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横川典視

2023年09月28日
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カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 ファイナル・ダービーグランプリ特集(?)。​​第一回​​に続き二回目は2010年に復活してからのお話、そして今年の出走馬にも触れていきたいと思います。

■“地方3歳馬の祭典”として復活

 2007年、馬インフルエンザの影響でノングレードの地元重賞として行われた第22回を区切りとしてダービーグランプリはいったん休止。ですが、“中3年”の休養明けを経た2010年、改めて“地方3歳馬の祭典”ダービーグランプリとして復活しました。

 前回触れたように第1回はシーズン最終開催週の12月7日に行われていたダービーGPでしたが第2回からは11月下旬に定着。それがJRA交流化後に11月上旬、のち9月下旬へと移動していっていたので、“復活”ダービーGPが11月下旬に行われるのはまさしくかつての、地方馬だけのダーグラの復活を思わせるものでしたね。

 その復活ダービーGPを制したのが岩手のロックハンドスターだったのも、岩手のファンとしては良かったですよねえ。
 2歳・3歳・古馬と、グレードレースだけでなく地方交流重賞でも他地区馬にタイトルを持って行かれる事が多かっただけにこの勝利は気持ちのいい勝利でした。


★2010年の“復活ダービーグランプリ“を制したのは地元岩手のロックハンドスター



★レース後の菅原勲騎手を取り囲むマスコミ陣の多さからもこの時の注目度の高さがうかがえます



★特別奨励金というものがあったんですね

 2010年からはロックハンドスター、カミノヌヴォー、ロッソコルサと岩手勢が3連覇。


★2011年優勝は岩手カミノヌヴォー。震災の影響によりこの年は盛岡での開催





★2012年も優勝は岩手のロッソコルサ。ここでも村上忍騎手の大きなガッツポーズ

 2013年からはしかし、ジェネラルグラント、ドラゴンエアル、ストゥディウム、トロヴァオと南関勢が4連覇して逆襲。ダービーGPでの南関所属馬の優勝は、実は第3回アエロプラーヌ以来のことだったりしました。


★2013年は船橋ジェネラルグラントが優勝。石崎駿騎手の父・石崎隆之騎手もイシノサンデーで第11回ダービーGPを制しているので“親子制覇”になりました


★2014年は川崎ドラゴンエアル。鞍上は吉原寛人騎手、第8回をミスタールドルフで制した渡辺壮騎手以来となる金沢所属騎手の制覇にも


★2015年は船橋・ストゥディウム。石崎駿騎手は史上6人目のダーグラ2勝ジョッキーになりました


★2016年の勝ち馬は大井・トロヴァオ。鞍上は真島大輔騎手(現調教師)。第3回的場文男騎手以来の大井競馬所属騎手の優勝

 2017年にホッカイドウ・スーパーステションの勝利もまた第6回リバーストンキング以来のホッカイドウ競馬所属馬の優勝。この時の鞍上・阿部龍騎手は22歳と8ヶ月で、第12回をテイエムメガトンで制したJRA・菊地昇吾騎手の21歳11ヶ月に次ぐ若さでの戴冠に。




★2017年は降りしきる雪の中でのレースに。角川調教師には「あの時は寒かった!」と今でも言われる。写真を撮る方としてはピントが合わないのでたいへん苦労した記憶の年

 2018年は岩手のチャイヤプーンが優勝。遠征馬に掲示板を占められるような状況になってきていた数年分の鬱憤をまとめて晴らす快勝でした。


★2018年優勝は岩手チャイヤプーン。久しぶりの岩手勢勝利

 ところで復活時は800万円だった1着賞金は2017年に1000万円、2020年に1500万円、2021年に2000万円、2022年には2500万円と年々上昇し地方馬のみの重賞としては全国トップクラスのものに。出走を目指すメンバーもそれに伴って年々豪華に、強力になってきました。
 2021年はホッカイドウ・大井・浦和・船橋・金沢・兵庫の6地区から、2022年はホッカイドウ・大井・浦和・船橋・愛知の5地区から遠征馬が参戦。多士済々、様々な路線から進んできた馬たちの激突は、地元岩手勢の成績は今ひとつではありましたが、ダービーGPという舞台にふさわしい戦いだったと思います。


★2019年はホッカイドウのリンノレジェンドがV。鞍上岡部誠騎手はダービーGP初制覇かつ愛知所属騎手として史上初の優勝騎手になりました。またこの年から照明下でのレースにもなっています


★2020年は岩手フレッチャビアンカが優勝。高松亮騎手も初制覇


★2021年は船橋ギガキング。同馬は2歳時にホッカイドウ所属として南部駒賞を勝っており、“ダービーGP以前に岩手で重賞勝ちの経験がある遠征馬”として初



★そして昨年2022年はホッカイドウ・シルトプレが優勝。2着もホッカイドウのエンリルで、 “ホッカイドウ勢のワン・ツー”は史上初


■時代に翻弄された面も

 36回目の今年で幕を閉じる事になるダービーグランプリ。改めて振り返ってみると、2010年の復活後が今年を含めてのべ14回。“第1期”といえる地方交流時代が10回、“第2期”となるJRA交流時代が、イレギュラーになってしまった2007年を含めても12回でしたので、今の“第3期”が実は一番長い区切りになっているんですよね。G1だったのは10年間(ちょっと間違いやすいのが、交流初年度の1996年はノングレードの交流重賞だったこと。これはクラスターC・南部杯も同様。ちなみに1年後の97年に創設されたマーキュリーCは最初からグレードレース)だったから、そう思ってみると案外短かったですね。

 全国のトップクラスの3歳馬を集めたいという位置づけゆえに時代に翻弄された面もありました。

 初期の11月から9月に移ったのは2001年のJBC設立の影響でしたし、復活後の11月下旬の位置から2019年に10月頭に移動したのもやはりダービーGPを制した馬がJBCにも向かえるようにという狙いから・・・だったりします。




★初期の“3歳ダート三冠”の一戦だったスーパーダートダービー。1996年創設も実質3回で役目を終えた非常に短命なレースでした。画像はメイセイオペラが出走した1997年・第2回

 そして今回も、全国的なダート競走体系整備の中で3歳のチャンピオン路線が南関三冠に集約される中でダービーGPがその役目を終える形になりました。

 3歳路線は以前から行ったり来たりしていた・・・と言えばそういうところがありますよね。 3歳馬のチャンピオンクラスは秋冬には古馬と激突するようにしようとか、いややっぱりある程度は3歳馬だけのレースも残した方がいい・・・とか。
 そうは言っても、どういうふうに路線を進ませていくか?はレースの配置だけでなく“その路線を戦い抜く事でどれくらいの賞金を獲得できて、その先にどんな路線に進めるか?”まで考慮して組み立てていかないといけないですから、難しい事なのは間違いないと思います。

 自分は度々書いていますけども「全国的なダート競走体系整備」は“早くから3歳馬に賞金を持たせて、早くから対古馬路線に進めるようにお膳立てする事”が狙いだと、もちろんそれが主目的ではないでしょうが、いずれそうなっていくだろうと考えています。

 新しいダート3冠路線はそのトライアルまでもグレード化されますから、路線を好成績で完走できれば秋冬にはJBCであったりチャンピオンズC、東京大賞典へと挑む、その出走枠をベテラン古馬と争えるだけの賞金を持っているでしょうし、なんなら途中で抜けて南部杯に向かう事もできるでしょう。高いレーティングを獲れれば海外にも行きやすくなる。いわば世代交代が強力に推し進められる、それも毎年・・・という事になるのではないでしょうか。

 そんな流れの中にダービーGPがあってくれれば良かった・・・とは思わないでもないです。ですがここはひとまずどんな形になっていくかを見守ってみたいですね。


■いよいよ“ファイナル・ダービーグランプリ”

 さて。そんな最後のダービーグランプリが10月1日に迫ってきました。この稿を書いている時点での出走申し込み馬、遠征馬は6頭となっています。ホッカイドウから2頭、大井から4頭で、全国各地から集まった近年に比べて所属場の数ではだいぶ少なくなりましたが、しかし“無敗のダービー馬”ミックファイア参戦、そしてその王者に挑む馬たちの存在が、最後のダーグラを盛り上げてくれそうです。

 まずミックファイア。今年はダービーGPだけでなく全国各地の3歳戦で“今年で最後の○○”的な前置きがついたわけですが、この馬は“南関馬だけの東京ダービー”さらには“今年最後のジャパンダートダービー”を制してきて、路線が大きく変わる直前の今年のまさしく“時代の寵児”となっていますよね。
 こういう年だからこそ強い馬が出てほしい、無敗で駆け上がっていくような馬が出てほしい・・・というファンの想いを体現したかのような。
 ここまでの流れからすれば“最後のダービーグランプリ”もこの馬のためにあるようなもの、この馬が勝ってこそ歴史が締めくくられるのかな・・・という考えにもなってきます。


★ミックファイア(ジャパンダートダービー)あくまでも予想を抜きにしての話をするならば、歴史の文脈はこの馬を後押ししている


 しかし、挑む馬たちもまた同様に、歴史最後のこの舞台で勝って、その名を刻み込もうと思ってやってきます。

 ホッカイドウの三冠馬ベルピット。2歳時に二度敗れた事があるために“無敗の三冠馬”という称号こそ手にする事ができなかったとは言え、その二度の敗戦も2着、3歳三冠戦線では他馬をまったく寄せ付けない強さを見せつけてきました。
 門別デビューの2歳馬がのちに南関はじめ全国に転じて3歳戦線で活躍する・・・という構図は周知の通り。今年にしても、南関3歳クラシック路線で好走しているような門別出身馬を、昨年のこの馬はほぼ圧倒し続けていたわけですから、南関勢恐るるに足らずと乗り込んでくるのも決して裏付けが無い話ではありません。


★ベルピット(22サンライズC)その負けた時の写真で申し訳なし


 ケンタッキーダービーに挑んだマンダリンヒーロー。戸塚記念で2着に敗れヒーローコールに連敗の形、藤田調教師も「三番目の馬になっちゃったかな・・・」とちょっと寂しそうに振り返っていましたが、とはいえコーナー6つの川崎2100mに比べれば実質一周競馬になる盛岡2000mはこの馬向きの舞台のはず。鞍上に吉原騎手を据えてきたのも不気味


★マンダリンヒーロー(戸塚記念)陣営は “勝負付けが済んでいる”とは思っていないはず


 南関勢のサベージ、タイガーチャージは、例えば対ミックファイアの成績では分が悪いという他はないですが、ミックファイア・ヒーローコール・マンダリンヒーローが現時点で3強だとすればその次位を争える位置にはいる馬たちです。
 ホッカイドウのニシケンボブも同様で、三冠路線は全てベルピットの2着でしたけども、ベルピットが“もの凄く強い”のだとすればこの馬の相対的なポジションも自ずと上にあるという事になりますからね。
 さしあたり対ミックファイア・対ベルピットを想像するとして、いきなり逆転とまでは言えないでしょうけども、上位を争う資格は十分にあるはず。


