様々な思いを托し托されて~神々と男たち
先日、山口県内の全臨済宗寺院に声掛けし、15名ほどで托鉢を行いました。見慣れぬ方には、ちょっと怖いかも。昨年、「学生運動が盛んだった頃のように、もう何でもかんでも集まりを作るような時代ではない」と言って、県連盟の解散が検討されたのですが、事務に追われるばかりとなること無い、若手中心での再出発を決議。新体制になって初めての行事が、今回の托鉢となり、皆、解散しなくて良かったと申しておりました。今後、下関や萩へと会場を移しながら、月に一度行うことに。また、各寺院で震災の募金を行う場合、認識の共有を目的として、臨済宗連盟○○寺と冠するようにしようといった案、そして対応の素早さと経費軽減の為、従来の書状での案内を簡略化し、メールで連絡するようにしようといった案も出ました。行事後は、定番となったコンニャク・カレーですまた、托鉢の翌日、近所のお寺の奥様に、手渡したい物があると言って呼び出されまして、何だろうかと思いきや、小さな木箱。中には、線香ロウソクに香炉、そして蓋を引っ繰り返し、白い布切れを掛けると位牌塔婆立てに。先日の震災で、やむを得ず土葬になるも、その場に立ち会うべき僧侶などの宗教者が居ないといった情報に、俄に思い立ち、一生懸命に工夫を凝らして作ったとか。「是非に、現地で活かして下さい!」と強く懇願されつつ、木箱を手渡されました。本当に、重たい物を預かったと思っています。先週末は、八王子の後輩の晋山式へ行って参りました。この度の大地震による被災者への気遣いと、輪番停電の不安を避けるといったこともあって、ホテルでの祝宴は中止。それでもシンプルな中に、それぞれの強い思いが反映。特に、うちの住職の気合いの入った祝辞に、手話通訳者が涙していたこと。その手話を超えた通訳に、一生懸命に見入って、一際大きく頷いていた新命の両親の表情が、印象的でありました。一階は幼稚園で、二階が本堂。その後、さいたまスーパーアリーナに多くの被災者が生活しているといった情報を得まして、今後の支援や復興の在り方のヒントを得ることが出来ればと思い、飛んでみることにしました。火事場見物とならぬように、細心の注意を払いながら。勿論ですが、ボランティア許可者以外は、生活の場であるアリーナ内への立ち入りは禁止。ボランティア要員に溢れた20名ほどが待機所に。待機していた若者に声を掛けると、アルバイトの面接と同じように、ボランティア経験者からスカウティングされ、自分たちのようなニートや、あまりにも経験の無さそうな学生たちは選ばれずに、早朝からずっと待機になってしまったそうです。また、ボランティアを動かす立場の方に話を聞くと、交通の便が良いのと春休みといった条件が重なり、100人定員のボランティア人員は、早朝から連日飽和状態。そして、ここでの生活者は、放射能危険地域からの避難者が大半ということで、現状は金銭面でも物資面でもさほど喪失感の無い方ばかり。心的ストレスも、津波被害地域の方とは、全く重さが違うとのことでした。しばらくアリーナ前のベンチで日向ぼっこしながら流れ聞こえる話にそっと耳を傾け、都心へ戻りました。そして、寄り道もせず、真っ直ぐ飛び込んだのが、銀座の映画館。神々と男たちこの映画は、是非観て下さいといった話だけだったのですが、行って驚いたのは、かつてフランスの修道院で聞いたアルジェリアで殉教した修道士たちの事がテーマだったこと。私が滞在した一年前の事件で、メンバーの一人は、そのタミエ修道院の出身ということもあり、修道院で行われたアルジェリアで亡くなった修道士たちへの祈りが行われたり、若い修道士とモスリムに限らず宗教対話の大切さについて懸命になって論議したこと、沈黙と瞑想の時間を共にしたことが思い出されました。パンフレットを読むと、映画プロデューサー始め、監督、出演者が、私も一ヶ月近く過ごしたタミエ修道院に一週間滞在したようで、更に驚き。起立を促すノックの合図。他修道院では見なかった朝課途中に挟まれた沈黙の時間。就寝前に歌われるマリアを讃えるグレゴリオ聖歌(サルヴェ・レジナ)を唱導するタミエ独自の美しい聖歌が懐かしく、お休みなさいと言いたくなるような心の静けさまでもが、よみがえりました。今朝は、早朝より下関へ。いつもお世話になるお寺の先代住職の年忌法要と、観世音菩薩の石像を安置した供養塔落慶法要。餅撒きも盛大に。最後に放り投げられたパイナップルには、どよめきが起こりました。