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2017年10月19日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今週末は3歳馬の重賞『不来方賞』が行われます。今年で49回目を迎えるレースなのですが、岩手競馬の重賞で同じく49回を数えるのは他には岩鷲賞のみ。つまり不来方賞と岩鷲賞は「岩手競馬で最も歴史ある重賞」だ、という所からお話を始めたいと思います。

 不来方賞、当初は「不来方賞典」と呼ばれたレースが創設されたのは1969(昭和44)年。それまでは「農林大臣賞典」とか「知事賞典」とか、あるいは「スタンド新装記念」などとされていた特別競走を、固有の名前を付けることでより盛り上げていこうという目的で作られたもの。この時同時に生まれたのが「駒形賞典」「日高賞典」「岩鷲賞典」でした。

 「第1回不来方賞」といえるレースは旧盛岡競馬場のダート1730m(えらい半端ですな)、1着賞金25万円という条件で行われ、スズヒカリトップという馬が勝ちました。鞍上は福田重征騎手(後の小西重征騎手。現調教師)。
 ただしこのスズヒカリトップ、3歳馬(旧4歳馬)ではなかったんです。同馬は競馬会から移籍してきた馬でこの時6歳。競馬会時代の1967(昭和42)年の日本経済賞ではスピードシンボリの2着という戦績があったりします。初期の不来方賞典は古馬のレースだったのです。
 今のような3歳馬(旧4歳馬)のレースになったのは1974(昭和49)年から。そして1975(昭和50)年から重賞競走とされました。前者を勝ったのがカネシラン、後者を勝ったのがカネシラユキ。いずれも鞍上は小西重征騎手。
 そう。小西重征騎手は“設立第1回目”“3歳馬(旧4歳馬)のレースになった第1回目”“重賞になった第1回目”のいずれもを制するという、非常に珍しい成績を残したわけですね。

 さて、不来方賞というレースがいかに大事にされていたか?はレースが組まれていた日程を見ると想像が付きます。1975年に重賞化されてからの不来方賞はしばらく10月~11月に設定されていましたが、これは「その年の盛岡開催の最終週」に置かれていたから。3歳馬(旧4歳馬)の重賞のクライマックスというだけでなく盛岡開催を締めくくるクライマックスとしても重要視されていたわけです。
 その後、1979(昭和54)年からは東北優駿のトライアル的な位置に、1986(昭和61)年にダービーグランプリが設立されてからはそのトライアルに、と開催時期を移動してはいますが、どの段階でも『岩手の3歳馬の最終決戦』であり『交流戦の舞台へと送り出す壮行レース』の位置づけは変わっていません。

 下の画像は1988年、第20回不来方賞の新聞広告。ダービーグランプリのそれと軌を一にしたエンブレムが用意されていた事からも不来方賞の「スペシャル度」がうかがえるのではないでしょうか。他には南部杯くらいしかみつかりませんもの。そのレースだけのエンブレムが用意されたのって。

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★1988(昭和63年)の不来方賞告知広告(10月14日岩手日報より)

 ところでこの「不来方賞エンブレム」、先だって南部杯30周年ブログというのを書くために資料を集めていた時、新聞の中に偶然見つけたのですが、競馬組合の中でも知っている人が少なかったです。
 他の年度の広告を見る限り、恐らくは1986年から1990年までの間しか使われていなかったようなんですよね。「不来方賞エンブレム」は30年近く忘れられていたのかな。ちょっともったいない気がしますね。

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★1989(平成元)年の不来方賞告知広告(10月27日岩手日報より)

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★1990(平成2)年の不来方賞告知広告(10月25日岩手日報より)エンブレムの意匠が若干変更される

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★1991(平成3)年の不来方賞告知広告(10月24日岩手日報より)エンブレムがなくなる

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★1992(平成4)年の不来方賞告知広告(10月22日岩手日報より)エンブレムっぽいものが復活しますが、これはこのシーズン共通のデザインのもの

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★1996(平成8)年の不来方賞告知広告(10月20日岩手日報より)旧盛岡競馬場最後の不来方賞でした

 もうちょっとエンブレムにこだわってみよう。
 下の画像は1988年、1989年、1990年の不来方賞エンブレムを拡大したもの。

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★1988年

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★1989年

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★1990年

 1988年のダービーグランプリトライアルの下にある「サラの夢は日本の夢」という一文は、この年の第3回ダービーグランプリのキャッチフレーズです。

 1989年のはちょっと混乱しそうな事になっています。
 前年の「ダービーグランプリトライアル」が「ダービートライアル」になっているじゃないですか。
 ダービーグランプリはあくまで“全国の地方競馬のダービー馬による決戦”であって岩手の“ダービー”は不来方賞だ、というのが当時の位置づけのはず。その不来方賞を「ダービートライアル」と言ってしまうとね・・・。

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★2000年の不来方賞の装飾。「IWATE DERBY 不来方賞」と書かれています

 今でこそ岩手の“ダービー”はダイヤモンドカップという事になっていますけども、古いファンの心情的にはやはり不来方賞こそ“ダービー”なんですよね。

 さて不来方賞。これまでの優勝馬には後に岩手の名馬となったような馬が多数おります。メイセイオペラ(1997年)でありモリユウプリンス(1992年)、サンドリーズン(1990年)、スイフトセイダイ(1989年)、トウケイフリート(1986年)。新しい方に行けばトニージェント(2000年)、バンケーティング(2001年)。

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★トニージェント(2000年) 村上忍騎手にとって2つめの重賞タイトルでした

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★バンケーティング(2001年) その年の桐花賞を制し、翌年は南部杯でトーホウエンペラーの2着にも

 ロックハンドスター(2010年)、カミノヌヴォー(2011年)、ロッソコルサ(2012年)は3年連続で「不来方賞-ダービーグランプリ-桐花賞」を3連勝して3歳のみならず古馬の頂点にまで一気に到達したりもしていますね。

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★グレードアップ(2009年)唯一の他地区馬による優勝馬

 レアなのが2009年の勝馬グレードアップ。2008年・2009年の不来方賞は休止していたダービーグランプリの替わりのような位置づけで地方競馬全国交流重賞として行われました。2009年は船橋から遠征してきたグレードアップが優勝し、不来方賞史上では現時点で唯一の他地区馬の勝馬となっています。

 このように不来方賞の勝馬からはその後古馬になってからもトップクラスで活躍する馬が多く出ていますから、今年の不来方賞の勝馬も、過去の名馬たちに並び立つような馬になってほしいと期待しております。

 もう一つ小ネタ。今年で49回目を迎えるほどの不来方賞なのですが、近年は不思議なほどに限られた騎手にしかそのタイトルが降りてきていません。
 遡っていくと1993年の第25回以降、昨年まで24回もの間で、優勝した騎手は菅原勲(元)騎手・小林俊彦(元)騎手・村上忍騎手・阿部英俊騎手・村松学(元)騎手のたった5人!
 今年も村上忍騎手・阿部英俊騎手は不来方賞に騎乗あり。この2人が勝てば「不来方賞ウイナー」の数は増えませんし、他の9人が勝ったとすれば新たな1名が加わることになります。さてどうなるか?これも注目しておきたいですね。





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最終更新日  2017年10月20日 00時55分27秒



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