 地元のルーンファクターも上々の調子で挑めそうです。


★ルーンファクター(不来方賞)

 今日木曜日に最終追切を行ったとのことでしたので管理する千葉幸喜調教師に感触をうかがっております。
「今朝は馬場が悪かったのと、先週、一週前に強めに追っているので今朝は反応を確かめる形の追い切り。手綱を取った坂口騎手の手応えも悪くなかったようです(千葉幸喜調教師)」

 不来方賞ではミニアチュールら相手に完勝、同馬の三冠達成を阻止した形のルーンファクター。転入前の結果が良くなかったこともあって評価しづらい面があるのは否めないところ。ですが、やまびこ賞はハマった部分があったかもしれませんが、不来方賞は正攻法で勝ちきっていて、これをフロック視するわけにはいかないでしょう。
 勝った事で「いや実は南関時代にミックファイアの1秒差で走っている馬だ」と言われたりもしましたが、ここでは、夏を越し秋を迎えてこの馬が成長している、この馬の本来の力が発揮されつつあるのだという見方をしておきたいですね。千葉幸喜調教師もそういう「成長がうかがえるレース、力を付けているのだというレース見せてくれれば」と願っているようです。

 ファイナル・ダービーグランプリ。その「最後の勝ち馬」として名を残すのはどの馬なのか?10月1日の盛岡第11レース、発走は18時15分。ネットで、現地で、歴史に残る戦いをぜひ見届けてください。






最終更新日  2023年09月28日 23時56分59秒


2023年09月21日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 いよいよ迫ってきました“ラスト”ダービーグランプリ。今回と次回、もしかしたらその次の回も、ダービーグランプリのお話をしていきたいと思います。無謀にも前後編?の予定。




 まず今回は『ダービーグランプリの時代』と銘打ってダーグラのこれまでを遡ってみるというお題。今年で36回にもなるだけに全てについては触れる事ができませんが・・・というところをあらかじめお断りしつつ話を始めましょう。


■「レベルの違いを見せつけられた」第1回ダービーGP。しかしそれは次世代の糧に

 ダービーグランプリが設立されたのは1986(昭和61)年のこと。それまでにもエリア交流の“ダービー”は存在していて、例えば東北三県交流の『東北優駿(※新潟県競馬で実施する場合のみ東北ダービー)』は第1回が1978年の上山で行われていますし、東海エリアでの『東海ダービー』は1971年に、北関東エリアの『北関東ダービー』は1973年に設立されていますが全国の地方競馬の・・・となるとこのダービーグランプリが初。


★第1回ダービーグランプリ開催を告知する新聞広告。1986年はこのダービーGPを含む12月6日・7日・8日が最終開催で、ダービーGPが「シーズンラストを飾る一戦」の位置づけでした(『岩手日報1986年12月5日朝刊より引用)



★こちらは第1回のポスター。“ダーグラは金色基調”は初期からできていた模様。上の新聞広告は、二つのポスターを足して二で割ったような図案というのも興味深いですね(『岩手県競馬組合30周年記念誌』より引用)






★記事上は第1回ダービーグランプリ開催告知の新聞広告(『岩手日報1986年12月5日朝刊より引用)より。同下はシーズン最終開催告知の新聞広告(『岩手日報1986年11月28日朝刊より引用)から。東北3県への実況中継番組だけでなく関東でも放送、そしてダービーGP関係の事前番組が2つも!いかに力が入っていたかが分かりますね。


 その栄えある第1回は北海道・グリーンタイセイ、足利・サラノオー、新潟・ダイスプリンター、大井・トミアルコ、船橋・ダイナシーズン、笠松・タカシマリーガルの遠征馬6頭を地元のノーザントライ・イワタケテスコ・トウケイフリート・ジヨージアセイコウが迎え撃つ形の10頭の戦いでした。優勝したのはトミアルコ。牝馬が“地方3歳の頂点”に立ちました。



★こちらは岩手日報さんの予想。本命はダイスプリンターですね。実際の人気もこの印のような感じでした(『岩手日報』1986年12月7日朝刊より引用)


 のちのち「レベルの違いを見せつけられた」という言われ方をする第1回のダービーGPなのですが、単に南関東の馬が勝ったという結果だけでなく、地元のトウケイフリートは不来方賞の他スプリングカップやサマーカップを、ジヨージアセイコウはダイヤモンドカップ(※当時はダービーGPの前哨戦的位置)を、イワタケテスコはやまびこ賞を、ノーザントライもビューチフル・ドリーマーカップ(※当時はOP牝馬の特別戦。なお表記は当時に習います)で古馬に勝っている馬。

 それらその年の岩手の世代トップクラスが蹴散らされただけでなく遙か彼方にいる(2着サラノオーと3着ダイナシーズンの間は7馬身差。岩手最先着の5着ノーザントライは3着からさらに1馬身強の差)。それも牝馬。
 いや、トミアルコにしてもその年の大井の世代最強馬ハナキオーと互角に戦った事もある強豪ですからね。この馬の走りはそのまま南関クラシック路線のトップクラスの内容と考えていいもの。

 岩手の世代トップクラスだけでなく、その岩手の馬を東北優駿で破っている新潟のダイスプリンターも、3着ダイナシーズンに食い下がったとは言え優勝争いは7馬身もの前で繰り広げられていたわけで。岩手との差・東北との差を“見せつけられた感”はもの凄く強烈だったのだと想像します。

 ダービーGPの2年後に設立された南部杯、当時は「北日本マイルチャンピオンシップ南部杯」は、こちらも当初は他地区馬に蹂躙されるような結果でした。
 地元馬がダービーGPを制したのは第4回、スイフトセイダイ。南部杯は第3回のグレートホープ。
 なし崩しに南部杯も織り交ぜた話になってしまいますが、どちらも初期はせっかくの高額賞金を他地区馬に持って行かれる結果になって、こうしたレース設定に対する批判というか不満もあっただろうと想像します。
 しかし当時は、東北三県の中であっても岩手の馬が強いとは見られていなかった時代。強い馬を出して岩手競馬を底上げしていこう、盛り上げていこうという志が、当初の苦しい敗戦にも耐えさせたのだろうとも思いますね。

 奇しくもスイフトセイダイ・グレートホープはのちに「SG時代」と呼ばれる一進一退の攻防を繰り広げる好敵手となり、そして「TM時代」、トウケイニセイ・モリユウプリンスの時代へ、さらにはメイセイオペラ・トーホウエンペラーを送り出して、岩手競馬の全盛期と呼べる時期へと繋がっていきました。

 第1回のダービーGPは厳しい結果に終わったものの、それは間違いなく次世代の糧になっていたはずです。


★OROパーク盛岡競馬場のスタンド2階では「ダービーGPポスター展」開催中。10月1日までです。当日お越しの際はぜひお立ち寄りを


■JRA交流時代のダービーグランプリ。岩手の馬も健闘していた

 第1回から第10回までは「地方競馬のみ」のレースだったダービーGPは、JRA・地方交流時代の幕開けに伴って、また新盛岡競馬場・OROパーク開場にもともなって、1996年からはJRA・地方競馬交流の4歳(旧年齢)重賞となり同時に開催場も盛岡に移る事になりました。

 1995年のダービーGPは、ある意味今年の南関クラシック路線のような「地方馬だけのダービーGPはこれが最後なのだ」という感慨を抱きながら見た記憶があります。
 同時に新しい盛岡競馬場での、JRA馬との戦いがどんなものになるのだろうか・・・という期待もありましたね。

 1996年は皐月賞馬イシノサンデーの参戦と優勝で盛り上がったものの地方勢は岩手のウエストサンボーイ4着が最高。翌年は、メイセイオペラが参戦しましたがご存じのように骨折の影響で力を出せず・・・で悔しい思いをするばかりでした。

 1998年は、これも有名なエピソードになっていますよね。降雪延期。ウイングアローが三冠馬になり損ねたのにはこの降雪延期・開催場変更の影響が間違いなくあったでしょう。
 また笠松のハカタビッグワンや高知のカイヨウジパングは延期によって短期間に二度の長距離輸送をするはめに。カイヨウジパングはその年の高知の三冠馬、ハカタビッグワンはのちにグレードレースを2勝する実力馬。万全の状態で戦うところを見たかったとも思います。


★98年の11月下旬は雪が多かったような記憶。取り止めになるダービーGP前日の北上川大賞典も積もった雪を背景に行われておりました



★たいへん私事の写真ですが、水沢でのダービーGP後、水沢江刺駅でマイケル・ロバーツ騎手とであったもので・・・。

 2006年まで11年続いたJRA・地方交流時代、結果的には岩手のみならず地方馬の優勝はありませんでしたが、レギュラーメンバー、ゴールドアリュール、ユートピア、カネヒキリといった後々古馬G1を制する馬たちがここから飛躍していきました。
 後に種牡馬としても、カネヒキリはトロヴァオ・スーパーステションでダービーGPを“親子制覇”。ゴールドアリュールはエスポワールシチー、オーロマイスター、コパノリッキー、サンライズノヴァら、盛岡のダートG1級レースを制する仔を送り出しています。ダービーGPは日本競馬界の血脈の中にもしっかりとした足跡を残している・・・と言っていいのではないでしょうか。




★装鞍する前のカネヒキリ。風格がありますなあ。3歳馬とは思えない(2005年)

 ちょっと特殊な位置にあるのが2007年です。この年も猛暑の夏でしたけども、加えて馬インフルエンザが全国で猛威を振るいました。
 特に8月後半からは顕著で、少頭数になるだけでなく当日競走除外が頻発、名古屋競馬のように防疫徹底のために開催を取り止める場もあるほど。

 この時期のグレードレースは8月14日の佐賀・サマーチャンピオン、15日の水沢・クラスターカップまでは通常通り行われたものの、16日の門別・ブリーダーズゴールドカップはJRA馬の移動制限がかかってJRA代表馬が全て当日競走除外、地方馬のみのレースに。
 そしてその移動制限の影響は9月も続き盛岡・ダービーGP、船橋・日本テレビ盃がグレードを外した地方重賞の形で行われる事になったのでした。


★2007年のダービーグランプリは雨の中。優勝はハルサンヒコ


★村上忍騎手には珍しい派手なガッツポーズ。自分としては、土砂降りの雨の中、当時のカメラの性能で良くピントが合ったなと思った一枚

 2007年をもってグレード返上・レース休止という予定だっただけにこの年の“最後になるはずだったダービーGP”は交流JpnIとして見たかったですね。この年の優勝馬はハルサンヒコ。土砂降りの雨の中でのガッツポーズが印象的でした。

 2006年のダービーGPでサイレントエクセルに騎乗していた板垣吉則調教師にお話を伺ってみました。結果は3着でも勝ち馬からクビ+1馬身半、地方馬としては“最も勝利に近かった馬”がサイレントエクセルでした。


