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2021年07月22日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今回はいくつかの話題に触れたいのですが、まずはマーキュリーカップのお話から。
 優勝はJRAのマスターフェンサー。昨年に続いて連覇達成となりましたね。


★マーキュリーカップ優勝/マスターフェンサー号

 昨年よりも4kg重い58kg、昨年よりは微妙に見える臨戦過程。そんな事もあっての単勝4番人気の評価だったでしょうし、自分もそう感じていたのですが、終わってみれば3コーナー過ぎに先頭に立ってそのまま最後まで押し切ってしまう横綱相撲。
 昨年の、直線入り口4番手あたりから次々前を交わしていっての勝利も強いなと思ったものですが、今年は58kgでありながら昨年以上の圧倒的な強さを見せつけたように感じます。




 勝ちタイムが昨年の2分3秒0から2分5秒7に遅くなったのは砂入れ替えの影響および当日の馬場傾向の影響でしょう。上がり3ハロンも昨年の36秒9から38秒0になったのも同様の理由でしょうが、それで昨年以上にも感じる走り・・・という事は、やはりパワーを要求される状況の方がより強さを発揮するタイプ。
 昨年はマスターフェンサーから1馬身半差2着のデルマルーヴルが今年は13馬身差の4着、同じく約7馬身差の4着だったヒストリーメイカーが12馬身差の3着という比較は、それぞれの調子・状態の違いも当然あるのでしょうが、昨年とは異なる馬場傾向への適応力であったり得意・不得意であったりの差が現れた・・・と見る事もできるでしょう。今年の状況がマスターフェンサーにとってはより強さを増す方向に働いたという事なのでしょうね。

 そんな昨年の上位馬に先着する形で2着に食い込んだのがバンクオブクラウズでした。


★バンクオブクラウズ

 レースを見直していただくと分かるのですが、スタートからゴールまで、マスターフェンサーとほぼ同じ競馬をしています。最終的な着差こそ2馬身付きましたが、最初のスタンド前の直線でも2番手に付けたマスターフェンサーの1馬身半ほど後ろに取り付いていましたから、言ってみれば最初から最後までほぼ同じ差のままだったわけです。上がり3ハロンも同じ38秒0。最後の直線もずっと同じくらいの間隔です。


★一周目スタンド前、マスターフェンサーに次いで3番手で進むバンクオブクラウズ

 マスターフェンサーがいなければこの馬がぶっちぎりで勝っていたかもしれない。とはいえ相手は58kg、自身は54kgですから、それを思えば結果的には“完敗”と表現せざるを得ないでしょう。レース内容も悪くないとは思うのですけども、“最初から最後まで同じような差”を自分の力で動かしていける“何か”が欲しい気がしますね。そこがこれからの課題だと思います。

 地方馬最先着は逃げて6着に粘った大井のホーリーブレイズ。以下7着エンパイアペガサス、8着北海道クインズサターン、9着ヤマショウブラックと続きました。この辺はほぼ一団、ひとかたまりでほとんど差がありませんでした。
 結局、今回のような深い力のいる馬場での戦いで、先行してなお38秒台の上がりを使えるJRA勢とそうでない地方勢に分かれた形。大きく外を回るような状況の馬場で距離ロスも大きい中で、パワーの差がより如実に現れたという事だと思います。






 地方勢からすると展開とかペースとかの小細工が、小細工というと語弊があるかもしれませんが、有利な形に持ち込むような技が通用しがたい状況になりました。エンパイアペガサスなども2分7秒台で走れれば上位に食い込むチャンスもあると思っていましたが、そういう時計云々以前の展開になってしまいました。

 勝ったマスターフェンサーの次走はまだ未定との事で、すぐにG1挑戦路線へ向かうという感じではなさそうですが、じっくり実績を積んでいって、来年の盛岡JBC、JBCクラシックのメンバーにぜひ加わってほしいですね。


 マーキュリーカップ当日には悲しいレース結果もありました。

 8Rに出走したミンナノヒーロー。圧倒的な1番人気に支持されていましたが、直線に向いてさあ先頭に立とうというところで故障発生、競走中止。左前肢第一指関節脱臼で予後不良という悲しい結末となりました。


★ミンナノヒーロー(7月20日8Rパドック)

 岩手でデビューの形になったその初戦こそ2着に終わりましたが、その後は走る毎にレースを覚えて力も付けて、いずれ遠くないうちにJRAに復帰するか・・・という将来像が見えてきた所でのこの結果は悲劇としか言いようがありません。
 先日のラブバレットもそうでしたが、何事もなく帰ってきて欲しいというただそれだけの願いも叶わない時があるのだな、と。ただ残念です。


 そしてもう一つの“お別れ”がありました。マーキュリーカップウイークが始まろうとする7月18日、鈴木七郎調教師が急逝されました。
 その数日前まではいつも通り水沢競馬場で調教を見られていたという鈴木師でしたが、金曜日に体調を崩されて土曜日に入院され、その時はまだそれほど容態が悪い様には見えなかったのだそうですが、18日日曜の朝に亡くなられたとの事。あまりの急な事に驚きつつ戸惑うしかありませんでした。




 自分にとっての鈴木七郎調教師の最初の記憶はセイントリーフですね。
 2001年のラジオたんぱ賞、JRA福島の芝1800mで行われていた頃のこのレースにネイティヴハートと共に遠征して、ネイティヴハートは1番人気、セイントリーフは12頭立て12番人気。しかし結果は、セイントリーフは5着のネイティヴハートに対しクビ差に迫る6着と健闘してみせました。“おらいの馬もなかなかやるな!”と喜ばれていたのを覚えています。





 この写真はその時、優勝馬の表彰式を見ている鈴木七郎調教師の後ろ姿。「自分の馬もああいう風に、あそこで表彰されるようになりたいね」。そんな事を言われていたと思います。

 ヒライズミナンバーという馬がデビューした時には特製の“自動車ナンバー”のメンコを用意されて、「面白いメンコを作ったからよ、写真撮っといてくれよな」とニコニコしているような茶目っ気もありました。ちなみに「111」のナンバーは「全部1着になれ、ってことよ」だそうでした。


★ヒライズミナンバーがデビューしたのは2013年。翌2014年から「平泉」表記の自動車ナンバーが新設されるという事でナンバー風のメンコに


 所属の高橋悠里騎手が韓国で騎乗していた時には、自分がソウルに行くと言うと「厩舎の仕事が忙しいから“早く帰ってこい”と悠里に言っておいてけれ」といいつつ、ソウルのレースの動画はどうやったら見れる?悠里が勝ったそうだが成績はどこで見れる?ともの凄く気にされてもいて、勝ったら勝ったで我が事のように喜ばれていました。

 以前はセイントリーフをはじめセイントセーリングやエアウィード、ボスアミーゴ、ハルサンヒコといった馬たちで毎年のように重賞タイトルを手にされていましたが、近年はサンエイフラワーやサンエイムサシ、レールガンのような“もう少し”という馬は少なく無かったものの優勝には届きませんでした。最後の重賞制覇は2008年のせきれい賞かと思います。

 つい先日まで、デビューする2歳馬のお話をうかがったりしていたので、自分も未だに信じられません。改めて、鈴木七郎調教師のご冥福をお祈りいたします。

 なお鈴木七郎厩舎の管理馬、および所属の高橋悠里騎手や厩務員さんは酒井仁厩舎所属となっております。このあと2開催かな、その間の暫定的な措置で、旧管理馬・旧所属のスタッフはこの間に改めて所属の厩舎を決める事になります。





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最終更新日  2021年07月23日 05時41分51秒



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