金箔について
『大日本古文書』二十四 天平六年(734) 造仏所作物帳断簡
練金一両から作られる枚数は600枚
『大日本古文書』二十五 天平宝字五年(761) 造寺雑物請用帳
練金一両から作られる枚数は415枚
『大日本古文書』十二 天平勝宝四年(752) 書写所雑物請納帳
方二寸三分 と 方二寸
『二中歴』第三 平安、鎌倉時代
木像用金箔 金一両で千枚
『宇治拾遺物語』西暦1212年頃
京都の箔打が大和国金峰山の金18両を持ち帰って、箔7,8千枚を
打った
現在
金一両(10匁)で3寸6分角約1,730枚
奈良時代、鎌倉時代の
金箔のdimension
『二中歴』とは、平安時代の後期、あるいは鎌倉時代の初期に作
成された百科全書なのですが、もともとは『掌中歴』『懐中歴』と
いう二冊の本だったのを合体させたのです。現代でいえば、ハンド
・ブックとかポケット・ディクショナリーと称する辞典と考えたら
よいのでしょう。昔は時代による変化がほとんどなかったから、鎌
倉時代初期に使われた辞典が江戸時代でも使われ続けたのです。
上の写真は『二中歴』第三のなかの「木像用金薄」という項目の
部分です。加賀藩前田家尊経閣に伝わっている伝本です。
木製仏像に使う金箔といえば、「面七胸五衣三座一」と覚えよ、
とこのポケット・ディクショナリーは教え込むのです。平安時代以
降、これが常識だったのでしょう。現代の日本では失われてしまっ
た言葉です。
簡単に申し上げると、最近は金7匁で1,000枚の金箔が通り相場ですから、昔の金
箔はとても分厚い金箔だったことになります。そもそも箔のサイズが違います。
http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site54/ariga5.htm
金は、今も昔も貴重価値である。現代においては、電子部品に欠かせない金属になっており、都市埋蔵金とも言われ、パソコンや携帯等からの金が取れるのである。
懲りずに、hideなる歴史を知らずに、徳川家光公は、日光山輪王寺なのに家康と同じ、東照宮だと言っているようや歴史認識が全く無い。習ひそこないの学者が、騒いでおる。
小生から言わせて貰えば、悪あがきにしか見えない内容である。
私は、高校が工業でしかも、電子関連を学んだので、ネットにある大聖人は、貧乏で大御本尊を建立する金は無かっただの、金箔は購入不可だのを見ると、ド素人の論であると感じる。
彼等は、大御本尊建立に何百万だのと思っているだろうが、きちんと当時の金箔を調べれば、以外にコストを抑えて建立されていた事が分かるものである。
一両の金。鎌倉時代の一両が現代価値でわからないが、江戸時代の一両小判が、3万円との事であるからして、金箔だけで何百万はかかって無いのである。金は、少量でも金箔は作れるのである。だから、現代電子部品に使われやすいのである。