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2018年03月19日
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カテゴリ:大川 充夫
ミツオーです。砂糖を断つことでアレルギーがおさまるなら…やってみようかしらん(絶賛花粉症中)。


さて、南関東地区は今日から浦和開催です。
開催メインは3日目(21日 水曜祝日)の桜花賞です。
ちょっとお天気がアヤシイような予報ですが…たくさんご来場・ご参加ください。



先日、平成29年度第3回調教師・騎手免許新規合格者が発表されました。
竹之上さんも書いていらっしゃるとおり、園田の木村健騎手の名前もこの中にあり、わかってはいましたし祝福すべきこととは思うものの、木村騎手の騎乗姿がもう見られないのかと思えば、やはり寂しい思いも禁じ得ません。




南関東地区所属の現役騎手の名前も、調教師試験合格者の中に見受けられます。
林幻騎手(船橋)と吉井竜一騎手(大井)の二人で、こちらも騎乗する姿を見られるのは、3月いっぱいということになります。これまたやはり寂しいものです。



このうち、船橋の林幻騎手に、お話をうかがうことができましたのでご紹介します。



林幻騎手は、2002年春デビューの16年目。ここまで地方競馬で3016回騎乗し209勝の成績。



自身の言葉によると、


「騎乗は、地元で最後にしようと思って」


とのことですから、先週金曜日の第9レース(6着)が最後の騎乗だったということになります。


(林幻騎手最後?の騎乗)



最終騎乗(あくまで本人の予定)を終えての感想を聞くと、


「ホントに未練はないですね。こんなにね、最後の競馬にも乗せてもらえると思ってなかったから。
正直、試験受けるのでずっと競馬も断ってたんですよ、試験に集中したかったんで。
こうして久しぶりに競馬に乗って思ったのは、競馬に乗るのってラクじゃないなって。
日ごろから毎日競馬に乗ってるひとたちってのは体力もあるし、競馬カンも3カ月4カ月乗ってないと、どうしても鈍っちゃうんですよ。


今日乗ってて思ったのは、ちょっと申しわけないって。
いろいろ乗せてもらってるひとたちに、申しわけないと思います。
自分の力不足をこうやって、自分が感じるようになってしまっているっていうのが、乗り役としての自信がなくなってきちゃったのかなって思いますね」



たんたんと、しかし少し寂しそうな表情でした。



「ネガティブな言葉で申しわけないんですけど」



聞き手に気を使いながら少し笑い、34歳の若さでの調教師転身は、



「30過ぎくらいからですかね…結婚するあたりくらいから、調教師になろうと考えてましたね。
なろうと思ってから5年は騎手として乗れると思っていて、実際は5年ちかくたって、ここらが潮時かなっていう時期ではあったかもしれないです。


ここ数年くらい、ケガが多かったんですよね。
正直、ケガして復帰するたびに、馬には乗れるけどだんだん乗り方が、以前とくらべると落ちてきてるなっていうのは感じましたね。
そういうふうに感じてきて、以前のように乗れない歯がゆさっていうのは自分につきまとってきていたので。
それでも妻の支えなどもあって、乗り役は続けてこられたので、そういう意味では妻には感謝しています」



林騎手の奥様というのが、とても明るい方で、わたくしなども時々お会いすると元気にお声をかけてくださり、楽しくお話しさせていただくこともしばしば。



「元気でね、自分にないモノがあると思っています」



というのは、けっこうなノロケなんじゃないでしょうか。




若いころ(まだ十分若いと思いますが)、単身、アメリカへ武者修行に出た経験をもつ林騎手。



「騎手生活16年、どうなんでしょう?ボクはそんなに長くは感じていないんですよね。
ボクより長年乗ってきている騎手っていうのも見てきているし、ホントだったらもう少し長くやれたらよかったかなっていう感覚はあるんですけど。
16年の間で、なんだかんだで普通の騎手じゃ経験できないことをしてきたと思うんで。