★板垣吉則騎手とサイレントエクセル(写真は2007年のビューチフルドリーマーカップ)

「わりと楽に3番手くらいに付ける事ができて、ペースにも楽について行けてね。まあそうは言っても3コーナーくらいで離されていくんだろうな・・・と思ってたら直線も手応えが良くて。最後は地力の差で少し離されたけどね。
 当時のダービーGPは中央との交流だったから、“勝ちたい”とか“勝てそう”とかまでは思えなかった。むしろ諦めムードの方が強かったと思うね。岩手の、昔の強い頃の馬なら太刀打ちできたかもしれないけども。中央の馬はそれくらい強く感じていたね(板垣吉則調教師)」

 まあそうですねえ。例えば2000年優勝のレギュラーメンバーは「大差」、翌年のムガムチュウが「9馬身」、さらに翌年のゴールドアリュールは「10馬身」ですからね・・・。

 とはいえ、JRA交流時代のダービーGPでの地方馬最先着は1997年フドオーと2000年ミツアキサイレンスの2着ですが、岩手勢もトニージェント・バンケーティング・サイレントエクセルの3着を始め掲示板圏内の結果が複数ありました。“地元の意地”はしっかり見せていたんじゃないかと思います。

 次回は2010年の“復活”以降のお話を。







最終更新日  2023年09月28日 16時33分00秒
2023年09月14日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 残暑、厳しいですねえ。いいかげんそろそろ「厳しかったですね」と過去形で言いたいのですが、まだしばらくは最高気温が30度に届くような日があるようで。まだ油断できないですねえ・・・。

 今年復活した形の“秋の”水沢開催にしても以前なら後半頃からは秋の気配が濃くなってきた記憶なのですが今年は最後まで暑くて、2開催4週間のその最終日が一番蒸し暑く感じたくらいでした。


★装鞍所のミスト、結構涼しかったなあ・・・

 それでも朝晩の気温はだいぶ低めになってきていたので、厩舎関係者に聞いても調教はだいぶ楽にできるようになった・・・という声が多くはなっていましたが、しかし今年の暑さが“異常”なのならともかく、こんな暑さが毎年くるようなら暑さ対策にももっと本腰を入れないといけないよね・・・という声も多かったです。できれば今年が“異常”の方であってほしい・・・。

 さて今回のお話は戸塚記念です。三度の激突となった“ヒーロー”対決。黒潮盃の激闘がまだ記憶に新しい中で行われた今回はより注目度が高かった印象でしたが、結果はヒーローコールがマンダリンヒーロー以下に6馬身差を付ける勝利。ヒーロー対決を3戦3勝とする強い走り、強い競馬を見せつけました。


★戸塚記念優勝/ヒーローコール

 そう。「見せつけた」。強さを見せつけるべく戦って、しっかりと見せつけてみせた。それが今回のヒーローコールの戦いぶりだったように感じます。

 引き上げてきて脱鞍の枠場に入る時に何度も「よし」と自分に言い聞かせるように、噛みしめるように繰り返した森泰斗騎手。
 序盤こそ2番手でしたが2周目の向こう正面に入ってほどなく先頭に押し上げると、その後は後続の動きを全く意に介さず、ただただ前へ前へと押し進み続けたレースぶりが、それが全て鞍上の思い通りのレースだった事への、そしてそれを貫き通すだけの力を発揮してくれたパートナーへの、「よし」という言葉だったのかと思えました。


★何度も「よし」と繰り返しながら引き上げてきた森騎手。様々な想いが詰まっていたのか

 レース後のインタビューでは「ミックファイアと戦うまでは負けるわけにはいかない」と森騎手が語ったそうです。とすると、こういうと今回の他の馬たちには申し訳ない言い方になりますが、ヒーローコールが見ていたのは東京ダービーで6馬身前にいたミックファイア、ここではその“仮想敵”を追い上げる戦いをしていたのかもしれませんね。




 そのミックファイアの次走はダービーグランプリとなっています。ヒーローコールはどうするのか?
 この戸塚記念の際には調教師も馬主さんも不在だったためにその場で次走がどうなるのか?がはっきりしませんでした。再戦の舞台が盛岡になってくれれば非常に盛り上がると思うのですが、さて、はたして・・・。

 もう一頭の“ヒーロー”マンダリンヒーローは2着でした。6馬身の差はつけられましたが、しかし道中はかなり苦心しながらエンジンをかけて、それで最後は3着以下を引き離す2着まで来たのですから十分に立派な内容だったと思います。


★マンダリンヒーロー

 こちらはレース後の藤田調教師に少しお話を伺う事ができました。
「レースを振り返れば、ヒーローコールだけを見ていく競馬をすればよかったのかなと。それくらいのつもりでいけばもっと差は縮まっていたのかなとか思います。でも今日は改めて強いなと感じる内容でしたね。コーナーの多さを心配していましたけど良く走ってくれていた。鞍上も分かってうまく乗ってくれたと思います。次走は、このレースの前からずっと考えていたんですけども、他の馬の動き次第でダービーGPも視野には入っています」

 コーナーで置かれ気味になってしまう分で差が拡がったとはいえ勝負所からはしっかりと伸びてきており、こちらも地力の高さは感じさせる走りだったのでは。

 今回はコース形態的にヒーローコールの方がより力を出しやすい条件だったようにも感じるんですよね。大井であったり、あるいは盛岡であったりすると、また状況が変わってくるような気がします。

 今回の結果で“勝負付けが済んだ”とするのはまだ早いと思いますね。

 ところで森騎手が非常に力のこもった戦いを貫いて見せたのは、対ミックファイアだけでなく、先日急逝された左海誠二調教師への想いもあったのだろうと、いやあったはずです。
 もともとヒーローコールは左海騎手が主戦を務めていて、同騎手の調教師転身に伴って森騎手にバトンが渡された形でした。黒潮盃の直後に左海調教師が亡くなられて、その後の最初の同馬のレース。冒頭で触れた「よし」の中には左海調教師に見せても恥ずかしくないレースができた、やりきった、という気持ちもこもっていたのだろうと自分は想像していますが、それは想像のしすぎでしょうか。

 “最後”のダービーグランプリ。ミックファイアが予定通り出走すればチャンピオン格という位置づけになるのは、これはもうどうしようもないですけども、あわよくば一矢報いてやろう、下剋上してやろうという猛者たちが集まってきてくれるのももちろん大歓迎ですし、その中にヒーローコール・マンダリンヒーローの名があれば、レースの厚みがさらに増すのかなと思います。その時を楽しみにまちましょう​。


★ところでゴール後の“サムアップ”ガッツポーズ。ゴールして、ハッと何かに気づいたような感じでこのポーズ。見ていたカメラマンたちの意見として「スタンドに誰か関係者がいたのではないか?」「しかしカメラを順番に見ていくような感じで目線が来ていた」。いつか種明かし、教えてください・・・。






最終更新日  2023年09月15日 16時48分57秒
2023年08月31日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 さきの8月25日、村上昌幸調教師が亡くなられました。


★今年3月19日、調教師としての地方通算1500勝を達成された際の村上昌幸調教師

 調教師として通算1523勝(地方1522勝・JRA1勝)を挙げた名伯楽というだけでなく、騎手としては通算1783勝、デビュー3年目の1972年から1981年まで10年間に渡って岩手のリーディングに君臨し続けた名騎手でもありました。

 1987年に33歳の若さで引退された村上昌幸騎手ですので自分は残念ながら騎手時代の姿を知りません。恐らくは最近競馬に触れるようになった若いファンの皆さんにとっても村上昌幸騎手の姿は想像が付かないものなのかなと思います。

 そこで今回は、村上昌幸騎手の現役時代を知る関係者に思い出を語っていただく・・・という企画。自分も含めて、それを通して“天才ムラマサ”を知る手がかりになればと思います。

★ ★ ★

 まずはこの方から。村上昌幸騎手の前、1968年から1971年まで平地競走のリーディングジョッキーの座にあった小西重征調教師です。
 小西重征騎手が1970年に達成したシーズン162勝の記録を187勝をもって破ったのがデビュー3年目の村上昌幸騎手でもありました。


『騎手になるべくしてなった人』・・・小西重征調教師

 乗り方が凄く柔らかかったね。馬へのあたりも良かったんだと思う。
“ライバル”とかそんな見方はしていなかった。彼が乗り始めた頃から知っているからね。
 彼のお父さんの厩舎(※村上初男調教師・通算4度のリーディングトレーナーを獲得)の馬には自分や竹田実騎手も乗っていたんだけど、デビューした頃の彼が思うように乗れなかったのか、ムラハツさんが“替わって乗ってくれ”と言ってくることもあった。でも自分は“ちょっと待っていれば大丈夫だから”と言っていた。ちゃんと乗れるようになる子だからと。やっぱりその通りになったね。

 彼はいろいろな要素を、他の競馬場の騎手の乗り方なんかも研究していたんじゃないかと思う。中でも佐々木竹見君の乗り方かな。手綱の持ち方とか、参考にしていたように見えたね。それができる身体を持っていたんだと思う。柔らかい。だからそういうことが自然にできるしあたりも柔らかい。乗っている姿も格好良かった。
 当時岩大の乗馬部の子達が競馬場でアルバイトをしていたんだけど、村上昌幸騎手は人気があったよ。
 その頃は、盛岡で競馬がある時は水沢の人や厩舎も皆盛岡にやってきて調教とかをしていた。彼くらい若い騎手は少なかったからね。彼の上というと自分や桜田の新ちゃん(桜田新一郎騎手。騎手と調教師を兼業)、竹田実さん、菊地寿さんくらいで彼とは年が離れていた。若い騎手自体が珍しいという事もあった。

 レースでは、強引さはなかったね。スルスルッと勝った、という感じだった。

 騎手になるべくしてなった人じゃないかな。身体とかいろいろ、天性のものをもっていたんだと、私は見ていましたね。

★ ★ ★

 続いては石川栄調教師。騎手としては1974年デビュー。年齢としては3つ、デビュー年は4年の違いになりますが、自身のデビュー時にはムラマサは既にずば抜けた存在だったと振り返ります。

「雲の上の人」・・・石川栄調教師

 年は3つ違いでしたが、私がデビューした頃はもう岩手では抜けたジョッキー、スタージョッキーだなと思っていました。

 騎乗しての馬へのあたりが柔らかい。今でいえば武豊騎手に例えられるかな。柔らかい乗り方。何年か一緒に乗ったから見ていたけどフォームが綺麗だった。
 道中は後ろの方にいても3~4コーナーでは常にいい位置に付けている。レース運びもうまかったと思いますね。

