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2017年07月13日
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カテゴリ:横川典視
 木曜担当のよこてんです。

 マーキュリーカップやジャパンジョッキーズカップも目前なのではありますが、今回はそこではなく別なお話を。
 関本淳騎手が地方競馬通算2000勝にあと「4」と迫っております。今季序盤はゆっくりとしたペースで勝ち星を増やしてきていた関本淳騎手なのですが、前回の水沢開催は前半で2勝、後半は5勝を挙げて急激に差を詰め、先の盛岡開催も2勝を挙げて1996勝。7月中の、もしかすれば今週中にも記録達成の瞬間がやって来そうです。

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 という事で今回は関本淳騎手のここまでをざっと振り返ってみようというお題です。

 まずは関本淳騎手の記録を見てみましょう。関本淳騎手は1982年4月に上山競馬でデビューしました。1982年4月17日、上山第3レース。コダママリー号に騎乗してのデビュー戦は7頭立て4着だった・・・という成績が残っております。初勝利は同年5月16日、通算21戦目の事。

 そう。関本淳騎手は、2003年に廃止された上山競馬から岩手競馬に移籍してきた4名の騎手の中の一人だったのです。

 当時のことを知らないというファンの方もおられるでしょうから少し説明しておくと、1990年代終盤から2000年代初頭にかけての地方競馬は経営難のさなかで苦しんでおり、2001年の中津競馬を皮切りに2002年益田競馬・新潟県競馬、2003年足利競馬・上山競馬、2004年高崎競馬、2005年うつのみや競馬と次々と廃止されていきました。

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★かみのやま競馬(2003年)


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★足利競馬(2003年)

 かつての岩手・新潟・上山は“東北3場”という形で交流競走を行ったりしていました。足利・うつのみや・高崎も“北関東ブロック”として交流していたりしました。
 新潟では朱鷺大賞典、上山ではさくらんぼ記念、宇都宮ではとちぎマロニエカップ、高崎では高崎記念というダートグレードレースも行われていたんですよ。
 それが、わずか5年ほどの間に北関東ブロックは全て廃止、東北も岩手を残すのみになってしまったのですから(そして岩手も2007年に廃止騒動が巻き起こりましたから)、全く恐ろしい時代でした。

 廃止された競馬場の騎手はある方は引退し、ある方は他の競馬場へと移籍し・・・と散らばっていきました。
 岩手でも騎乗していた“ミスターピンク”こと内田利雄騎手は元うつのみや競馬所属でしたし、今や南関のトップジョッキーになった森泰斗騎手は足利競馬の廃止に伴ってうつのみや競馬、さらに船橋競馬へと移籍を続けた騎手でした。そのように廃止競馬場から移籍して今でも活躍している騎手は少なくないですよね。

 岩手競馬にも、上山競馬から板垣吉則騎手、長橋秀樹騎手、関本淳騎手、須田英之騎手の4名が移籍してきました。交流戦で何度も見ている騎手たちでしたから(末期の上山競馬とは重賞だけでなく条件クラスの特別戦の交流競走も多数設定されており、特別戦には必ずと言っていいほど上山の馬が出走していた)特別に珍しいという感覚はありませんでしたが、これだけまとまって移籍してきたのは岩手競馬史上でも初めてだけに“上山から来た4人”がどういうレースを見せるか?は楽しみであり、同時に移籍組に勝ちまくられるのではないか?という“恐怖”のようなものも感じたことを覚えています。

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★2004年4月の開幕日に撮った関本淳騎手

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★同じく須田英之騎手

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★長橋秀樹騎手はこの年の6月いっぱいで引退。岩手では短期間でした

 上山時代の関本淳騎手の写真、当時はカメラマン役をやっていなかったこともありあまり手元にないのですが、数少ないもののひとつが2001年の『東北ジュベナイルチャンピオン南部駒賞(旧東北サラブレッド3歳、後の南部駒賞。馬齢表記変更やレースの改廃が絡み合ってややこしいことになっている)』にツルマルダンサーで挑んだ時の関本淳騎手。

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★一番左がツルマルダンサーと関本淳騎手

 もうひとつが2003年のかしわ記念にスパートクロスで出走した時の関本淳騎手。

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★コースの向こうに見えるザウスの骨組みも懐かしい

 写真で分かるように上山時代の勝負服は今と全く違うものでした。
 ちなみにツルマルダンサーは関本淳騎手に「今まで乗った中で強いと思った馬は?」という質問をするとたいていこの馬の名前が出てきます。