特にアメリカに武者修行に行った一年半が、一番楽しかったかな。


やっぱビザとるのがものすごく大変だったんですね。
ホント、行きたいなって思ってから実現したのは、一年以上かかりましたね。


得たものか…競馬に向こうでいっぱい乗せてもらえて。
馬に乗るのがものすごく好きだったから、あのころは。
馬の作り方とかね、レースの組み立て方とか、そういうのが全て新鮮だったし。
こういうのをこれから調教師になったときに生かせるようにしたいですよね。
乗り役としての力不足は、そこをもう少し生かせればよかったなと思うので。


これから調教師になるので、今度は馬の育て方ですよね、馬の作り方は大切になってくるし、ひととの付き合いも大切になってくるし。
今でもアメリカのころのひととはつき合いはあるから、そういうのは大切にしててよかったなと思うし」



アメリカ武者修行時のことについては、インタビューしたモノをそっくりそのままここに掲載しました。
07年の12月ですから、10年前。
10年前の林幻騎手は、こんなことを語ってくれたのでした。


(少し恥ずかしそうに語ってくれた林幻騎手)



そして、アメリカのみならず、国内でも他地区での期間限定騎乗などを敢行した林騎手。



「国内では、ホッカイドウはすごい印象的ですね。
正直、北海道は、ケガ明けで、リハビリのつもりで行ったんです。
だから競馬にそんなに乗れなくてもいいなと思ってたんですけど、ちょっとずつ身体慣れてきて、競馬も少しずつ乗せてもらえるようになって。

その中で、自分の妻にも出会って。
たった3カ月でしたけど、ものすごく濃密な時間だったんですよね」



アメリカ行きに負けず劣らず、この北海道での3カ月間が、今の林騎手のあり方を決めた重要な時間だったと言っていいと思います。



「そうですね…自分の人生の中では大きいことだと思いますね」



ご家族を得て、責任感も増し、影響も受け、その中で林騎手は調教師に転身することを決めたわけです。


「ボクね、独身だったとき、ひととしゃべるの好きじゃなかったから。
だからそういう意味じゃね、ウチの妻は正確が正反対だから、けっこうそれに刺激されてね、ひとと付き合うことに抵抗がなくなってきたかなっていう気がしますね。
これから調教師やっていくのに人付き合いが苦手じゃどうしようもないですからね。


ボクは、人材を育成できる調教師になりたいですね。
人材・スタッフがすごく大切なので。
将来、ある程度ボクも力をつけてきたら、いつかは函館先生みたいにね…」



林幻騎手にとって、最初の師匠にあたる函館喜弘調教師に受けた恩は、生涯忘れることのできないものだと言います。


「短い期間だったけど、ものすごくかわいがってくれてね。
とにかく減量のころは、函館先生にものすごくかわいがってもらって、そのときにしてもらったことが今でもすごく思い出に残ってるんですよ。


今、船橋の若い子で調教師と一緒にご飯食べてる子ってほとんどいないと思うんですよ。
ボクの若いころはそれが当たり前だった時代で、健康管理なんかも全部やってくださったんですよ。
油断すると太りやすいほうだから。
そういう意味じゃすごく助かったし、


あとね、とにかくホメてくれたんですよね。
馬主さんきたときにね、『幻は鞍っぱまりのいいジョッキーで、これから活躍すっからよろしく頼みます』って、厩舎にくる馬主さんに推薦してくれて、そのおかげでけっこういいレースいっぱいさせてもらえて。
そういうのって、師弟関係で重要だと思うんですよね。


ボクもね、函館先生みたいな、ひとをかわいがる人間になりたいと思います。
あのひとはボクのメンターみたいな、どこまでも先生、人生の先生だし。


ボクみたいな若い人間がね、そういうこと言っても説得力ないんですけど、自分のもとで働いてくれる人間を大切にできる人間になりたいです」




具体的に、実際に恩を受けた人物として、目指すべき像を持つひとは幸いだと思います。
林幻調教師は、函館調教師を理想像としつつ、自身の経験を活かし、頑張っていくことでしょう。



林幻騎手、調教師試験合格、おめでとうございます。
もうレースに騎乗するところを見られないのは寂しいですが、いい調教師さんになり、いい馬や人材をたくさん育ててくれることを期待しています。







16年間の騎手生活、おつかれさまでした!





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最終更新日  2018年03月19日 09時10分03秒
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