ミツオーです。笠松競馬実況担当中です。
さて、昨日(11日)、金沢競馬場で、ジャングルスマイルの引退式がおこなわれました。
あちこちに同様のことを書いてきましたが、あえてここにもジャングルスマイル引退について書きたいと思います。
こうしてジャングルスマイル引退の件を方々に書いていると、それほどこの馬の引退は、われわれにとって大きな事件であるということなんだよね、ということを、先日、弊社・山中寛アナウンサーと話したところです。
この日替わりライターブログでも、何度も取り上げてきたジャングルスマイル。
(ジャングルスマイル2人目のパートナー・平瀬城久騎手と)
もちろんこの馬一頭だけでも偉大であり、引退は大きな事件なのですが、やはりここは昨年秋のナムラダイキチ引退とあわせて語るべきだと思います。
金沢競馬のひとつの時代が終わった。
ナムラダイキチに続いてジャングルスマイルが引退したことで、金沢競馬ファン・関係者の誰もが、この思いを共有したことと思います。
それほどまでに、この二頭は強力で、長く金沢競馬の期待を背負い続けた馬たちであったのです。
ジャングルスマイルは、2009年、JRA2戦未勝利で金沢へ移籍。3歳秋のことでした。
金沢移籍後は連勝をかさね、年内無敗でシーズンを終えました。
あけて4歳シーズンも連勝をのばし、通算11連勝で、金沢競馬の上半期最大のレース・百万石賞を制覇。一気に金沢の頂点へ駆け上りました。…そしてこのときは知るべくもありませんでしたが、結局その頂点に長く君臨し続けることとなったのでした。
4歳シーズンのジャングルスマイルはまさに無敵の状態で、金沢唯一のダートグレード・白山大賞典でも強敵相手にアワヤのシーンを作る2着と健闘。
敗れこそしたものの、引き上げてくるジャングルスマイルには地元ファンから大きな拍手・声援がおくられました。このレースも、それをたたえるみなさんの声も、忘れることができません。
翌年、このジャングルスマイルと互角に張り合うライバルとして現れたのが、ナムラダイキチです。
ナムラダイキチはジャングルスマイルの2つ年下。
ジャングルスマイルの5歳シーズンに、JRA2勝の実績をひっさげて金沢へ移籍。3歳重賞を制するなどしたのち、9月の金沢オータムスプリントでジャングルスマイルを8馬身もちぎってレコード勝ち。
突如あらわれた強力な3歳馬に、絶対王者・ジャングルスマイルの牙城がゆらぎ、あるいは王座交代か?
当時ここにも書きましたが(11年9月22日 https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201109220000/)、このレースは金沢競馬の大事件でした。
ジャングル・ダイキチ時代の象徴とも言うべきレースは、この年の11月。北國王冠でした。
コースをまる2周する2600メートルの長距離レース。そのほとんど全てにわたって、逃げるジャングルスマイルとぴったりマークするナムラダイキチのマッチレース。
残り1000メートルを切ってからは、後続3番手以下は離れる一方で、ジャングルスマイルとナムラダイキチは終始並走。そのまま直線も追い比べを演じ、一旦ナムラダイキチがわずかに前に出るシーンもありましたが、最後はクビ差、ジャングルスマイルが競り勝ちました。
わたしは、このレースは競馬史に残る好勝負だと思っています。
ハイペースの逃げと、プレッシャーをかけ続けるマーク。そしてそのまま直線の追い比べ。
ジャングルスマイルの手綱をとった吉原寛人騎手が、
「ペースを落とすことは許されないんだなって思いながら、強烈なプレッシャーに耐え続けるしかなかった」
と語ったのが印象的でした。
このレースで、勝ったジャングルスマイルはもちろん、敗れたナムラダイキチの強さを再認識した、あるいは全国レベルの実力を確信したという方は多かったハズ。
ここから金沢競馬は、「ジャングル・ダイキチ時代」へと突入。
二頭の東西横綱による覇権争いが続くことになる…と誰もが思いました。
