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moo-moo-ふぁみりぃ★

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出産(2005.9.1)

<9月1日(木)> 28週3日 入院3日目
今日は本当なら始業式だったのになあ・・・なんとなく朝から学校のことばかり頭をよぎる。

この頃から友達ができて入院生活が楽しくなっていた。
ちゅばを妊娠してから、産院では「母親学級?出産したばかりだから出なくていいわよ。内容同じだから」と断られ、市の母親学級は5ヶ月の赤ちゃんとの交流が(いろりんを思い出して悲しくなるのが)怖くていけなかった・・・。ママ友達を作りたかったができずにここまできたので、大学病院で友達ができて、とてもうれしかった。

出産後や切迫早産の人以外は食堂でご飯を食べた。だいたい4人ぐらい。
毎日このおしゃべりタイムが楽しみだった。
いろんな人がいた・・・切迫早産のため3月からずっと入院してる双子のママさん、フィリピンからきたママさん、そして、ぷんぷんと同じでお腹の中で赤ちゃんが大きくならず様子を見ているママさん。なんとその人はご近所さんで教え子の義姉だった(笑)
「みんながんばってお腹の中で子育てしているんだなあ」長い入院生活で大変な中でもみんな明るかった。そして、みんな出産が近づいていたが、誰よりお腹の小さな私が1番早く産むんだろうな・・・と自分の中で思っていた。

夕食後のモニターチェックで徐脈あり!!産科での主治医が当直だったのか駆けつけエコーで確認してくれる。
「エコーで見ると動きが活発なんだけどねえ。健康でも徐脈は誰にでも起こるんですよ。でも心配なら、今晩モニターつけて寝ますか?」
「はい!!いつも夜中が不安で・・・そうしてください!」
そして、個室に移ることになった。

念のため「出産になることも想定して、今晩はお酒のまないでね」とダンナに連絡。

その後、主治医に呼ばれる。
「また徐脈があったら帝王切開することになると思います。NICUに入ることになりますが、うちの病院のNICUが満床だったら赤ちゃんだけよそのNICUに行くこともあるのでご了承ください。お1人目のときもうちで見させていただいたので、できるだけこちらで・・・とは思っていますが、万が一のこともあるので。」と、まず言われた。
それは仕方ない・・・でも、慣れた人だとありがたいな・・・私は人とうちとけるのに時間がかかるので、ついそう思ってしまった☆
そして・・・
「前回の出産後、ご夫婦で染色体検査なんてしましたか?」
「いえ・・・。(え!?先生はそっちの線で考えてるの~?)」
「一応確認のため聞いただけです。お一人目はめずらしい染色体異常でしたから、たまたまなのか、ご夫婦の染色体の問題なのか原因を聞いてみたかったのです。お腹の中で大きくならないのは胎盤の血流が悪いせいだと思うのですが、もしかしたら・・・(染色体異常の可能性もあり)と。」
ちょっと気になったが、生まれるまではわからないこと。まずは無事に産むことだけ考えようと思った。

※1人目のいろりんは21トリソミーという染色体異常のため(ダウン症と異なり見た目には染色体異常はわからないが)白血球が異常増殖した。その結果、白血病に似た状態になり生後しばらく交換輸血など大変だったのだ。一過性の骨髄増殖性疾患で済んだが・・・。いろりんは染色体異常と脳からの出血のため障害のある子だった。首もすわることなく笑顔もほとんどなかった。・・・そのためか、親以上にお医者さんの方が2人目の染色体異常の可能性を心配していた。(検診のたびに「1人目ダウン症だと2人目もその可能性がやや高い。でも1人目が特殊なタイプの染色体異常の場合、2人目はどうなるか・・・データがない」と言われていた。)

その晩は「電車男」の日・・・個室のほうがゆっくり見れる♪
この非常事態にそんなのんきなことを考えていた。
そして電車男が中盤にさしかかったころ・・・突然看護師さんが病室へ!
「今、徐脈あったんですよ」テレビに気をとられて、モニターに注目していなかったのだ☆
主治医も来た心拍が50ぐらいまで下がっている。(いつもは140ぐらい)なかなか戻ってこない。長く戻らないと障害が残る危険または命の危険も・・・
「戻って来い!!」主治医が何度もつぶやく。
「いやだよ・・・ここまで来てそんな・・・」
30秒ぐらいで元に戻った・・・。。「出しましょう!いいですね!!」「はい・・・(でも、もう30分・・・電車男が終わるまで待って・・・なんて思っても言えるわけがない状況☆)」またもや緊急帝王切開での出産になった。


みんなが大慌てなのが伝わってくる。帝王切開するときはしばらく動けなくなるため、弾性ストッキングを履く。ぷんぷんは昨年使ったのを持ってきてあった。今回はどのストッキングを使ったのか?未だにナゾである・・・。
それはともかく、妊婦が自分でストッキングを履けるわけもなく、右足は看護師さん、左足はなんと・・・主治医(男性)が履かせてくれていた。よっぽどのことだ・・・と感じた。みんなでちゅばを守ろうとしてくれている。うれしかった。どんな命も必死で守ろうとがんばってくれると思うけど、いろりんの記憶がお医者さん、看護師さんの中にもあるみたいだった。なおさら必死に少しでも早くちゅばを無事に外に出そうとしてくれていた。