 ゴールデンステッキ賞で一緒に乗った時があったんです。昌幸さんとハナ争いした時に無意識に昌幸さんの手をムチで叩いた事があって。それでハナ勝ちした事がありました。
 自分も懸命に追っていたからもちろんわざとじゃない。勝ちたいという一心でね。当時は賞金も高かったですしね。引き上げてきた時に謝りましたね。IBCラジオの加藤さんに今でもよく言われるエピソードです(※1986年のゴールデンステッキ賞。石川栄騎手はヨシカツイリヤ、村上昌幸騎手はマルブツリュウに騎乗して石川栄騎手がハナ差勝ち)。

 最近だと菅原勲騎手がカリスマと言えるんでしょうけども、その頃は、自分は昭和49年から乗っていたけど、あの頃のカリスマというか岩手のスタージョッキーは昌幸さんだったね。当時は騎手が40人くらいいたし、でもレースはフルゲートが8頭だったりレース数自体も少なかった。そんな条件の中でリーディングになるんだからね。

 短く表現すると・・・、そうだね、雲の上の人、だね。乗り役としては抜けていましたね。自分なんかは下手だったからあれだけど、さっきも言ったようにフォームも綺麗だったしレース運びもうまかった。文句の付けようがない騎手だったね。

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 佐藤浩一調教師は石川栄騎手と同じく1974年の騎手デビュー(※佐藤浩一騎手は春デビュー、石川栄騎手は秋デビュー)。“ポスト・ムラマサ時代”を作った小竹清一騎手とリーディングを争い、通算4度の騎手リーディングに輝いています。

「憧れの存在」・・・佐藤浩一調教師

 憧れの大先輩。自分が昭和49年にデビューした時にはもう岩手のリーディングジョッキーだった。わたしらの同期の小竹がリーディングになるまでは10年ずっとリーディングでね。今の岩手競馬の基礎というか、騎手の待遇とかね、作ってくれた人でもあって。ライバルと言う以上に憧れの存在だったよ、うん。

 自分とは4年くらいしか違わないけど、当時の昌幸さんは凄かったから。その頃はムラマサ、平澤さん(平澤芳三騎手、のち調教師)、小西さんあたりが岩手のトップクラスで、俺らなんかは及ばない位置だったよね。そんな人から「おい、メシ食いに行くか?」とか誘われたりいろいろ連れて回って貰って、距離が凄く縮まったなと感じていたね。
 昔、外国の女性ジョッキーを招待したレースがあって、昌幸さんはアメリカの金髪の騎手とコンビを組んでね。いいなあ、ってうらやましく見ていたりもしたね(笑)。

 昌幸さんとのレースでは忘れる事ができない思い出があってね。みちのく大賞典で一緒に乗っていて、4コーナーで自分が何番手だったかはちょっと思い出せないけど、昌幸さんは後ろから上がってきて、自分の隣に来た時に「ちょっと早すぎたかな~」と声をかけられたわけ。えー、こんな大レースのなかでこんな余裕があるのか?って。
 こっちは真剣になって、勝てないまでも上の方に入りたいと思って乗っているところだからね。“何この人?こんな余裕があるの?”と思うわけよ。

 もうひとつは水沢のアラブ大賞典の時。昌幸さんの馬が本命馬で、3コーナーから先頭に立っていて、自分は後ろから上がって行って昌幸さんの馬に並んだ。そうしたら「おめえちょっと早くないか?」って言われて。3コーナーだよ、レース中の。
 こっちは余裕ないし、いやいやそんな事ないよ、とかなんとか答えたら「じゃあ勝ったら飯食いに連れてけよ~」って。そう走りながら叫ばれた時には、これもレース中にそんな余裕があるのか?だよね。
 その時の結果は、自分が勝って昌幸さんは2着だったかな。ご飯をおごったかどうかは覚えてないけども。
 こっちは必死で余裕もないのに、あっちは普通に声をかけてくる。それだけ余裕があってレースに乗ってるという事なんだろうね。今それだけ余裕を持って乗ってる人がいるのかな?と思うね。その二つは本当に記憶に残っている(※前者は1987年のみちのく大賞典、村上昌幸騎手はマグマカザンで優勝・佐藤浩一騎手はマウタトビクラで7着。後者は同じく1987年のアラブ大賞典で、佐藤浩一騎手はローレルスポットで優勝・村上昌幸騎手はキタノエデンで2着)。

 昌幸さんの乗り方を真似ようとかは思った事がないけれど、昌幸さんには「相手の事を不利にしないと自分は勝てないんだぞ」というような事は、きれい事だけでは勝てないんだという事を教わったように思います。それは、“そういう競馬”もできる人だったという事。綺麗に乗るだけではなく際どい戦いもできる、することもあったね。

 騎手時代はずっとトップを走っていた人であり、岩手の騎手の礎を作った人。トウケイニセイとかメイセイオペラとかが出る前の頃の岩手競馬の“看板”だったね。


★1978年の第6回みちのく大賞典をジムパーナで制したのが村上昌幸騎手にとっての初めての”みちのく”のタイトル。みちのく大賞典はこの時を含めて4勝(『レーシングメモリー岩手競馬25年の記録』P3より引用)

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 伊藤和騎手は1972年にデビュー。村上昌幸騎手より2年ほど後にデビューしましたが、引退は1985年で逆に2年早く調教師に転身しました。騎手同士というだけでなく調教師と騎手という関係の時期もありました。

「天才。それに尽きる」・・・伊藤和調教師

 やっぱり天才だったね。我々の見えないところで努力していたのかもしれないが、そういう所は見せなかった。馬へのあたりも柔かったしね。我々には分からない勉強をしていたからあれだけの成績を残せたんだろう。

 いつの間にか良いところについているんだよね。どんなレースでも、どんな馬に乗っていてもね。自分は前で競馬をする馬が多かったから後ろでどういうコース取りで来ているかが分からなくてね。あの頃はビデオとかなかなか見れなくてパトロールの映像くらいしか無かった。だから、何が起きたか分からないうちに彼に交わされている、勝たれているという事が多かったね。その辺が天才のカンなんだろうね。だからといって強引でもなかった。その馬にあった乗り方をしていたと思う。

 普段はお酒を飲んでも大騒ぎするような人ではなかったね。その頃の騎手は、自分なんかもそうだったが体重が重い人が多かったから調整ルームに入ってもそうそう飲み食いできないのさ。だからお酒が入った人もおとなしくね。楽しそうにしている昌幸を周りで見ているような感じだったかな。

 “打倒ムラマサ”とか思いも及ばなかった。でもね、お父さん(村上初男調教師)にはみちのくを獲らせて貰ったし(※1979年・スリーパレード)、自分の調教師の1年目には昌幸に乗って貰ってシアンモアを獲って貰ったからね(※1986年・メジロゼウス)。彼との思い出はいろいろあるんだよ。

 やっぱり天才だよね。それに尽きる。もちろん我々に見えないところで努力をしていたんだと思う。それなりの努力をしなければ10年間リーディングを守る事はできないだろうからね。

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★1984年、騎手として岩手競馬史上初の1500勝を達成(『岩手競馬35周年記念誌』P251より引用)


 佐藤浩一騎手のあとを襲ってリーディングの座に着いた菅原勲騎手。その後通算12度の騎手リーディングは村上昌幸騎手の10度を超えるものでした。そんな菅原勲騎手からは村上昌幸騎手はどんな騎手に見えていたのでしょうか?

「勝ち方を知っている人」・・・菅原勲騎手

 自分がデビューした頃はもうずっとリーディングを獲っていた人だから“凄い人”だと思っていました。
 騎手としては何年もは一緒に乗ってないからね。自分もデビューして間もない、ただ一生懸命やっていた頃で、年も離れていたから“ライバル“という感覚では見ていなかった。やっぱり凄い人。例えて言うならば武豊騎手という感じのタイプだったんじゃないかな。強引に追うとかではなくてすっと乗ってくる感じだったね。
 自分のスタイルって自分では分からないからね。誰かのように乗ろうと思ってもそう簡単にはいかないもの。誰々を参考にして・・・と言うよりは自然とそうなったんだと思う。
 一緒に走っていて、強引さはなくてさらっと、すっと乗ってきて勝つ感じだった。それは勝ち方を知ってる人ってこと。

 自分の頃とは条件も違いますからね。開催日数もレース数も少なかった頃。自分の成績と簡単に比べる事はできないし、そんな中であれだけの成績を残してきたのはやっぱり凄いと思いますね。

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 最後に騎手ではなく“調教師としてのムラマサ”を一番近くで見続けていた人のお話を聞いてみました。坂口裕一騎手は2003年のデビューから先日の解散までずっと厩舎の主戦として戦ってきました。坂口裕一騎手から見た村上昌幸調教師はどんな人だったのでしょうか。

「何に関しても余裕がある人でした」・・・坂口裕一騎手

 デビューした頃は毎レースをビデオに撮ってもらって、それを見ながら調教師がレース解説・・・を2,3年やっていましたね。その頃は自分も若かったですし“なんで毎日こんなに色々言われなきゃならないんだ”と思うばかりでした。
 自分は岩手出身じゃないから、南関東の古い人は見ていて分かっていたんですけども(※坂口裕一騎手のお父さんは川崎競馬の厩務員で自身も川崎の厩舎育ち)「ムラマサ」という存在の凄さが分からなくて。みんなは知っているわけですけどもね。厳しいのは親心だったんでしょうけども自分はしごかれてるとしか思えなかったですね。
 ですが、今思えば自分を思ってやってくれてたんだなって。他の厩舎の馬のレースでも欠かさず撮って、毎レース自分の事を見ていてくれたんだなと。

 褒められる事はあまりなかったですけど、“よくやった”とか言葉をかけて貰えるようになっていった。先生だったら、自分だったらこう乗ったとか、調教師としてはいろいろ思うところがあったんでしょうし、そういうのもあってあまり褒めて貰えなかったのかなと思ったりします。

 騎手時代には10年間リーディングを守ってきて、なって当然と言われていた時期もあって、だからか分からないですけども、切り替えが早かったですね。大きいレースを勝ったり年度代表馬を獲ったりしてもいつまでも喜んでいない。天狗にならない。現役の頃に修羅場をくぐってきたからこその切り替え、気持ちの余裕だったのかもしれないですね。

 当時を知っている人、年配の馬主さんとかには「何年もリーディングを獲るんだからプライドが高い人なんだろう」というようなイメージがあって話しかけづらい・・・というような意識があったと聞いたんですけど、実際は全然そういう感じはなくて。周りが作っているイメージとは違うんだけどな、と自分は思っていましたね。

 実習の頃から言えば出会って22年。振り返れば22年ですけども、あっという間でしたね。ましてや病気が発覚してからの1年なんか本当にあっという間で。最近は調教師が厩舎に来られている時はできるだけ会って話をするようにしていました。今にして思えば、自分ももっと先々の事を考えて、もっといろいろな話をしていれば良かった。

