念GIII、帝王賞GIとダートグレード4連勝、うちGIタイトル2つを手にした頃には、アブクマポーロが“ダート最強”の座に君臨する存在だという事を疑うファンはいませんでした。

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★98年東京大賞典でのアブクマポーロ

 なので、“見くびられている”と感じたのはあくまでも岩手のファン、メイセイオペラのファンの視点であって、当時の一般的な評価の順列は“アブクマポーロ>JRA馬>南関の2番手グループ>メイセイオペラ”なのだから、帝王賞の7番人気もまあそんなものなんですよね。
 恐らくその頃のアブクマポーロ陣営からするとメイセイオペラはライバルでも何でもなかったと思いますけども、メイセイオペラ陣営側からすれば、川崎記念での7馬身半差、帝王賞での約2馬身差をどうやって縮めていくか?が大目標になっていきます。


■岩手所属馬初のグレードレース制覇。そして・・・
 98年7月のマーキュリーカップ。メイセイオペラは前年の覇者パリスナポレオンを7馬身千切って優勝。岩手所属馬初のグレードレース制覇を成し遂げます。

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★98年マーキュリーカップ/直線で後続を突き放すオペラ

 8月のみちのく大賞典では2分3秒5、当時の盛岡ダート2000mのレコードを叩き出しました。

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 今でこそ2分を切るかどうかというところまできている盛ダ2000のレコードタイムですが、その頃(1990年代後半~2000年代前半)は例えばマーキュリーカップでも2分5秒を切る事はそうそうなかったわけで、いかに不良馬場でのものとはいえメイセイオペラの非凡な性能を示す明白な指標だといえました。

 そしてやってきました南部杯。1番人気はアブクマポーロ、2番人気はタイキシャーロック。メイセイオペラは3番人気。
 アブクマポーロは当然でしょうね。タイキシャーロックは前年の南部杯の覇者ですからこれも2番人気は当然。メイセイオペラの3番人気はひとまず妥当な所だったでしょう。
 それに3番人気といっても6.6倍ですからね。1番人気アブクマポーロのそれは1.2倍、2番人気タイキシャーロックは4.1倍(締め切り直前のオッズ表示の写真より。締め切り時点では少し変わっていたかもしれません)。オッズ面からは差は“断然”という評価だったのです。

 レースではしかし、メイセイオペラが後続を寄せ付けないまま、タイキシャーロックに3馬身差を付けて優勝。地元ファンの前での念願のGI制覇の瞬間でした。
 メイセイオペラは逃げました。“いつ交わされてしまうのだろう?”と固唾を呑んで見守っていたスタンドのファンが、メイセイオペラが先頭を守ったまま4コーナーを回ったと分かった時に挙げた沸き上がるような歓声。地鳴りのような響きは今でも忘れる事ができません。

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 今に残るこの時のゴール写真は、日差しを受けたメイセイオペラと鞍上・菅原勲騎手のガッツポーズの、綺麗なシーンが残されていますよね。
 実は当日の盛岡競馬場は、開門時はけっこう激しい雨で、それが午後になっても続いていたのです。ようやく雨が上がったあともぐずぐずとした曇り空。それが、南部杯のレースの時になってサッと雲が切れて日差しが差し込み、ゴールの瞬間はまるでスポットライトを当てたかのような劇的なシーンになりました。
 南部杯のレースの後はまたすぐ曇り空に戻って、表彰式なんかもすっかり薄暗くなった空の下で行われましたから、このゴールの瞬間の晴れ間は本当にドラマチックでした。あれが曇りのまま、雨のままだったら、“メイセイオペラ初GI制覇!”のイメージもずいぶん違ったものになっていたのではないでしょうか。


 南部杯の後、北上川大賞典を使って東京大賞典に向かったメイセイオペラは、アブクマポーロとの4度目の対決に挑みます。結果は2着。直線であっさりと突き放されての完敗でした。

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★アブクマポーロが11番、メイセイオペラが3番です。そういえば当時の「締切3分前」は10分くらいありましたね(笑)

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★アブクマポーロに突き放されるオペラ

 南部杯で一度は破ったアブクマポーロでしたが、その「壁」はまだまだ高いものでした。

 この頃のメイセイオペラとアブクマポーロの力関係について菅原勲騎手(現調教師)にうかがってみた事があります。この98年頃の両馬の力関係は、「それは、アブクマポーロの方が強かったよ」と即答でした。
 南部杯ではオペラが勝ったけど、それはオペラに地の利があってアブクマポーロには無かった。そういう有利な条件で戦ったからオペラが勝つ事ができただけ。実際、東京大賞典で立場が反対になったら、オペラはあっさりはね返されたでしょう?と。

 この話題は何度かたずねた事があるんですけども、菅原勲騎手の答えは「全盛期のメイセイオペラがその得意な条件で戦えたら勝つチャンスもあったかもしれない。でもアブクマポーロの得意な条件で戦ったら、そうそう簡単に勝てる相手ではなかった」で一貫していました。

 99年の帝王賞でメイセイオペラは2着以下に4馬身差を付ける圧勝をしてみせます。しかしそのレースにアブクマポーロの姿はありませんでした。
 全盛期でなおかつ状態も万全なこの二頭が全力でぶつかっていたとしたらどんなレースになっていたのか?競馬史のひとつの「if」ですよね。

 98年の帝王賞から翌99年の帝王賞までの1年間、当時の古馬ダートGIタイトルの全てをメイセイオペラとアブクマポーロが制しています。マイルのオペラ&中長距離のアブクマポーロという盤石の布陣が存在したこの1年間は、まさしく地方競馬の黄金時代だったといえるでしょう。

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★98年の東京大賞典、スタート。ゴール前から4コーナーまで見渡す限りの人・人・人。“上から見ると(人の頭で)真っ黒”が当時の大井あたりの普通の光景でしたねえ

 メイセイオペラのお話はもうちょっと続きます。





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最終更新日  2016年07月29日 10時38分56秒



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