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2019年01月10日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 前回の「岩手競馬・平成の名馬」のお話が割と好評だったようなので、もう少し平成ネタを書いてみようと思います。今回は『平成、競馬とネットの時代』というお題でいきましょう。

 「平成」が始まったのが1989年、終わりを迎えるのが2019年。“この30年間で激変した物をひとつ挙げよ”と問うてみれば、「インターネットの普及」を挙げる方は少なくないのではないでしょうか。
 初期は「パソコン通信」と呼ばれて一部マニアの世界だったものが、今では誰でもが日常的に利用するものに。もはや“使っている・つないでいる”という意識すら希薄になりましたよね。
 競馬に関しても、インターネットで成績を見たり投票する事は当たり前ですし、世界の主要国のレースをリアルタイムで見る事すら“普通にできる事”の範疇に入ってきています。
 しかし平成時代の初期は、世界はおろか日本国内の、JRAの成績すら簡単には調べる事ができませんでしたし、それは地方競馬においておや。
 最近のファンの方にこんな話をしても全く理解していただけないでしょうけど、平成の初期頃はJRAの関東・関西の間に厳然とした壁があって、JRAの競馬場に居てすら反対エリアでやっているレースの情報はほとんどと言って良いくらい目にする事が無かったですし、競馬専門紙、地上波の競馬中継、スポーツ紙の紙面まで、関東なら関東の、関西なら関西の話題だったり成績だったりしか載っていなかったんです。

 未だに記憶しているのがビワハヤヒデの若葉ステークスの事。1993(平成5)年の共同通信杯GIIIで2着に終わった同馬は鞍上を岡部幸雄騎手にスイッチし、クラシックへ向かう前の最終試験として中山で行われる若葉ステークスに出走すべく東上します(若葉Sは後に阪神に移ってきたのでその辺も話を分かりづらくしますね。距離条件が変わるのはまだしも開催地区の東西が変わるのはホントややこしい)。
 当時関西に住んでいた自分がある程度リアルタイムで分かったのはここまで。土曜中山の準メインとはいえ皐月賞トライアルという重要なレースだったにも関わらず、そのレース映像はおろか、レースの着順結果すら、その週の関西の開催場(阪神でした)では見る事がなかった(関東圏のレース結果を表示するモニタがあったような気がかすかにしますが、それでもメインレースだけだったような・・・)。
 結局、自分が若葉Sの結果を知ったのは日曜日のスポーツ紙の紙面ですから翌日の朝なわけです。平成初期はJRAの情報でもそれくらいのタイムラグがあった。

 地方競馬の情報などはもっと無くて、辛うじて結果が載るとすればスポーツ紙でしたがそれも発行エリアの分だけ(大阪なら園田かせいぜい金沢くらい)。全国レベルの情報を知る術とすれば週刊競馬ブックに掲載される地方競馬コーナーかハロン誌かくらい。ただハロンは手に入る場所が限られていましたから、ライトな地方競馬ファンは週刊競馬ブックに頼りきりな状況でした(とは言うものの、その週刊競馬ブック誌も今のように全国どこでも手に入るようになったのは平成がふたケタに入る頃だったり)。

 前置きが長くなりましたがここからが本題。初期のインターネット、パソコン通信は、そんな情報ギャップを埋めるべく活動していた競馬ファンが多く集う場所として密かに注目を集める存在なのでした。
 パソコン通信というか具体名を挙げればニフティサーブですけども、「JRA・地方の全国の競馬情報を知りたいならNIFTYに入らないとね」くらいに言われていた頃が実際にあったのです。


★1997年のニフティサーブの広告。既にインターネットに軸足を移すような気配がうかがえます

 ニフティサーブ。画像が一切無いテキストベースの「パソコン通信」。モデムだのアクセスポイントだの巡回ソフトだの、今となっては『死語』になってしまったワードを語り始めると終わらなくなるのでここは割愛して。
 ニフティサーブの「競馬フォーラム」、その中の「地方競馬会議室」『FHRACEの5番』が、地方競馬に入り浸り始めた自分が通う場所でした。そこには当時まだ入手が難しかった地方競馬情報を全国に発信しようと奮闘する先達がたくさんおられました。
 例えば各地の地方競馬場の成績はその場内で配布される成績表に載っているわけですし、地元の新聞などにも掲載されています。有力馬の次走報などもその地の競馬新聞で触れられていたりしますよね。そういう情報を、自分の手でテキストにまとめ、さらに会議室に掲載する。もちろんどこかからお金をもらっているわけではなくあくまでも自分の趣味として。それは1995(平成7)年の事でした。