 何年目ぐらいですかねえ。7,8年目くらいですか、胸椎を骨折して長期離脱した時に「いて貰わないと困るから怪我には気を付けて」という言葉をかけて貰って。そのころからですね、レースや調教で厩舎の馬を任せて貰えるようになって。
 若い頃は厳しい人だとしか思ってなかったですけども、今になってみればとても尊敬できる素晴らしい方でした。

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★1500勝達成時、“ムラマサ勝負服”を作ってきた坂口裕一騎手を見て「俺のはもっと線が太かったぞ」と言いながらも嬉しそうな村上昌幸調教師なのでした

 最初に書いたように私もムラマサ騎手の現役時代を知らなくて、ましてその凄さとなると噂しか知らないですから、自分の認識としては坂口裕一騎手と同じような感じなんですよね。自分なんかにもちょっと冗談交じりに声をかけてくれる、そんな人というイメージで。
 なので、かつての同時代を戦った人たちが、それもそれぞれの時代のトップジョッキーだった人たちをして“ムラマサは凄かった、天才だった”と口を揃えて言うのには、話を聞いていた自分にとって驚きでした。そんなに凄い人だったのか、と。




★管理するナムラタイタンが2014年度の年度代表馬に選ばれた際の表彰式にて。インタビューに答える村上昌幸調教師

 平成に入る前に騎手を引退した村上昌幸騎手でしたので映像としてすぐ見る事ができるレースは多くないようですが、ネットを探すと当時の大レースの映像がいくつか見つかります。伝説の“旧盛岡・直線大外一気”のレースもあるようですので、皆さんもぜひ探してみてください。

 春に1500勝を達成された頃は割とお元気そうにも見えたのですが、その後はあまり良くない時期が続いたようで、臨場される事もなくなりました。坂口騎手によれば最後まで厩舎の行く末に気を配って、その道筋を定めてから旅立たれたのだそうです。

 “天才ムラマサ”のご冥福をお祈りいたします。






最終更新日  2023年09月01日 11時52分01秒
2023年08月24日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 まず最初は「1日6勝」の話題。8月21日の水沢競馬で高松亮騎手が9戦6勝の大爆発。自身としても初めての1日6勝を挙げました。


★1勝目/3Rジェイデン号


★2勝目/5Rアビレ号


★3勝目/6Rトーセンジェミニ号


★4勝目/7Rトーセンカタリーナ号


★5勝目/10Rチムドンドン号


★6勝目/12Rトーセンマッシモ号

 9戦6勝というと勝率では約67%になるわけですが、見ている感じだと「出れば勝つ」「乗れば勝つ」という感覚ですね。
 加えて6勝中1番人気が4回、2番人気が2回、終盤の方は“ここまで勝ちまくっているから”で人気が上がっていた面もあったでしょうけども、人気に応えて勝つというところも見事です。

 “騎手の1日の勝利数記録”は8勝。ネットで検索するとJRAでの武豊騎手・C.ルメール騎手(※2回達成)のものがすぐ出てきますが、地方競馬でも愛知の岡部誠騎手が2019年2月に達成しています。

★​リンク『岡部 誠騎手 1日8勝達成!!』(名古屋競馬ニュース・2019年2月28日)

 このニュースによれば地方競馬での1日8勝は「地方競馬全国協会に記録のある1973年以降で地方競馬初」とのことですし、このあとに達成したという話もないようですので今の時点でこの記録が前人未踏の位置にあります。

 “1日7勝”はというと、最近では兵庫の吉村智洋騎手が達成しています。

★リンク『吉村智洋 騎手 1日7勝を達成(園田・姫路競馬新記録)』(そのだけいば ひめじけいばニュース・2023年1月11日)


 他にも渡辺博文騎手(福山→佐賀、現調教師)が福山所属時代の2001年5月26日に1日7勝を達成。この時は7回騎乗で7勝、武豊騎手が1日8勝を挙げる前でしたので渡辺騎手の7勝は「世界記録タイ」という表現で伝えられていたようです。




 余談になりますがこの時の渡辺騎手の各レースの単勝人気を見ると3番人気・2番人気・1番人気・1番人気・5番人気・1番人気・5番人気、となっているんですけども、5番人気になっている二つのレース、今出馬表を見ても5番人気に留まるような成績の馬ではないんですよね。1番人気になっていた馬とも差の無い近走。
 渡辺騎手はその時点で既に地方通算1000勝を挙げており、また記録達成の前後で4度の福山リーディングにもなっている名手(のち2009年に地方通算2000勝を達成)。それにしては・・・と感じる5番人気は、例えば“そろそろ連勝も止まるんじゃないか・止まるだろう”というファン心理からの逆張りだったりしたら、ちょっと面白いなと思ってみたり。

 さて。では岩手競馬では?
 自分の手元にあるデータでは20年ほど遡れるので調べてみたところ、“1日6勝”は以下の3例が見つかりました。

2003年12月14日/菅原勲騎手(3R・5R・6R・9R・10R・11R)※7戦6勝
2017年4月1日/山本聡哉騎手(4R・6R・8R・9R・10R・11R)※6戦6勝
2020年5月25日/山本聡哉騎手(1R・5R・6R・8R・9R・12R)※8戦6勝

 それ以前はすぐに分かるデータが手元にないのと、岩手競馬がかつて発行していた資料類にも「騎手の1日○勝の記録」は記載が無いので正確には分からないのですが、岩手競馬では1998年まで「1日6回まで」、その後も「1日7回まで」の騎乗制限があった時期がしばらく続いた事(現在は9回まで。なお騎乗変更等で急遽増加する分は除く)からすると、“1日全勝”でしか達成できない6勝とか7勝はかなり難しかっただろうと想像できます。

 実際、小林俊彦調教師や畠山信一調教師の“古株騎手”にもうかがってみましたが両人とも「ちょっと記憶にない」とのこと。可能性があるとすれば以前の騎手シーズン最多勝記録だった小西重征騎手(1970年の162勝)、村上昌幸騎手(1972年の187勝)のその年に・・・でしょうか。

​​※8月27日追記/小西重征調教師にうかがってみたところ「自分にも周りにも ”1日6勝”のような話の記憶はないよ」との事でした。そもそもが「当時(自分がリーディングを獲った頃)はけいが速歩や騎乗速歩のレースが多くて平地は1日2つとか3つとか。平地競走が無い日もあったくらいだったからね」だそうでした。ちなみに1970年の岩手競馬の年間開催日数は84日でした。​​

 という事で、今回の高松騎手の1日6勝は恐らく「岩手競馬タイ記録」であろう・・・と、恐らく4人目の達成であろう・・・というところまで。

 まあこういう記録類はしっかり残していきたいところのものですね。


 もうひとつの話題は23日に川崎競馬場で行われた重賞『スパーキングサマーカップ』。岩手から出走したヴァケーション号は残念ながら12着に敗れました。
 優勝したのは船橋のスマイルウィ。昨年2着の雪辱を果たす勝利になりました。


★第20回スパーキングサマーカップ/優勝スマイルウィ号

 手綱を取った吉原騎手は「58kgはちょっと負担かなと思ったけれどライバルも同斤量だから差は無いだろうと。飛ばしてハナに行く馬がいればその後ろくらいで・・・と考えていたのでそれよりは少し後ろ気味だったが最後まで良い手応えで抜け出してくれた。背中が柔らかくて確かにグレード級と感じさせてくれる馬でしたね」と笑顔。
 最近の吉原騎手は金沢だけに留まらず毎日のように各地を転戦するばかりか重賞を勝ちまくる日々。そんな鞍上の勢いも感じさせるような勝利だったのでは。




 ヴァケーションは、スタート直後にちょっとごちゃっとして、良い位置を獲れなかったのが痛かったかなと思いました。去年のこのレースでは4着、今年勝ったスマイルウィが2着でしたがそこから3馬身+アタマ、今年の2着馬リンゾウチャネルには昨年は1馬身先着していました。新規勢力も入ってきているとはいえ今回は走ってないかな・・・という印象。



★パドックで外側を牽いていたのは川崎時代のヴァケーションを担当されていた本田厩務員とのこと



★パドックのミストに煙るヴァケーション


★返し馬


★一周目を通過するヴァケーション




★ゴールと引き上げてきたバケーション、出迎えた川嶋厩務員

「もう少し前の位置につけて行きたかったのですが行きっぷりがもうひとつでした。序盤で思った位置が獲れなくても中団で脚を溜めて行ければ良かったのですが、そういう競馬ができなかったのが残念でした(村上忍騎手)」

「スタートでごちゃついて、それで馬の走る気が削がれたのかもしれません。まずは無事に帰ってきてくれたので次戦で頑張りたいです(畠山信一調教師)」


 状態も決して悪くなかったと、むしろ昨年の参戦時よりも良いくらいだと思っていたんですけどね。もしかすると最近の過激な暑さの影響があったのかもしれませんねえ。

 先の水沢でも感じたんですけども、“前走あるいは前々走くらいの走りが良かった・雰囲気が良かった”が通用しなくなっている。いつまでも続く暑さの影響が馬にもかなり出てきているように見えました。

 ちょっと話がずれますが、先週(8月20日~22日)の水沢競馬、全34レースでは牡馬9勝に対して牝馬が24勝(※セン馬が1勝)でした。まさしく“夏は牝馬”な状況。
 以前の猛暑の時に知り合いの厩務員さんから「ある程度暑さが続くとそれなりに慣れてくる馬も増えてくる」と聞きましたが、今年ほどのの暑さだとどうなんだろう・・・。

 ヴァケーションの次走予定は南部杯になる模様です。手頃な条件の遠征レースがあれば・・・と探されているようですがなかなか無くて、という状況でもあるようです。今回は、先にも書いたように“走っていない”と思いますし、次戦での巻き返しに期待したいですね。

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最終更新日  2023年08月27日 23時00分46秒
2023年08月03日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 いやはや暑い日が続きますねえ。盛岡も冗談ではないくらいに暑いです。まともに雨が降らないから建物も地面もすっかり熱を持ってしまって。自分の部屋は2階、屋根があぶられて余計に暑い・・・。
 北東北にあたる岩手県、盛岡あたりだと「暑いのはお盆まで」とか言っていたものですけども、そろそろお盆の頃が見えてきている天気予報では今と変わらず32度だの33度だのという気温の数字が並んでおります。最近は残暑も9月一杯続くかと思うくらい長いですし、毎年の事ながらこの時期は憂鬱ですなあ・・・。

 そんな真夏の盛岡競馬場には脱鞍エリアわきに臨時の“水かけ場”が置かれています。これは暑さが本格化した先々週ごろから厩舎関係者の希望によって用意されたもの。



 レースから引き上げてきたばかりの馬を少しでも冷やしてあげれば熱中症の予防にも効果があるのでは。しかし盛岡でもこれだけ暑い夏が常態化するようだと、西日本の競馬場にあるような常設のシャワーとかもっと強力なミスト装置とかが必要になってくるのかもしれませんね。