家族は間に合うわけもない。家から病院まで急いでも1時間。まだ仕事中だったから1時間半・・・ちょうど生まれたころくればいいなと思っていた。

手術室到着。NICUの先生が産科より先に待っていてくれた。いろりんの主治医のM先生だった。「よかった~。またM先生が生まれた子どもを適切に処置してくれる・・・」安心して泣きそうなところに、「かあちゃん!がんばれよ!俺たちも全力つくすからね、いいね!!一緒にがんばるよ!」と温かい励ましに我慢できずに次から次へと涙がこぼれた。手術室のスタッフが、なかなか止まらない涙を何度もぬぐってくれた。

帝王切開も2回目だから、だいたいの流れはわかる。
早く麻酔が効くように・・・と前回より麻酔を1つ減らしたらしい。おかげで息苦しさは少なくて済んだ。だが、何か(たぶん血圧)おかしかったのだろう。何度も手術室のスタッフがぷんぷんの顔を心配そうにのぞきこんだ。
この手術で1番つらかったのは自動血圧計だった。手術中何度も腕がしめつけられる。痛い・・・手術前に点滴を失敗した上に血圧計を巻かれたから、締め付けられるたびに顔をゆがめてしまった。途中で我慢できなくなって、「血圧計が痛いんです」と訴えたが、もちろん直すことはできなかった。手術前に言えばよかった・・・そうこうしてる間に内臓を取り出している感覚がった。(痛みはないが触られているのはわかる。)
「そろそろだな・・・」と思ったら、「ふぇ~ん」ちゅばの泣き声が聞こえた。
23:21 長男ちゅば誕生!!
甘えん坊な声・・・(^。^)いろりんは聞かん坊な声で最期までがんばったけど、ちゅばはこんな甘えた声でだいじょうぶかなあ?そんなことを思った。
でも、泣いた・・・28週でまだ呼吸の準備も整ってない時期に生まれたのにちゃんと泣いてた・・・また涙がこぼれた。そして遠くでM先生の笑い声も聞こえた♪「ああ、先生が笑った(笑)きっとちゅばは大丈夫だ。よかった。元気なんだな。」と安心したら涙が止まらなくなる・・・嗚咽に変わってしまい、ただでさえ大変な呼吸がますます苦しくなってしまった(苦笑)
あとは早く閉じて終了するのを待つだけ・・・内蔵を押し戻されたり、掃除機みたいなもので血を吸引している感じがした。(見えないので、あくまで触感・音からのイメージ・・・☆)時計を見る余裕すらあった。

「もう終わるかな・・・?」なんとかちゅばを生きた状態で外に出せた。無事に出産を終えた満足感でいっぱいだった。あとはちゅばの体の内部の心配・・・でも今は喜ぼう。あえて不安は押し隠した。

病室に戻ると、夜中にも関わらずダンナと義母が待っていてくれた。
興奮気味に自分がわかる限りの出産の様子を伝えた。私があまりに元気なことにびっくりしていた。午前2時・・・NICUから呼ばれてダンナと義母が説明を聞きに行く。
「またこの時間がきた・・・長いんだよなあ☆」しばらく帰ってこないことはわかっているので、いいことばかりいろいろ想像してみる。だんだん悪いことも想像し始める。・・・でも何にせよ、いろりんのときほど衝撃は受けないはず。でも、また染色体異常があったらどうしょう。いろりんみたいに長く生きれない体だったらどうしよう・・・。などいろいろ。

午前3時過ぎ。ちゅばとの面会も終えたダンナと義母が戻ってきた。
「どうだった?!」
「う~ん・・・特に悪いところはなかったよ。早く生まれちゃったから、これから乗り越えなきゃいけない問題はいっぱいあるみたいだけど・・・とりあえず今のところは悪いこと言われなかったよ。28週のわりに小さいだけで中身は成熟してるってM先生も誉めてたよ。」
「じゃ・・・ダウン症とかじゃないの?」
「うん。そんな言葉は出てこなかったから大丈夫なんじゃない?ダウンちゃんならそう言うはずだし。」
「ほんと~???ホントに体に異常はないの?よかった・・・」ここで安心して声を上げて泣いた。長い間の不安からようやく解き放たれた感じがした。先の(子どもが死ぬかもしれない)心配をしなくていいんだ。ちゅばのこれから先を想像してもいいんだ・・・と思うとうれしかった。

男だとわかったときから名前は決まっていた。「彩葉(いろは)」から一文字もらって「翼彩(つばさ)」高額医療の手続きのためにも早く出生届けを出さなくてはならない。明日出すねと約束して、ダンナと義母は帰っていった。この手続きも2度目ともなれば慣れたものだった。家に着けば4:30。寝るヒマもなく朝の牛の世話が始まる・・・駆けつけてくれた2人に感謝の思いでいっぱいだった。安心してやっとぐっすり眠れるはずだった・・・が寝ようとすると呼吸をするのを忘れて息苦しくなり一晩中眠れなかった。何かおかしい・・・





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