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2020年07月02日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 さて今回は、​昔の競馬場のお話​の続きを。「小西重征調教師が旧水沢競馬場(現在地に移転前の駒形神社近くにあった頃)を知っている」というあたりから。


★改めて厨川駅(現在はIGRいわて銀河鉄道)

 現在は競馬開催時には盛岡市の盛岡競馬場と奥州市の水沢競馬場の間を馬運車でもって競走馬を輸送しているのですが、かつては、それこそ旧水沢競馬場があったような頃はどうやって馬を運んでいたのでしょうか?

 答えは「鉄道」です。

■鉄道で馬を運んでいた時代

 小西調教師のお話を伺ってみましょう。

「その頃(小西調教師がまだ若手騎手だった昭和30年代前半)は鉄道を使って水沢まで馬を運んでいた。(旧)盛岡競馬場から厨川駅まで馬を連れて行って、貨車に乗せて。水沢駅まで1日がかりだった。そういう仕事は新米騎手の役目。先輩騎手は普通の列車に乗って先に行ってしまうのさ」

 旧盛岡競馬場から厨川駅まで、GoogleMAPで調べると約3km。ゆっくり歩いて小一時間くらいでしょうか。「馬に乗って行った(小西調教師)」というので人が歩くよりは速かったか。駅の方に行くのは下り、競馬場の方に行くのは登りかな。


★旧盛岡競馬場から厨川駅への道のり(出典GoogleMap)

「貨車1両に4頭分の仕切りがあって真ん中に飼い葉や水の桶を置いていた。馬は勝手に食べたり飲んだりしてればいいのさ。頭数が少ないんじゃないかって?昔はけいが速歩や騎乗速歩もあって駈歩のレースに出る馬が少なかったからこれくらいで良かった」

 水沢競馬場移転直前の1963(昭和38)年の開催日数は盛岡競馬24日、水沢競馬が36日の計60日。今の約半分ですね。
 昭和20年代には40日前後だった開催日数は徐々に増やされ、年間54日から60日になったのが1962(昭和37)年。時はいわゆる「高度経済成長」時代。その後も毎年のように開催日数が増やされていき、1976(昭和51)年には年間100日の大台を超えます。
 とはいえそれはまだ少し後の事。話を昭和30年代に戻せば開催日数は今の半分、出走頭数も一開催6日間でだいたいのべ400~450頭前後だったようなので2/3くらいでしょうか(連続で出走する馬もいたはずなので実際の頭数はもっと少ないと思われます)。

 貨車というのはワム3500とかでしょうかねえ?イメージとしては、2軸で、片開きの扉が車両の真ん中にあって・・・という感じ?仕切りを作ったりとったりするのはすぐでしょうから専用の貨車が常時厨川駅にあったという事では無いと思います。

 1970年代に入る頃には馬運車による道路輸送に替わっていたと思われ、大ベテランである小西調教師(当時は福田重征騎手)くらいの世代までが鉄道輸送の経験者なのではないでしょうか。


■三々五々と競馬場に集まる馬たち

 さて、貨車に乗って水沢駅までやってきた競走馬や福田重征騎手のような若手はそれからどうしたのでしょうか?

 ここで以前にもこのブログで掲載した旧水沢競馬場の航空写真を見てみましょう。


★旧水沢競馬場の航空写真(出典/国土地理院航空写真)

 何かが足りないと思いませんか?今の地方競馬場ならまず大体あるもの。
 そう。厩舎が無い
 競馬場に隣接した所に厩舎が無いのです。

 では馬はどこに行っていたかというと、市街地の各所に点在していた厩舎・・・というか厩に入っていたのだそうです。
 水沢在住の調教師さんたちは自分の馬を入れる厩を自宅に併設していたりしていました。それは現在地に移転してからもしばらくそうで、競馬場近くに厩舎地区が整備されるのは移転して数年経った1971(昭和46)年になってからです。


★1968(昭和43)年、移転間もない頃の現水沢競馬場。今の厩舎地区は田んぼ(出典/国土地理院航空写真)

 小西調教師のお話を続けましょう。

「水沢駅に付いたら馬を街の中にある厩へ連れて行った。昔、馬検場があったあたりや立町のあたりにたくさんあったな。競馬の時はそこから競馬場(※旧の水沢競馬場)に歩いていくのさ」


 水沢市(現奥州市)にあった馬検場は今は水沢武道館と秋葉公園になっていて馬検場の頃の面影は残っていません。しかし、隣接する秋葉神社には馬櫪神がありました。この地区周辺が馬との繋がりが深かった事を伝える一つの証拠と言えるでしょう。


★水沢武道館。かつてはここに水沢の馬検場がありました



★秋葉神社



★馬櫪神は厩の神様であり馬の守護神。これがあるという事は近隣と馬のつながりが深かったという事

 立町にはかつて宿場もあったそうですから、昔から、各地から馬が集散する中心だったはずです。細長い敷地が連なる街並みはいかにもかつての街道筋のそれを思わせるものですね。