 さて、暑い暑い8月1日の盛岡競馬場では『ヤングジョッキーズシリーズトライアルラウンド盛岡』が行われました。終わってみれば“永野猛蔵騎手デー”とも言うべき永野騎手大活躍の盛岡ラウンドでしたね。





 第1戦、7番人気の大井・大木天翔騎手フェスティヴメノコと1番人気に推されていた同じく大井・仲原大生騎手騎乗イキザマが併走の形で先行する展開。3番手以下のグループは少し離れた所でそれを追っていましたが、そこから真っ先に抜け出してきたのが2番人気・永野騎手騎乗タニマサベーカ。スリーワイドの位置から前の2頭をまくっていくと坂下で早くも先頭、そこからは差を広げるばかりでゴールでは7馬身差の圧勝となりました。


■YJSトライアルラウンド盛岡第1戦/優勝タニマサベーカ・永野猛蔵騎手

 2着は中団から迫ったポワンテュ(代打騎乗の塚本涼人騎手)、3着は出遅れたところから巻き返してきたJRA・小林美駒騎手のアースアワー。このアースアワーが10番人気と人気薄だった事で馬番3連単は4万7300円の好配当となりました。


 1600mに距離を変えて行われた第2戦はスタート直後の先行争いを制してハナに立った永野騎手騎乗ガマンがマイペースの逃げに持ち込んだだけでなくこちらもまた最後は後続を引き離す一方の9馬身差圧勝に。逃げて上がり最速の脚を引き出されては後続もなすすべ無しの完勝でしたね。


■YJSトライアルラウンド盛岡第2戦/優勝ガマン・永野猛蔵騎手

 勝ち馬と雁行の形で進んでいた7番人気・大木騎手騎乗のボルドープラージュが、最後は前には引き離されつつ・後続に追い詰められつつも2着を死守。その後ろのグループから追い上げてきた大井・菅原良太騎手騎乗の5番人気ヤマショウリアンはわずかに及ばずの3着。こちらはふたケタ人気馬が絡まなかったものの2番人気→7番人気→5番人気の決着で3連単は7万1250円と第1戦よりも高い配当でした。


 盛岡ラウンドを2連勝した永野猛蔵騎手。奇しくも2戦とも5枠8番、奇しくも2戦とも圧勝の形の勝利になったわけですが、第1戦の早めのマクリ、第2戦の逃げはいずれも馬場傾向も完全に味方に付けた好判断・好騎乗だったと感じました。
 この8月1日の盛岡ダートは先行有利の傾向がそれ以前よりも強く、差しも伸びてこないわけではないですが勝ち負けまで迫るのはなかなか厳しいという状況。1戦目の早めに前を捉えに行ったところ、あるいは2戦目で主導権を握ったところ、この日の馬場の“傾向と対策”として完璧といえ、それをしっかりやってのけたところがさすがですよね。




■ファンサービスをしてからの・・・



■マスコミ向けにもしっかりポーズ

 7月27日のTR川崎では11着・10着、ポイントは計2点に留まっていた永野騎手。今年が最後のYJS参戦になるかもしれない同騎手だけに、ファイナル出場の可能性を高める30ポイント×2獲得は大きな勝利にもなったことでしょう。

 岩手から参戦した佐々木志音騎手は第1戦9着、第2戦8着で6ポイント獲得でした。既に複数回参加しているような若手の中でも場数を踏んだ騎手がいる中で、そんな経験を積んだ騎手たちと実質初対戦の形では不利なのも仕方が無い。次回のトライアル船橋で一矢報いるようなレースを期待しましょう。


■佐々木志音騎手は地方競馬東日本地区で16位




■当初出場予定だった大井・木澤奨騎手が不参加となったため、塚本涼人騎手・関本玲花騎手が代打騎乗。いずれもポイント順位に関係の無い騎乗


 いわゆる“コロナ禍”明けの今年のYJSトライアルラウンド盛岡は、なんとなくですが参加騎手の間にもリラックスした空気というか雰囲気が感じられたように思います。
 これまでは、特にJRAの遠征騎手がいるレースでは“厳戒態勢”な周りの雰囲気がありましたからね。少々“じゃれあって”いてもいい雰囲気、みたいなのが、そんなリラックス感につながっているのかなと想像してみたり。
 参加騎手も、例えば永野騎手は今年が3回目・3年目のYJS参戦になるわけですが、複数回参加している騎手たちにはそろそろ中堅の風格も出てきていて。そういう“場数を踏んだ感”も、変な緊張感ではない、こなれた雰囲気を生んでいるのだろうと思います。
 やっぱり若い騎手ですからね。気楽にのびのびと、レースの合間にはからかい合ったりふざけ合ったりしながら戦えるのが一番“らしい”ですよね。







 ところで今年は佐々木志音騎手ひとりのみだった岩手からの参加騎手ですが、今、候補生が1名、競馬場実習に入っていまして、順調にいけば来春デビューになるはずです。来年の岩手からの参加騎手は2人になるかもしれません。候補生のお話もいずれ。






最終更新日  2023年08月04日 23時04分23秒
2023年07月27日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今回は、7月24日に地方競馬通算1000勝を達成した板垣吉則調教師のお話を。

 その7月24日、盛岡9Rを管理するキモンリッキー号が制して「999勝」とした同調教師でしたが、すぐ続く盛岡10Rをエスペルト号が優勝。連勝で一気に大台を達成しました。


■板垣吉則調教師地方通算1000勝達成/2023年7月24日盛岡10R

 今季の岩手競馬では調教師の通算勝利数の“大台ラッシュ”ともいうべき状況で、地方通算1000勝を達成した調教師は板垣師で今季4人目(他3名は佐藤雅彦調教師、三野宮通調教師、新田守調教師)。大きな区切り達成ということであれば1500勝を達成した村上昌幸調教師を含めて5人目。また昨季には伊藤和調教師が1500勝、千葉博次調教師が1000勝を達成しているので、この1年間ほどは本当に“記録ラッシュ”でしたね。

 さて、板垣吉則調教師は2010年6月の厩舎開業。免許公布日の関係で「5月31日まで騎手・6月1日から調教師」という慌ただしい騎手引退・調教師開業となったのも今となれば懐かしい記憶。





■2010年5月30日に行われた板垣吉則騎手の引退セレモニー。胴上げされる板垣吉則騎手





■騎手としてのラスト騎乗は翌31日の岩手ダービーダイヤモンドカップでした



■騎乗終了後にインタビューに答える板垣吉則騎手


 調教師としての開業は開業準備や開催日程の関係もあって6月26日、初勝利は7月5日の水沢8R・スズノエイユウ号。調教師デビューから5戦目での勝利でしたが、その時の鞍上は吉田晃浩騎手、元上山競馬所属で後に金沢競馬に移籍、同じ日に行われた岩鷲賞に金沢から遠征に来ていた同騎手の手綱捌きによるもので、奇しくも元上山競馬所属コンビによる初勝利という形になりました。




■調教師としての初勝利/2010年7月5日水沢8R。上山の後輩騎手だった吉田騎手が初勝利をプレゼント

 その後の活躍は実に見事という他はないもので、開業の2010年は22勝で30位、2011年は32勝で14位、2012年は49勝で11位と順位を上げていくと2013年は一気に76勝・調教師リーディング1位獲得とジャンプアップ。2015年には二度目のリーディング、それもシーズン127勝の年間最多勝利数まで達成。


■2015シーズンの最優秀調教師として表彰

 その後は2018年まで4年連続リーディング獲得、さらに2020年と2022年もで、厩舎開業から13シーズンで7回、調教師リーディングを獲得してきています。


■調教師としての重賞初制覇は2011年のOROターフスプリント

 なかでも特筆すべきは2015年の年間127勝の記録。これは小西善一郎調教師が持っていた113勝の記録を45年ぶりに更新したというだけでなく、それまでの厩舎の臨戦パターンを根本から覆すくらいのインパクトがあるものでした。

 開業後14シーズンで1000勝達成というのも恐らく岩手競馬史上最速でしょう(※小西善一郎調教師も早かったと思われるのですがはっきりした記録が見当たらず)。
 この先順調であれば、1500勝はおろか2000勝も不可能な話ではないと感じます。調教師の様々な記録の“レコードブレイカー”になるのが板垣吉則調教師かもしれませんね。

 ここでちょっと寄り道。以前にも載せた写真がありますが、騎手時代の板垣吉則調教師を少し振り返ってみましょう。

 板垣吉則「騎手」は1990年10月に上山競馬でデビュー。2000年・2001年には騎手リーディングを獲得しています。
 2002年にはセントメイストームとのコンビで岩手に度々遠征。クラスターCで4着に食い込んだ他、同年に行われた最初の盛岡JBC、スプリントにも出走しました。


■2002年クラスターカップ、上山セントメイストームに騎乗する上山時代の板垣吉則騎手

 余談ですがセントメイストームは同年の春にJRAから上山に移籍した馬ですが、地元では4戦だったのに対し岩手は盛岡水沢に5度遠征と結果的に岩手の方が出走数が多い珍しいパターンでした。当時の岩手・上山は重賞級だけでなく条件級の交流戦も多かったので起こりえたパターンだったと言えるでしょう。


■上山競馬場での板垣吉則騎手

 上山競馬が2003年度で廃止されたことに伴い岩手に移籍。2005年には岩手で地方通算1000勝を達成。2010年5月31日に引退するまでの通算勝利数は1328勝となっています。

 あと328勝で騎手時代の勝ち星に並ぶ事になりますが、板垣吉則調教師はそういう数字よりは「騎手として20年乗ったから、調教師としても20年続けたいね」というのが今の目標だそうです。
 騎手時代の末期は体調を崩すことが多くなり引退前年の2009年はシーズンで315騎乗、勝ち星も28に留まっていました。「ればたら」になりますが、板垣吉則騎手が完調の状態で騎手を続けていたならば、菅原勲騎手・小林俊彦騎手が引退した後の上位の構図も、もしかしたら違っていたかもしれません。
 今となってみれば調教師としても歴史にその名を刻むような実績を残してきている板垣吉則調教師ですが、そうですね、そういうことであれば、調教師として末永く、末永くって言うのも変ですけども、無事に長く調教師として活躍し続けていただきたいと思うばかりです。







最終更新日  2023年07月28日 01時15分36秒
2023年07月06日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 今回は岩手でも進む2歳新馬戦のお話を。この稿を書いている時点で5頭の2歳新馬戦勝ち馬が誕生しています。それらの馬たちを紹介していこうというお題。

 今年最初の2歳新馬戦は5月21日の盛岡競馬場で行われました。当日の3R、盛岡ダート1000m。勝ち馬は、今年の岩手競馬の最初の2歳の優勝馬はセイフェミニン号(佐々木由則厩舎・山本聡哉騎手)でした。


■2023年5月21日盛岡3R/優勝セイフェミニン


 2番手追走からきっちり前を捉え切り、最後は後続に差を詰められる形でのゴールにはなりましたが3/4馬身残しての勝利は余力を感じる内容。
 同馬はその後6月20日の水沢で2勝目を挙げており、“一番最初の2歳新馬戦勝ち馬”の名にふさわしい成績を積み重ねつつあります。

