テロ
仏の風刺週刊誌『シャルリー・エブド』の本社が襲撃され、12人が死亡したという報道。イスラム関連の風刺画や記事に対して反感を持った人間の犯行といわれている。日本に住んでいると、テロを身近に感じる機会がほとんどない。自分が小学生か中学生の時分、オウム真理教の地下鉄サリン事件が発生し、我が身の近くにもテロ行為なるものが生じる可能性があることを強く認識したが、それ以降は米国やイスラム関連国で発生するテロ行為を報道で眺めるだけで、危機感を抱くまでには至らない、有難い日常を過ごしている。しかし、これからは日本もテロの標的となる可能性が高まるだろう。安倍政権が推進する憲法9条の改正、集団的自衛権発動や積極的平和主義なるまやかしにより、他国から恨みを買う機会は増えるだろう。東京オリンピックも控え、テロリストが主義・主張をアピールするには絶好の舞台ともいえる。戦後70年で築き上げた『安全な国』という掛け替えのない国益を手放してしまう現況に、どれほどの人々が危機感を抱いているのだろうか。新聞もテレビもこのことを報じることは少ない。中国・韓国をやり玉に挙げ、憎悪を煽り、好戦的な風潮を根付かせようとしている節がある。そうすれば視聴率が上がり、新聞・雑誌の売り上げが増えるという短絡的な理由から採用している報道方針なのだろうが、そんなものは『報道』とはいえないと思う。原爆の日や終戦記念日には反戦を訴えるドラマや報道番組を制作しながら、翌日には反韓・反中を煽り、受け取る側もそのことに違和感を感じない状況に恐怖を覚える。『安全』は保証されたものではなく、手に入れるには不断の努力が必要であることを今一度考えるべきではないだろうか。