★1997年頃のログより。NIFTYにログインするとトップメニューが出て、数字を辿っていっても良いのですが、目当てが決まっていれば”go ○○(会議室の略称)”とコマンドを打って飛んだ方が早い。競馬フォーラムのそれがFHRACE。ちなみに自分は当時から「よこてん」のハンドルネームを使っておりました

 実を言えば自分がNIFTYに入った頃はもう既にインターネットが普及し始める端境期になっており、NIFTYやPC-VANといったパソコン通信は衰退の道を辿り初めてもいました
 一般(といってもソコソコ自力でパソコンを扱える人)にインターネットを広めたのが1995(平成7)年の『windows95』、そして同じ年から始まったNTTの『テレホーダイ』
 初期は接続速度が非常に遅く、トップページのちょっとした大きさのバナーを開くのですらコーヒー一杯飲めるくらいの時間を要するくらい。しかし高速な回線が普及していくのも速く、1年もすればちょっとした画像を見るには不便がないくらいになりました。

 自分も1997(平成9)年に「ホームページ」(これも死語に近いなあ)を作っています。当初はテキストが中心でしたが高速化が進むにつれ画像を増やし、ほどなく岩手競馬のレースの写真を大量に載せるようになっていきます。
 フィルムのカメラで撮影して、現像して、スキャンして、それを編集して載せるという今から思えば途方もない手間をかけていましたけども、レースの画像でテキストでは伝えきれない部分を見せる事ができるのは大きな魅力であり、その手間も、苦ではなかったといえば若干嘘になるかもしれませんが、それなりに楽しいものではありました。


★『岩手競馬R』というサイトでした。競馬雑誌にも採り上げてもらった事があります。「競馬・最強の法則」1997年10月号です。その節はありがとうございました

 世の中的にもこの頃から「パソコン通信」と「インターネット」が逆転し始めます。テキスト主体で(おかげでアスキーアートという文化が生まれましたが)、なおかつ電話料金だけでなく時間単位の接続料金も必要だったNIFTYに対しインターネットは基本は電話料金のみ。そのうえ自分の好きな情報を好きな形で掲載し発信する事もできるようになるのですから、それはそっちの方が面白くなるし実利もありますよね。
 「自分でホームページを作ってみよう」というハウツー本が増え始めたのも1996、7年頃。それまではパソコン通信のコマンドを覚えてきましたが、それからはhtmlのタグを頭に入れるようになりました。

 JRAや地全協が自身のWEBサイトを開設したのも1998(平成10)年頃だったと思います。これもひとつの画期でした。各地の成績をインターネット上で入手できるようになったのです。インターネットの情報量がパソコン通信のそれを上回った。それがこの頃だったと言えるのではないでしょうか。

 自分はこの頃NIFTYを離れます。やっぱり1998年くらいには既に情報の量が減ってきたのを感じていました。昔からのコテハンさん達が頑張っていたけれど新規の顔ぶれが増えない。メイセイオペラが活躍していた頃には、知り合うネットの方はNIFTYからではなくインターネットからがほとんどになっていました。
 ニフティサーブの迷走が始まったのもこの頃で、「インターネットからNIFTYの会議室を利用する」形のサービスが作られたりしましたが、広い海からわざわざ狭い池のような所へ入っていく意味は無いですよね・・・。

 改めて書いてみると自分はどちらかといえばパソコン通信の時代というよりインターネットの時代に育ったのかもしれない。NIFTYに入り浸っていたのも実質3年間くらいで、自分で感じていたほどには長くなかった。
 しかし、当時NIFTYで知り合った方、名前を見かけた方で今でも競馬の世界におられる方は決して少なくなくて、「NIFTYの頃からお名前拝見しておりました」くらいに言えるのはメリット大だったり。
 それ以上に、自分が地方競馬にどっぷりとはまり込み、なおかつ岩手競馬の情報を全国に送りだそう届けようと考えるようになったのは、全てこのNIFTYの地方競馬会議室に出会ったから。そう言っても過言ではないと思います。

 平成初期、全国各地の強豪馬の姿は、雑誌や新聞で、あるいはパソコン通信で、文字の中から一生懸命に想像するしかありませんでした。そもそもその競馬場がどんな物かも分からなかったですものね。“アンカツ”ってどんな顔?菅原勲ってどんな顔?どんな声?そんなものでも知るためのハードルは意外なほどに高かった。
 それが今やJRAのレースも、地方競馬のレースも、全国の全レースを見る事ができます。主だったレースの結果もすぐに分かるし、馬の姿だけで無く騎手の顔だって簡単に調べる事ができる。そしてそれは日本に限らず世界に関してもそうなのですから、平成の30年、競馬に関してネットが変えたのは、一番はこういう部分でしょう。

 次回はホクトベガのドバイワールドカップとパソコン通信のお話にしよう。





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最終更新日  2019年01月11日 10時11分05秒



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