 さて、岩手競馬に移籍した関本淳騎手は4月3日の第2Rで“岩手所属としての初騎乗”。その時は9着でした。同じ意味での“岩手初勝利”は4月11日の2R。岩手での18戦目です。写真が無いのが残念。
 そして同年9月の2歳芝重賞『ジュニアグランプリ』、ウインクプレアに騎乗した関本淳騎手は8番人気もなんのそのの快勝で重賞制覇を果たします。
 この時、関本淳騎手はウインクプレアに初騎乗。最近でも乗り替わりで大きいレースをポンと勝つ事が多い関本淳騎手なのですが、そんな“代打の関本淳”の片鱗も早くから見せていたわけですね。

 関本淳騎手が出会った久々の大物がワタリシンセイキだった、と言っても過言では無いでしょう。2008年シーズンの2歳戦線で重賞3勝、それも若駒賞・南部駒賞・金杯の“2歳三冠”を達成したのがワタリシンセイキでした。
 その時のワタリシンセイキは芝でこそ良績が無かったもののダートでは岩手在籍の間7戦して7勝。ぶっちぎって勝つことこそ少ないもののライバルに対しては圧倒的な力量の差を感じさせていた、本当に「強い」と感じさせる馬でした。全日本2歳優駿に出ていたら良いレースをしていたんではないか・・・と未だに思います。

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★岩手最後のレースになった金杯。関本淳騎手の珍しいウイニングラン

 “岩手の関本淳”をさりげなくアピールしてくれたのはプレイアンドリアルでした。デビュー2戦目の盛岡・ジュニアグランプリで関本淳騎手を背に快勝。マイネル・岡田総帥の秘密兵器を初騎乗できっちり勝たせる仕事人ぶり、まことに見事でありました。

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★プレイアンドリアルで勝利(2013年ジュニアグランプリ)

 関本淳騎手は上山時代の1985年に100勝、1993年に500勝を達成し、岩手に移籍後の2005年に1000勝到達、そして2011年には1500勝を達成しました。

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★2011年11月13日・第11R 地方競馬1500勝達成

 500勝→1000勝の間はちょっと時間がかかりましたが、1000勝→1500勝がちょうど6年、1500勝→2000勝は6年より少し早いくらいになりそう。いまや岩手でも最年長になりながら以前よりむしろペースアップしているのは、これまた立派という他はないですよね。

 2000勝が近づいて関本淳騎手が言い始めたのがこんな事。
「2000勝を達成するのに35年もかかった騎手は他にいないでしょう?」
 これは簡単に判断できなかったので競馬組合を通して地全協に調べていただきました。詳細は達成後に書くとして、はいその通りです。記録上ではっきりしている騎手では約29年で達成というのがこれまでの「最長」。関本淳騎手が今年達成すればそれを大きく更新(?)する記録になるとのこと。

 で、関本淳騎手は続けてこんな風にも言うわけです。

「(菅原)勲君とか(小林)俊君は20年もかからずに2000勝したわけでしょ?(山本)聡哉なんかも10年ちょっとで1200勝とかしてるわけ。2000勝もするようなジョッキーは、つまり若い時からバンバン勝ってるのよね。俺なんかの2000勝って、いいのかね?」

 いいんです!確かに菅原勲騎手は正味17年、小林俊彦騎手は正味19年8ヶ月で達成しています。村上忍騎手は約18年。山本聡哉騎手なども今のペースでいけば18年間くらいで2000勝に届くのでしょうが。でも、コツコツと積み上げた2000勝も十分な、いやむしろ立派な価値があると思いますよ。

 2004年、岩手に移籍してきた関本淳騎手にインタビューした際、こんな事を言われておりました。
「岩手では“セキモト”というと関本浩司騎手が、“アツシ”というと千葉淳志騎手がいる。岩手のファンに早く“関本淳”を覚えてもらいたい」
 いまや“セキモト”も“アツシ”も岩手競馬で唯一の存在になりました。このうえは2000勝という騎手としての大業を成し遂げて、記憶だけでなく記録にも“セキモトアツシ”の名をしっかりと刻み込んでいただきたいと思います。

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最終更新日  2017年07月14日 03時00分56秒
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