「降霊会の夜」浅田次郎。
軽井沢の別荘地、
以前ある企業が保養所として使っていた屋敷も庭も広大な高原の家に、1人暮らす初老の男性。
彼は、しばしば同じ夢を見ていました。
見知らぬ女性に導かれてひたすら歩く夢。
坂道に来て、後ろを振り向くと、
そこにはかつて暮らし、捨ててきた街がぎっしりと重箱の様に並んでいるのです。
この歳まで生きてきて悔悟の無いはずはない~たちまちいろいろな思いが押し寄せてきて…
そこに女性の一言、「何を今さら‥」
そこで夢はいつも終わるのです。
ある嵐の夜、嵐をさけて、屋敷に迷い込んだ女性。
閃光と雷鳴におびえるその女性を、家の中に招き入れたのですが、
ナント、その女性は、夢の中に出てくる女性とそっくりでした。
嵐が収まると、
せめてものお礼にと、女性は、「会いたい人はいませんか?亡くなっていてもかまいません」と申し出、
男性を降霊会に誘います。
男性が会いたかったのは、
小学校3年生の時に転校してきたキヨという貧しくひ弱な男の子。
家が貧しいため、父親から当たり屋を強制され、
あげくは、トラックにはねられて亡くなってしまったのです。
2日目の降霊会で、男性が呼び出したのは、大学時代に付き合った女性・百合子。
高度成長時代の裕福な家庭に育った仲間たちと遊びほうけていた大学時代、
偶然知り合った百合子は地方から出てきて、働きながら夜間高校に通う薄幸な女の子。
男性は、この2人を見捨ててしまったのです。
その悔恨の思いが夢になっていたのでしょう。
キヨの話は、本当にかわいそうでした。
終戦後の復興の日本の中で必然的に起きた貧富の差‥、
キヨが貧しく、悲しい人生を送ってしまったのは、誰のせいでもない…。
百合子という女性の話は、
思いもつかない展開に…
そしてやはり悲しい愛の交錯が。
小節の冒頭に載せてある新古今の歌が意味深いです。
来しかたを さながら夢になしつれば
覚むるうつつの なきぞ悲しき
「新古今集巻十八」権中納言資実
※過ぎ去った時をそのまま夢にしてしまったので、夢から覚める現実がないことが悲しい。