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『バルトの楽園(がくえん)』 (2006)
上映時間 134 分 製作国 日本 ジャンル ドラマ
第一次世界大戦中の1914年、日本はドイツ軍の極東根拠地である中国の青島を攻略、ドイツ兵4700人は捕虜として日本へ送還され、各地の俘虜収容所へと振り分けられた。1917年、劣悪な久留米収容所で2年間を過ごしたドイツ人捕虜たちは、収容所の統合により徳島県鳴門市にある板東俘虜収容所に移送される。再び地獄の日々を覚悟していた彼らだったが、意外にも同収容所を監督する松江豊寿所長は、捕虜たちには人間的な生活が保障されなければならないとの考えの下、彼らに対して寛容な待遇で接するのだった。 感想: 戦争映画は、基本的にあまり見ないほうですが、”第九”の演奏と、W杯ドイツ大会のドイツ、、(笑)など、映画に関係ないけどなにやら惹かれて観ました。マツケンサンバは今でも耳に焼き付いてますが、作中、やっぱり松平さんは踊ってましたね。 冒頭の、大日本帝国時代の日本の軍人たちの、捕虜に対する非情な表情や言動に、”やっぱり、この時代の日本は嫌いだ。最悪だ。”と悲しくなりました。これも、日本の歴史の1ページ、目をそむけてはいけないケド、、見てるのは辛い気持ちになりました。 明治維新後、第一次大戦で勝利した日本。捕虜に対して 「敗けたのに、切腹も出来ず、生きながらえている弱虫ども!」 サムライ時代の価値観が、そんな形で戦争中に現われていたのでしょうか。坂東英ニさんの キンキン声&棒読みセリフ回しが妙に印象に残ってます。 対照的に、ウソのように捕虜たちに人間的に接する収容所所長・松江(松平建)に、 ”ホントに、人間的に捕虜を考えられる こんな日本軍人がいたのかな?”と信じられぬ思いでした。 ドイツのパン、音楽、体操、カメラ、、ドイツ文化の特徴や、捕虜のノビノビした生活ぶりが、あんまりリアルには感じられなかった。人物らの、内面をそれほど掘り下げて描かない手法のせいかもしれません。捕虜と村人、松平建とブルーノ・ガンツの高官同士、日本人とドイツ人の交流・友情、が焦点でしたね。しばしば そうしたこころの交流に涙ぐみました。 やがて 所長の生い立ちが明らかとなります。所長は、明治維新時、新政府に逆らった会津藩士に生まれた人物で、極寒の地に追いやられ苦労した経験がありました。その回想シーンは「北の零年」のワンシーンのよう。。 「捕虜たちも、祖国の為に戦ったのです」 時代劇の暴れん坊将軍が、軍服を着て髭が生えたのが、大写しになったみたい。 歴史上の人物を演じると、あんなふうな表情に、いつもなってしまうものなのかもしれませんね。。 ”『交響曲第九番 歓喜の歌』は日本に 最も愛されている曲です” 日本ではじめて演奏された”第九”。収容所主催のお祭りは、<日独の文化交流>博覧会でしたね。 この捕虜収容所での交流が、その後の日独の交流の起点になったのかもしれない、なんて感じさせます。 第一次大戦では敵だった相手と 次の大戦では同盟国となる。 しかも、ドイツはナチスの時代へといくわけで。。 この後の両国の歴史などに一切触れず、この収容所での話しにのみ終始。 見終わって、ちょっと物足らない気持ち、なりました。 強く感動したっという程ではないのですが、しばしば泣かされて、ジンワリと歴史を思う、、そんな映画でした。 <コメント> 松平健【松江豊寿】 ”私が演じる松江豊寿という捕虜収容所所長は、戦争によって生じた互いの心の傷・深まった溝を、偏見のない大きな愛で癒していく軍人です。骨のある健やかな精神を持ち、情け深い、本来の大和魂のもののふ武士のような人物を、力強さと、包容力で演じたいと思います。国境を越えた真の友情の灯がともった場所――心を硬くしていたドイツ人将校が、最後に板東捕虜収容所のことをこう讃えます。通い合った心の証しであるベートーベン第九が、この作品の終幕を盛り上げ、感動的にしてくれることでしょう。私自身、今から楽しみにしている場面でもあります。永年の気のおけないスタッフも多く参加してくれる今作品、携わる者すべてが、第九さながらの歓びを分かち合えるよう、取り組んでいく所存でございます。”
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最終更新日
2006年06月26日 18時31分48秒
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