 セイフェミニン号は鹿毛の牝馬、父トビーズコーナー、母ヴァルール、母父ゴールドヘイローの血統で浦河・岡部雅樹さんの生産馬。半兄ダイチスマイルは笠松で1勝、全兄ダイチストリームは現笠松で未勝利。本馬の母ヴァルールの半兄ダイチヴュルデがJRA→金沢→名古屋→岩手と転戦して岩手で2勝を挙げています。


■セイフェミニンの母の半兄ダイチヴュルデはJRAで2勝、岩手で2勝(19年8月24日水沢5R優勝時)

 そんな近親の成績から、また父トビーズコーナーというところからもダート・短距離の印象が強いわけですが、2歳戦は完成度の高さが武器になる部分もありますし、この先でどんな走りを見せてくれるか?はひとまず距離を問わず注目でしょう。


 2頭目の新馬勝ち馬は6月4日の2R、水沢ダート850mを勝ったフジユージーン号(瀬戸幸一厩舎・村上忍騎手)


■2023年6月4日水沢2R/優勝フジユージーン

 ゲートを出た瞬間こそ他の馬が少し速い感じでしたがそこからの加速で楽に他を引き離すと3角手前で、850m戦の3角手前でもうクルージングに入るくらいの余裕。そこからはゴールまで持ったままの大差勝ちはなかなかに強烈なデビュー戦でしたね。

 フジユージーン号は黒鹿毛の牡馬、父ゴールデンバローズ、母デザイナー、母父スウィフトカレントの血統で新冠・村上牧場の生産馬。昨年の北海道オータムセールでの購買馬でした。
 母のデザイナーも岩手でデビューした馬でその新馬戦では1番人気に推された馬でしたが残念ながら勝ち星を挙げることなく2戦0勝で繁殖入り。フジユージーンの半兄にあたるロイヤルウィーブがJRA未勝利→岩手と移って岩手で4勝を挙げています。
 また父のゴールデンバローズは今年が産駒デビューの新種牡馬。本馬が父の産駒の初勝利ともなりました。


■フジユージーンの母デザイナーは岩手デビューの馬(15年8月16日盛岡4R2歳新馬戦出走時)



■フジユージーンの半兄ロイヤルウィーブは岩手で4勝(22年6月26日盛岡3R優勝時)

 デビュー時526kgの馬格を持ち、それでいて初戦から高い完成度の走りを見せた本馬は陣営や手綱をとった村上忍騎手いずれからも「ちょっとモノが違う」という評価をうかがっております。このあとは順調であれば芝重賞路線に向かう模様。もちろん2歳戦線だけでなく来年の3歳戦線での期待も高い馬だと言えるはずです。


 3頭目の新馬勝ち馬は同じ6月4日の3R、水沢ダート850mを勝ったリトルカリッジ号(菅原右吉厩舎・陶文峰騎手)でした。


■2023年6月4日水沢3R/優勝リトルカリッジ

 ひとつ前のレースの印象が強烈だっただけにその影に隠れた感じもありますが、なかなかどうしてこちらも良い走りを見せています。2着馬と競り合いながら結果的には直線だけで4馬身差を付ける手堅い勝利。レースセンスの高さは十分に感じさせてくれましたね。
 実際、2戦目は盛岡ダート1200mに転じて大差勝ち。デビュー戦は本来のデビューになるはずだった5月21日の新馬戦を競走除外(※発売開始後の当日出走取消)となって、その影響も懸念された中での勝利でした。余裕を持って挑んだ二戦目の走りの方がこの馬のより本来の力だ・・・と言えるのでは。

 リトルカリッジ号は鹿毛の牝馬、父アジアエクスプレス、母ブレイヴフィート、母父はキングカメハメハ。日高・下河辺牧場の生産馬。祖母のグローバルフィートが2003年の三冠牝馬スティルインラブの半妹にあたります。
 父がアジアエクスプレスですからあまり長めの距離は・・・でしょうが、マイルあたりまでの強さは証明済みの父でもあります。兵庫で走る全兄のエコロジェネラスが1400mから1700mまでの間で好走しているのが参考になりそうですね。


 どんどん行きましょう。4頭目は6月18日の水沢3R、ダート850mの新馬戦。優勝したのはミヤギヴァリアント号(菅原勲厩舎・村上忍騎手)


■2023年6月18日水沢3R/優勝ミヤギヴァリアント

 スタートからのダッシュでハナに立ち直線はしっかり追って後続を完封。大差勝ちにこそならなかったものの10馬身差なら十分に圧倒的と言っていいものでしょう。

 ミヤギヴァリアント号は栗毛の牡馬。父モーニン、母ナトゥーラ、母父フジキセキで日高・道見牧場の生産馬で2021年北海道サマーセールでの購買馬。母は2015年留守杯日高賞を制したホレミンサイヤの半姉、また母の半姉ウイニフレッドは今年の東海地区の“無敗のダービー馬”セブンカラーズの母です。さらには本馬の半姉ヤマショウデリーヌが現在岩手で走っていますね。


■半姉ヤマショウデリーヌは門別→岩手と進んで岩手で1勝(22年10月23日盛岡1R優勝時)

 デビュー戦の勝ちタイムは稍重51秒4、先の2頭が同じ稍重で51秒7・52秒1。横並びでは上位、ただフジユージーンは追っていないタイムですからね・・・と、今の時点ではなるわけですが、まだ緩さの残るいかにも2歳馬らしい身体ながらこれだけ走るのですから素質は高いと判断したいもの。村上忍騎手も「まだ身体ができていない。成長してくればもっと走るようになる」と評価していた点は覚えておきたいところ。


 5頭目の勝ち馬は今季最初の芝の新馬戦勝ち馬になりました。7月2日の盛岡3R、芝1000mを制したカリフィア号(櫻田康二厩舎・山本政聡騎手)でした。


■2023年7月2日盛岡3R/優勝カリフィア

 ゲートが開いた瞬間、一瞬遅れたもののすぐに巻き返してハナに。その分か、最後は少し脚が止まったようにも見えましたが、それでも2着に2馬身差の危なげない勝利。稍重59秒1の勝ちタイムも優秀。

 カリフィア号は鹿毛の牝馬で浦河・猿橋義昭さんの生産馬。父カリフォルニアクローム、母アンフレシェ、母父マンハッタンカフェの血統です。
 曾祖母のセカンドチャンスがテイエムメガトン(97年ダービーGPなど)の全妹なんですけども、遡っていくとフロリースカップに行き当たるバリバリの小岩井牝系の出・・・というところが凄く良いですし、そういう馬が岩手で新馬勝ちというのも良いですよねえ。

 本馬は北海道トレーニングセールで税込み1760万円、今年のセールでは3位タイの高額で購買されました。その金額との比較でどうしても見られてしまう部分があるのですけども、最初のひとつが勝てずに終わる馬もたくさんいる中でしっかり勝てたという点、それだけの力を備えていたという事は高く評価して良いものだと思います。

 今年の2歳戦は例年より馬の質が高そうな印象を受けます。馬体がよくまとまっていてバランスの良い馬が多い気がしますね。これは自分だけでなく厩舎関係者の方も同じ印象を持たれている方が多いように思います。
 現時点ではあくまでも相対的な印象ですけども、でも新馬戦を勝てなかった馬たちでもいずれひとつふたつは勝ちそう・・・と感じる馬は多いように感じます。
 絶対的な評価という事になると今後門別からの移籍馬が増えてきてからどう変化していくか?になるわけですけども、来年からの全国的な路線改革に先立って今年から実質スタートする2歳路線、そこで地元生え抜き馬が覇を競い合ってくれればいいですよね。新馬戦を勝った馬たちを始め地元デビューの2歳馬たちがこの先順調に成長し、戦っていけることを楽しみにしています。






最終更新日  2023年07月16日 08時21分29秒
2023年06月29日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 溜まってる分がありますがまず今回は帝王賞のお話。メイショウハリオが“帝王賞史上初の連覇達成”な話題から。




★帝王賞優勝/メイショウハリオ

 史上初と聞いて実は「あれ?そうなんだ」と思ったりしました。歴代成績を見てみるとフリオーソ(08年と10年)やホッコータルマエ(13年と15年)のように隔年で2勝している馬こそいるものの「2年連続の連覇」は確かに初めて。

 同じコース・距離の東京大賞典の方は、オメガパフュームのように4連覇もした馬を筆頭にアジュディミツオー、スマートファルコン、ホッコータルマエと連覇を達成した馬がいます。東京大賞典→帝王賞→東京大賞典のような流れで連勝している馬も珍しくないんですけどね。
 余談ですが、アブクマポーロって何もかも勝ちまくったような記憶しかないですが、意外にも帝王賞も東京大賞典も1勝ずつ、そもそもそれぞれ2回しか出走してないんですね。
 そうかと思うとボンネビルレコードみたいに6回も出走している馬もいる。

 閑話休題。帝王賞に連覇した馬がいなかったのはどうしてなのか?と考えてみました。結論らしき結論までは行き当たりませんでしたが、ここでは敢えて時期的なものを主張してみたい。
 冬の東京大賞典は“冬の傾いた陽が当たる、乾いた馬場でのレース”の印象が強いように状態のいい馬場で行われることが多い。一方の帝王賞は梅雨時期で重・不良になることが多いですよね。表面が乾いて見えても下はじっとり・・・という馬場状態は、自分の経験からも多かったと感じます。そんな馬場状態の違いからの合う合わないの影響が、あるいはレース展開自体に与える影響が、結構あるんじゃないかなと思ってみたり。帝王賞はキレ、東京大賞典は息長いパワー、みたいな。

 ローテーションの影響も確かにあるのでしょう。だから来年の川崎記念が4月に、名古屋グランプリが5月に移動してこの辺のラインを強化するんだと思います。

 メイショウハリオについては、やっぱり馬が充実していると感じますね。かしわ記念の時もパドックを見ていて思いましたが去年の帝王賞どころか秋頃に比べてもだいぶ印象が変わった。



★↑去年の帝王賞でのメイショウハリオ ↓今年。トモ周りのボリュームがひとまわり増した印象




 今回のレース後、岡田調教師に“イメージに対してどれくらいの完成度ですか?”と訊ねてみたのですが答えは「ほぼほぼ完成形」。今が一番いい時期なのだろうと思って見ていて良いんだと思います。

 コリアカップ参戦の話は今後の目標の話の中で出てきたもので、これも岡田師の話をひけば「JRAG1も勝ちたいが、海外にも遠征したい。韓国は近くて遠征しやすいから“海外慣れ”するにもいいんじゃないか」という意。そんな流れであれば来春の中東遠征組の中にこの馬の名前が入っている可能性は十分にあるという印象でしたし、何よりそうしていろいろな路線に行けると陣営が感じているくらいメイショウハリオが力を付けている・・・ということを覚えておきたいですね。


