でくの坊 雨にも 風にも 

2011/09/13(火)23:41

徳山托鉢と回天記念館

金魚君、隣の先生と三人での托鉢。 今回は、徳山へ出掛けました。 途中立ち寄った大成寺は、かつて南天棒老師が、松島瑞巌寺、西宮海清寺へ出る前の20年間住職をつとめていた寺。 徳山出身の児玉源太郎の縁で、乃木希典も老師に参禅しており、現在も提唱台が残っています。 午後、網代笠を脱いで、一路沖に浮かぶ大津島へ。 回天記念館を訪ねました。 「魚雷に人間が乗るのは最初であり、それは、自分の命を終える兵器。 死ぬのは当たり前で、どのような働きをみせるのか。 人生とは何か? 人は何のために生きるのか? 死とは何か? 自分の死によって多くの人が救われるといった考えに至る。 喜びも悲しみも凝縮され、自分が生きてきた中で、最も充実した時期であった。」 とは、ビデオ上映による生き残った方々の言葉。 それにしても、残された手紙やらを読むに、それぞれに哲学や、透徹した宗教観を持ち、達筆の方が多いことに驚き。 おば様が、「本当に勉強のよく出来た者が、何人も死んでいったんよ。本当に勿体ない。」と言っていたことを思い出しました。 先代住職や、おじ様たちは、学徒動員で、回天の部品も作っていました。 極秘ではありましたが、皆、薄々どのような物が作られているのか、噂で知っていたそうです。 回天発射場跡へは、当時のまま残る長いトンネルを歩きます。 青い海へと突き抜けるような。 ここで映画「出口のない海」にあったような、回天の操縦訓練が行われました。 今は、天蓋もなく。 寺に帰って、おば様に話をしたところ、 「徳山の海軍燃料廠が空襲を受けた日は、防府から少し佐波川をのぼった所で、学徒動員で働いていたが、気味が悪いほど、いくつもいくつもB29の三機編隊が上空を通り過ぎた。そしてみるみる東の空に真っ黒な煙が立ち上り、徳山が大変なことになっているのを知った。うちの先代住職も、間一髪で終戦間際の空襲を免れたというのに、お酒で命を縮めてしまうなんて本当に勿体ない。折角いただいた命じゃけぇ、大切にせんといけんっちゃ!」 いつもながら、ただただ頷くばかりです。

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