でくの坊 雨にも 風にも 

2011/08/24(水)15:38

仏教とイスラム教による平和の祈り

22日朝6時、観音霊場会をリレーして、広島平和公園の『平和の灯』が、やって来ました。 午前中は、隣接施設の年中行事である地蔵祭り。 今回は、旧川上村の上流にある廃校すぎのこ村に於いて、10日間のワーク・キャンプを終えた海外からの参加者などを交えて60名での坐禅。 飛び入りで紙芝居や、各国の紹介があったりで、子どもらにとっては、楽しい時間となりました。 お昼前、隣接施設で行われていた故・伊藤和也さんの写真展『アフガニスタンの大地と子どもたち』会場に、伊藤さんのご両親が静岡より来訪。 ご命日が近いということで、うちの子どもたちと食事を取った後、寺に移動し、そっと関係者だけで、『平和の灯』を前にして、読経をさせて頂きました。 遺影代わりに用いていた伊藤さんと、現地の方が写った写真。 お母さんは、その写真を見るや、「一番大好きな写真なんです。側にいらっしゃる方は、特に家族ぐるみで良くしていただき、ボランティアの中で家にまで上げてもらったのは和也だけだったそうです。」と言って、目は真っ赤。 日本各地で写真展が、開かれる度に一度は足を運ぶが、どこへ行っても、和也がそこに帰ってきているような気がする。 一度、廃校を会場に行ったことがあったが、寂しい思いだけはさせたくないとの思いも。 お父さんも、息子の意思を継いで、多くの方へと心を繋ぐことに、一生懸命でありました。 夕方、真言宗、曹洞宗の僧侶にも急な声掛けながら、参会いただきまして、福岡マスジドから、いつもお世話になるむらこうさんとエジプト人留学生のサラさんの2人をお迎えし、仏教の平和祈願法要に引き続き、イスラームによる平和への祈りを行いました。 読売オンラインの動画 イスラームは、偶像や、灯を礼拝の対象にしないということで、本堂内陣の襖を閉めたりといった場面転換。 しかし、灯と伊藤氏の写真は、皆の見える場所に欲しいということで、脇へ設置するといった工夫を。 日没時の礼拝も、本堂にあって、そう違和感を感じることはありませんでした。 NGOでアフガニスタンにいらっしゃった伊藤丈二氏より、伊藤和也氏の思い出などを中心に講演。 両氏がアフガニスタンに居た頃、同じくNGO活動を行っていたJVCの谷山代表は、かつてカンボジアのプノンペンで、様々なことを私に教えて下さったのですが、このような場でピタリと重なることが、不思議でもあります。 続けてサラさんが、イスラームにとっての平和を語り、参加者は20名ほどでしたが、熱心に質問する葬祭業者の部長さんがいらっしゃったりで、後から質問をしておけば良かったという意見もいくつか預かり、もう少しテーマを絞っておけば良かったかなと、いくつかの失敗を今後に生かしたく思っています。 食事交流会を終えるや、20時からは、隣の子どもたちもやって来て、平和の灯が点った燭台の明かりのみを囲んでの坐禅。 坐禅を組ませるや、幼児であっても、さっとスイッチが切り替わり、姿勢正しくピタリと静かな時間を共に作り出せるのは、毎年の積み重ねでしょうが、本当に心地良い時間が、しっとりと流れていました。 本日、おば様を後ろに本堂で読経し、平和の灯が次の寺院へと出立。 おば様、焼香し平和の灯に手を合わせつつ、「原爆の本当の恐さは、その当時を生きた者にしかわからない。あれがそうだったのかと、当日朝、広島へ向かう飛行機を見たことが、未だに瞼から離れない。ただただお祭り騒ぎのようなことに、この灯を使って欲しくはない!何だかんだと、各人の勝手な都合で声高に用いられるようなことなく、そっと静かに灯を感じ取って欲しい」と、涙を流しつつ、深々と一礼。 その一言に、何となく目から鱗が落ちるような気持ちになりまして、私も一礼させて頂きました。

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