 さてふたつ目の話題は“もうひとつの馬像”

 OROパークのゲートを入るとすぐ正面にある馬像。競馬場のシンボルとしても親しまれているアントワーヌ・ブールデル制作のこの馬像なのですが、日本にもうひとつあることをご存じでしょうか? ・・・というお話。

 群馬県の高崎駅からバスで20分ほど。郊外の森の中にある『群馬県立近代美術館』にそれはあります。建物正面の広場に置かれた『巨きな馬』と題された馬像がそれ。




★1990年寄贈とあるのでOROパークのよりは先に設置されていたのか


 こちらもやはりアントワーヌ・ブールデル制作。台座の有無の違いとそれによる見え方の違いはあるものの、そして周りの景色の違いもあるとはいえ、自分には親近感しかない姿。


★木立に囲まれているのと台座が低いのでぱっと見の印象はずいぶん異なります

 群馬県のWEBサイトによればこちらの馬像のサイズは高さ450cm・長さ400cm・幅185cm(※台座除く)とあります。OROのは正確なサイズを記載した資料が見つからなかったですが、見た感じ同じサイズだと思いました。
 OROのは台座上にあって見上げる形になります。群馬のものは実質地上にある形なので非常に近い。そんな違いはあるものの、表情や馬装、身体の筋肉のうねりまで何もかも見慣れた感覚ですねえ。



★↑群馬 ↓ORO






★↑群馬 ↓ORO




 種明かしをすると、この馬像は元々はアルゼンチンのカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍の記念碑制作コンペに参加したアントワーヌ・ブールデルが、記念碑用の像を10年近くかけて構想する中で制作した“馬部分の習作”。同型の馬像は、やはり群馬県のWEBサイトによれば「この作品は他に、フランスに1点、アメリカに3点、韓国に1点の合計5点あります」(https://www.pref.gunma.jp/page/12103.html より)とされています。

 ネットでざっと探してみたところ、フランス・パリにある『ブールデル博物館』の1点アメリカ・ダラスの公園にある1点、そして韓国の『湖岩美術館』というところにある1点が見つかりました。アメリカのもうひとつのものの画像は見つかったものの場所がよく分からない。残念。

 日本にも、盛岡にもあるよね~というところはさておき、ブロンズ作品には同型のものが複数あったりして、ブールデルの作品で有名な「弓を引くヘラクレス」などは計18点制作されたとのこと。鋳造なので同じ型から同じものを作ることができる。

 ちなみに「本体」というべきカルロス.M.デ.アルヴェアル将軍記念碑はアルゼンチンはブエノスアイレス市のフリオ・デ・カロ広場にあるそうですが、それは馬だけでなく将軍本人も乗った状態でして、高い台座の上に立っていることもあって印象がだいぶ違います(参考/​https://en.wikipedia.org/wiki/Monument_to_General_Carlos_M._de_Alvear​ )。
 その記念碑の画像を見ると、OROや群馬の馬像にある首のところの線(?)は手綱が首に接している部分を作ってあったんだな・・・と分かったりしますね。


★こちらは巨きな馬の近くに置かれているブロンズで、群馬県の彫刻家・分部順治作『飛翔』。日本の馬だな、という感じがする。巨きな馬はいかにもヨーロッパの馬

 群馬県にある“兄弟”馬像。お時間があればぜひ一度ご覧になってみてください。​群馬県立近代美術館のWEBサイトはこちら​。


★群馬県立近代美術館(群馬の森)に向かうバス『ぐるりん』は旧高崎競馬場跡地(現「Gメッセ群馬」)の近くも通ります。こちらもお時間があれば






最終更新日  2023年07月01日 12時01分30秒
2023年06月15日
カテゴリ:横川典視
木曜担当のよこてんです。

 先週は東京のダービーのお話でした。今週は、もちろん岩手のダービーのお話。

 6月11日にに行われた岩手のダービー『東北優駿(岩手ダービー)』は2番人気のミニアチュールが優勝、牝馬にして岩手の3歳クラシック二冠を達成しました。


★東北優駿(岩手ダービー)優勝 ミニアチュール

 “一冠目”のダイヤモンドカップが終わった時点では“二冠目”東北優駿は無風というか、ダイヤモンドカップの上位馬による再戦気配が濃厚と考えられていました。

 ミニアチュール、リッキーナイト、スノーパトロール。ダイヤモンドカップは結果こそミニアチュールの勝利で幕を閉じたものの、勝負所から直線半ばまで馬体を併せる位置で食い下がり続けたスノーパトロール、そんな前の二頭の隙を突くかのように猛然と追い上げたリッキーナイトのレースぶりも目を惹くものがありました。
 東北優駿は1600mから2000mに距離延長。そこでこの構図が、この着順着差がどう変わるのか?変わる可能性も十分にあるのではないか?と感じさせたのがダイヤモンドカップのレースであり、その直後の雰囲気でもあったと思います。

 そこに飛び込んできたのが南関からの移籍馬・ロッソナブアの登場。そして鞍上に御神本訓史騎手を配するという情報。さらにはダイヤモンドカップでミニアチュールの手綱を取っていた山本聡哉騎手が負傷のためここでは騎乗できないという状況も発生。レース直前になって事態というかレースの前提条件のような部分も二転三転して、とても“無風”とはいえない戦前の状況になっていました。

 一番の注目はロッソナブア・・・ということになりましたよね。門別でのデビューが8月後半と遅めだったこともあって現地での重賞戦線には間に合わなかったものの、デビュー戦・2戦目ともに高い評価を与えられていた素質馬。南関に移ってからも重賞への出走はありませんでしたが重賞級の相手と互角に渡り合っており、備えた性能はこの馬も“重賞級”という評価が妥当・・・になるのはごく自然。

 ロッソコルサの半弟という点も注目度を高めたでしょう。そのロッソコルサは2012年の不来方賞・ダービーGPを制し、年末のグランプリ・桐花賞も3歳馬にして優勝。その年の年度代表馬にも選ばれた馬。古馬になってからは休養が多くなり、結局3歳時の輝きまでは取り戻せませんでしたが、しかし4歳秋の青藍賞を制しているのですから地力はやはり高い馬でした。


★ロッソナブアの半兄・ロッソコルサは12年の年度代表馬に選ばれる活躍を見せた(写真は12年ダービーGP)

 そして鞍上がね。つい水曜日には東京ダービーを勝って勢いにのる御神本騎手。人気するなと言う方が無理がありますよねえ・・・。

 反対側の、ライバルの方から見ると、それが闘争心をよりかき立てた面も確かにあっただろうと感じますね。それがミニアチュール・山本政聡騎手の真っ向勝負ぶりにも表れたのではないでしょうか。

 ピラヴロスが逃げる、ロッソナブアが2番手あたりに付ける。この辺の位置取りは自分の想像の通りでした。少し違ったのは、自分は同じくらいの位置にスノーパトロールがいてミニアチュールはその一列後ろ、そこで前を見つつ後ろにいるだろうリッキーナイトを警戒するだろう・・・と思っていたのが、ミニアチュールが序盤からロッソナブアの直後・外に付けた点。
 一周目のスタンド前を通過していく馬群、ミニアチュールの位置を見て“強気だ”と感心すると同時に“大丈夫なのか?”と思ったのが正直なところ。


★一周目スタンド前を通過する馬群。ピラヴロスが逃げロッソナブアが2番手。ミニアチュールはその外3番手で真っ向勝負の位置に付ける

 しかし2周目の向こう正面半ばすぎ、ロッソナブアに外から被せていくミニアチュールは、ロッソナブアの手応えが怪しくなっているにしてもひたすら強気・強気。ねじ伏せにいったのかと、そこまで真っ向勝負で勝とうというのかと、何というか見ていて息を呑むというか息が詰まるというか、直線にいたる攻防を見ていた時の自分の胸の高鳴りは先日の東京ダービーの直線を見ていた時とかわりがなかったですね。

 ここまで“徹底的に勝つ”競馬をするのかと。いやこれは本当に見事だった。


★引き上げてきた山本政聡騎手のけれんのない笑顔。いかに嬉しい勝利だったかがわかる

 レース後のインタビューの際、山本政聡騎手も佐藤祐司調教師も感極まったのか言葉に詰まりかけるようなシーンがありました。
 そういうところはあんまり無いお二人だと思っていたんですけどもね。それくらい力が入る一戦・想いのこもった勝利だったのだろうと思います。





 ただ、勝ったミニアチュールから4着スノーパトロールまでがざっと5馬身。そのうちの4馬身はミニアチュールが抜群の競馬をしたから生まれた差であって、この辺の着差が各馬の力の差だと判断するのはまだ早いでしょう。
 それぞれの馬に“勝てる世界線”があったはずで、今回はこのような結果になりましたが、これからのそれぞれの成長や変化によっては勢力図も変わってくる。そんなふうにも思います。
 ただ。もう一度“ただ”を重ねますけども、ミニアチュールってセンスの良さで勝つタイプだと思っていましたが、今回のような力尽くでねじ伏せるような競馬をしてそれで2000mを乗り切れるような底力があるところを見せた。ミニアチュールがもっと強い馬だという可能性も十分にあるとも思いますね。

 いずれにせよ秋が楽しみです。


★2着リッキーナイト。「序盤からかかってしまって。あれだけかかっていながらあれくらい走っているからたいしたものです。距離が伸びたら逆転もできるかもと思って挑みましたがミニアチュールは勝負所で持ったままでしたからね。いろいろ含めて今回は完敗です(高橋悠里騎手)」


★3着ロッソナブア。「先行して2番手に付けるのは理想の展開だったけど、2000mはちょっと長いのかもしれない。それでも最後までよく頑張って走ってくれたと思います(御神本訓史騎手)」

 各地の“ダービー”が次々終わって、“無敗のダービー馬”や“連対を外していないダービー馬”が次々現れているのが凄いなと思うんですけども、“ダービー路線”が来年は違う形になるだろう、今の形は今年で最後だろうという年にこれだけドラマチックな戦いが各地で繰り広げられているのを見ると、なんかもったいないなあという気持ちにもなってしまいますね。

 勝ってウイニングランとか、今年は多いじゃないですか。山本政聡騎手もそうでしたけども。
 来年以降も各地の3歳三冠路線は残るかもしれません、残るでしょうが、そこに「ダービー」と付くレースは無いはずです。“実質的にダービー”というレースはあるでしょうが。
 もしかすると最後の各地のダービー。各地の関係者も心中期するところをもって挑んだ・・・というとオーバーかもしれませんが、なんとしても勝ちたいという強い思いが生まれてしまう今年だったのかもしれません。

 やっぱりダービーというレースは馬に関わる人々にとって特別な意味合いがあるんですよね。

 ダービーって、やっぱり良いなあ。






最終更新日  2023年06月17日 01時09分44秒
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