が。
両横綱のうち、ナムラダイキチは2013年春シーズンにケガが発覚し、以降、本来の実力を発揮できないまま、苦闘の日々が続きました。今にして思えば、両横綱健在の時代は、11年秋~13年春ということになります。
ナムラダイキチは、苦しみながらも2014年には前年に続き百万石賞を制覇。その強さを印象づけましたが、しかし結局、最も輝いたころの走りを取り戻すことは困難で、ついに昨年秋、引退。そのときのことは、ここにも書きました(16年9月5日 https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201609050000/)
(2014年百万石賞制覇時のナムラダイキチ)
ナムラダイキチが引退すると聞いたとき、ジャングルスマイルの金田一昌調教師は少し寂しそうな目をして、
「ジャングルは…ダイキチが好きっていうか、ダイキチがいると闘志に火がつくっていうか、らしい走りができるみたいなとこがあったからね」
と、珍しくしんみりと話してくれました。
話は前後しますが、この前年(2015年)、中日杯で敗れたジャングルスマイルの手綱をとった平瀬城久騎手は、
「このレースだけは獲らせてやりたかったんですけど…」
と言ったあと、
「年齢も年齢なので、昔のようにカンタンに先行できなくなった」
と話し、来年の中日杯を勝ってくださいよ、と振ると、返ってきたのは苦笑。
鞍上も陣営も、ジャングルスマイルの年齢を痛切に感じ始めたのがこの頃(15年後半=ジャングルスマイル9歳)だったようです。
ライバル・ナムラダイキチは故障からもどらず、ジャングルスマイルも年を取り、しのぎをけずったライバルたちの輝きにも陰りが見えたと誰もが思った、その矢先。
2016年春、ジャングルスマイルは百万石賞を制覇。
なんとこのレース5度目の優勝でした。
単勝6番人気での勝利は、すでに絶対王者と呼ばれたころのものとは違い、陣営にも驚きと新たな喜びをもたらしました。
この年秋のナムラダイキチ引退後、さすがに年齢からも厳しいと思われたジャングルスマイルはしかし、陣営にとっての悲願とも言うべき、金沢競馬暮れの重賞・中日杯を制覇。古豪健在を強烈にアピールしました。
ジャングルスマイルはこの中日杯の勝ち星が39勝目。
金田師は、
「できれば44勝させてやりたい。最低でも40勝はしたい。来年も現役続行確定ですよ!」
と意気軒昂で、実際、あけて今年も現役生活を続けたのですが…。
長年、足もとにケガのなかったジャングルスマイルは、昨年あたりから脚部不安をかかえるようになったと聞きます。
そして今回、トモに骨折が判明。
「2ヶ月も安静にしていれば治る程度のケガですが、年齢も年齢ですから。引退を決意しました。
百万石賞を5回も勝ってくれた馬ですから、ぜひとも百万石賞当日に引退式をやってほしいとお願いしました」
とは、5月のある日の金田調教師の話。
8年もの長きにわたって金沢競馬で活躍し、金沢の期待を背負って走り続けたその貢献度から、石川県競馬事業局も率先して各方面の調整にあたり、陣営の希望どおり、昨日の百万石賞当日、ジャングルスマイル引退式がおこなわれました。
多くのファンが、金沢の絶対王者・ジャングルスマイルとの別れをおしみ、温かい声援がおくられたようです。
ナムラダイキチについでジャングルスマイルが引退。
繰り返しますが、金沢競馬のひとつの時代が、終わりました。
昨日おこなわれた百万石賞、優勝したのはトウショウプライド。
この百万石賞で、ジャングルスマイル・ナムラダイキチ以外の馬が優勝するのは、2009年のノーブルシーズ以来、8年ぶりのことでした。
ジャングルスマイルには、ぜひ穏やかな余生を送ってもらいたいと願います。
そして、金沢競馬の新時代を、遠くから見守ってほしい。そう思わずにはいられません。
金沢の絶対王者・ジャングルスマイル、お疲れさまでした。ゆっくり休んでください。
(2015年百万石賞制覇時のジャングルスマイル)