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2010年05月14日
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カテゴリ:コラム
1932(昭和7)年5月14日の今日、「喜劇王」チャールズ・チャップリンが初来日した。


1889(明治22)年4月16日イギリスのロンドンで誕生。

両親はともにミュージック・ホールの歌手であったが、チャップリンが1歳のときに離婚。

母は女で一つでチャップリンと兄を育てた。

生活は貧乏のどん底だった。

そのためチャップリンと兄は孤児院や貧民院を転々とさせられた。

新聞やマーケットの売り子を経験し、ミュージック・ホールでパントマイム劇などを演じて一家の家計を支える。

10歳の時には木靴のダンスを専門とする一座に加わり、研鑽を積んだ。


1914(大正3)年 アメリカで映画デビュー 24歳。

1921(大正10)年 映画「キッド」 32歳。


その後も数々の作品を世に送り出した。


1931年 無償の愛を笑いと涙で描いた 「街の灯」

1936年 機械文明を批判した名作 「モダン・タイムス」 


そんな彼の側には何時も1人の日本人の姿があった。

秘書の高野虎市だ。

1916(大正5)年 チャップリンは高野を運転手として雇う。

チャップリンはとてもわがままな人だったが高野は全身全霊で尽くした、という。

チャップリンは高野を誰よりも深く信頼し、大豪邸を与えた。

そんなチャップリンは高野から日本の事を聞くにつれて、どんどん日本に興味を持ち憧れが強くなっていった。


そして今から78年前の今日チャールズ・チャップリンは初来日した

このとき43歳。

世界の喜劇王をひと目見ようと、およそ4万人のファンが押し寄せた。


その後も1936(昭和11)年2月・5月に来日。

1961(昭和36)年4度目の来日。72歳となっていた。これが最後の日本訪問となった。


1977(昭和52)年 永眠。 享年88歳。






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最終更新日  2010年05月14日 14時57分02秒
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