★1976(昭和51)年の馬検場~立町周辺の航空写真。短冊状の敷地の建物はまさしく旧街道沿いの街並み(出典/国土地理院航空写真)

 ここから競馬場に向かう時に通ったのは大手通かあるいは大町の通りか。水沢で競馬がある日は、街の中に点在する厩を出た馬たちが三々五々と駒形神社を目指し、そしてレースが終わればまた街の中を歩いて厩に帰って行く姿を見る事ができたのではないでしょうか。各地から集ってきた馬や人が行き来し、関係者の鞍祝いの歓声があちこちから聞こえてくる・・・。競馬の日の水沢の町はさぞ賑やかだったことでしょう。


■馬と貨車、もうひとつのエピソード

 “貨車で馬を運んだ話”。もうひとつのエピソードがあります。
 佐藤浩一調教師は水農馬術部時代の1972年、鹿児島国体の馬術競技に出場しました。その時に競技の馬を岩手から鹿児島まで、貨車で運んだのだそうです。

 その時の貨車も普通のそれに仕切りを付けたりしただけのもので、貨車の半分に3頭分の仕切りを、残り半分には道具や荷物類と、出場する選手(!)が一緒に乗り込んで行ったとのこと。

「昔の貨物列車はあちこちで停まり停まりしながら進むからえらく時間がかかったな。行きは7日、帰りは少し早くて5日だったか。その頃の貨物列車には車掌が乗っている車両が必ず付いていたから、長く止まりそうな気配の時はどれくらい停まっているか聞きに行って、長ければ弁当を買いに出たりしていた」

 今のコンテナだけになった貨物列車と違ってかつてのそれは、主だった駅や操車場に停まりながら貨車を付けたり外したり、離合集散しながら進んでいくものでした。長く停まるからと聞いて買い物に出たところが、乗っていた貨車が入れ替えで全く違う線路に移動してしまい、場所が分からなくなった先輩が乗り遅れてしまった事もあったそうです(その先輩は旅客列車で先回りして事なきを得たとか)。

「入れ替えの時が大変で。坂を転がって連結したり、機関車で貨車を押しながら加速を付けてバッと切り離して別な線路に入れたりな。全くモノ扱いだった」

 ここは非常にマニアックな体験です!貨車を外したり付け替えたりする際、大きな操車場だと「ハンプヤード」という坂を利用した入れ替え線があって、機関車で貨車を坂の頂上まで押し上げそこで切り離す。すると貨車は下り坂で加速を付けながら次の行き先に向かう貨物列車が待つ線路へと転がって(転がされて)いくわけです(余談ですがかつて北上にあった北上操車場はリニアモーター式のヤードで貨車の入れ替えを行う最新式の操車場でした)。
 そしてハンプヤードが無い操車場の場合は、機関車で貨車を押して加速を付けて、スピードを付けてから切り離して押し出す・・・という方法が採られていました。専門用語では「突放(とっぽう)」とかいうんですけども、若き日の佐藤浩一選手はそれを何度も体験しながら旅していたんですね。まあ、まさしく荷物扱いではありますが、レア体験、ちょっと羨ましい気も・・・。
 そういえば「山の手前で列車の後ろにも機関車が付くのな(※補機の事ですね)。登り切ったら走りながら切り離されて行くんだ(佐藤浩一調教師)」なんて話も。いや、羨まし過ぎるですよ。

 少し時間が戻って1970(昭和45)年。その年に行われた岩手国体の際、水沢競馬場(移転後の現在の競馬場)が馬術競技の会場になりました。その年はまだ下級生だった佐藤浩一少年は、全国から水沢駅に貨車で(!)到着する各地の選手・馬を駅から競馬場まで案内する役をやらされたそうです。

「1日に5回かな、往復したが、なかなか大変だったな(佐藤浩一調教師)」

 ゆるゆる歩けば片道40分くらいかかりますからね。それを5往復もするとなると1日中ずっと歩いているようなものです。
 それはさておき、競走馬や競技馬であっても貨車で運ぶのが珍しく無かった時代。今となっては遠い歴史の1ページとなってしまいました。

 ところで佐藤浩一調教師は旧の方の水沢競馬場で騎乗した経験はもちろん無いのですが行ったことはあるそうです。
 「小学生の遠足で行ったよ。秋だったから内馬場の田んぼに刈り取った稲を干してある光景を覚えている(佐藤浩一調教師)」
 往時の写真を見てもその通り、旧の方の水沢競馬場の内馬場は一面の田んぼ。秋頃は掛け干しされている稲の間を馬が駆け抜けるような光景が見られたのでしょうね。これもまた歴史の1ページ。





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最終更新日  2020年07月03日 11時54分51秒



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