顕正会脱会のススメ!

2013/01/20(日)22:50

現御隠尊日顕上人猊下お言葉 仏眼寺本堂改修庫裡新築落慶法要の砌

昭和五十五年十二月十七日 本日は当仏眼寺が、本堂を改修し、御宝前を荘厳せられ、また庫裡を新築せられまして 仏恩報謝の説を表わされたことは、まことにお喜びにたえない次第でございます。 皆さんも御承知のように、当寺は一説には康永二年(一三四三)の建立ともいわれてお りますが、日興上人のお弟子である日尊上人の開基であります。その開創の年につきまし ては、康永二年には日尊上人は京都におられ、その二年後にはお亡くなりになっておりま すから、それよりもかなり以前に建てられていたのではないかということも考えられるの でありますが、いずれにいたしましても非常に古い歴史をもつ、宗門の名刹でございます。 ところが、その古刹である当寺におきましても、その長い歴史の中においてはいろいろ な大難があったのであります。近いところでは、当寺の開基であられる日尊上人の終焉の 地である京都の要法寺の末寺とされるという、法難がありました。 この要法寺というのは、興門八箇本山(富士大石寺・北山本門寺・京都要法寺・伊豆実成寺・下条妙蓮寺・小泉久遠寺・保田妙本寺・西山本門寺)の内の一つでありますが、本来、その根本の意味から考えますならば、総本山である大石寺の末寺であるわけでございます。即ち、大聖人様の出世の御本懐であらせられる本門戒壇の大御本尊様は、大聖人より日興上人へ伝えられ、日興上人は日目上人へ、以来日道上人・日行上人へと伝えられまして末法万年にわたる広宣流布の基盤とされたのでありますが、その根本道場が大石寺でございますから、あくまで大石寺が総本山であり、他の七箇寺はすべて末寺となるわけであります。 そのような筋道は、宗門の根本の時代にあってはきちんと解っておったのでありますが、 時の流れに従っていろいろと社会の変動があり、あるいは魔縁の興盛等によりまして、い つしか根本の筋道を忘れてしまい、大石寺が総本寺であることを忘れて八箇本山のそれぞ れが、自分の寺が本寺である。との我見をもつようになってきたのであります。その辺の 経緯は今ここで簡単に申し述べられるものではありませんが、明治の時代を迎え、大石寺 を中心とする正法の僧俗は、いかに興門のなかではあっても、我見をもって正しいものを 認めない者達と一緒になっていては到底、正しい広宣流布はできない。というふうに考え まして、大石寺が独一の本寺として独立すべく官に請願を繰り返したのでありますが、当 時の法律によって、それは認められなかったのであります。しかし、それでも何回となく 請願を繰り返し、明治三十三年「一九〇〇)、ついに、日蓮宗富士派として、独立したの でございます。 そのときに、大石寺が独立したことを嫉んだ京都の要法寺が、いろいろな難題をふっか けてまいりました。その内の一つとして、この仏眼寺――あるいは近くにある日浄寺もそ うでありますが――について当寺は元々、日尊師が建てたものであるから要法寺の末寺 である。したがって即刻、寺を引き渡せと言ってきたのであります。そして、いろいろ な紆余曲折がありまして控訴審まで争いましたが、日尊師の開基である。ということもあって、遺憾ながら二回とも大石寺が敗れてしまったのであります。よって当仏眼寺は、大石寺の元を離れて要法寺の末寺となることで、法律的に決着が付いてしまったのでございます。 しかしながら、当時の住職であられた佐藤日照御能化――当寺の先々代の住職であり、 また現在の日浄寺住職・佐藤暢道師の御親父であられますが――は、法律的には完全に敗 れたにもかかわらず、強い信力をもって、門の所に陣取って対抗されたのであります。そ の時の因難は筆舌に尽くせぬ情況であったと承っておりますが、昭和十八年に――当時の 時局の進展に伴って制定された。宗教団体法の助けもあったようでありますが、要法寺 との紛争に一切の解決をつけて、大石寺の末寺として認められたのでございます。 これもひとえに、当時の檀信徒の皆様が――本日ここにおいでになっておられる方も多 多あろうかと思いますが――一致結束をして我々は大石寺が根本の本寺である。仏眼寺 が要法寺の末寺になるようなことは、絶対に承知できない。という大石寺に対する信仰と 団結の力、及び住職の強い信念によって勝つことができたのでありまして、その一致結束 しての力により、不当な判決をくつがえし、既に入っていた要法寺の僧侶を排除して、こ の仏眼寺を真の大石寺の末寺として、今日に在らしめたのでございます。 今日、仏法上の問題について官に提訴し、国法に解決を求めるというような者が宗門の 中にも出てきておりますが、この仏眼寺の例を引くまでもなく、仏法に逆らった、また仏 法を全く忘れたところの、謗法の見解でございます。 この、ただ今申し上げた事件は、たとえ法律(世法)がいかなる無法な形によってでも 勝つことがあっても、正しい信心があるならば必ずそれをくつがえし、本当の正しい勝利 がそこに表われるということの実証であると存ずる次第でございます。 本日御参詣の方の中には、昨今入信の方もありましょうからそういうことを御存知では ない方もあるかもしれませんが、この仏眼寺は長い歴史があるとともに、住職並びに檀信 徒の命懸けの信心によって正しく護られたのでありますから、その深い意義を忘れること なく、総本山大石寺を根本とし、戒壇の大御本尊様を根本とする信心を、どこまでも貫い ていっていただきたいと念願する次第でございます。 明年にはいよいよ七百御遠忌を迎えるのでありますから、いよいよ自行化他の信心修行 に邁進せられることを念願いたしまして、一言、本日のお祝いの言葉に代える次第でござ います。 おめでとうございました。 (文責在速記者) 今日、これを何故出したかと言うと、あるSNSサイトにて、日寛上人が天台を真似している。パクリだと騒いでるのがいた。 日蓮正宗大石寺の教義は、大聖人の時代から変わりありません。 変わって、おかしいならば古希の寺が沢山あるし、戦後に日蓮正宗の寺になった古希の寺は、沢山あります。 その現実の事からして、教義は全く変わってない。変わっておかしいならば、日蓮正宗になる必要も無いわけです。 ネットで騒いでるのは、北を南と言い。白を黒と言うような考えしか無い人たちである。 ようは、言っても無駄。ネットで騒ぎ現実に起きている事には、目を向けずひたすら、その狭い領域から出られない。世間知らずなのです。

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