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何度か看護師さんが体温、血圧等を計りに来て下さる。 私は輝のベッドに頭を乗せて見る訳でもないテレビを小さな音量で付けてぼんやりとしていた。 10月18日、19時頃の事。回ってきた看護師さん「ねぇ、お母さん、この子いつもこんなに顔色悪い?」 私「はい、ここ何日かは…」 ハっ!と慌てた看護師さん、慌てて輝の脈を取ったかと思ったらナースコールを押して何かを叫んだ。 走ってきたのは当直の小児科医と看護師さん数人。素早い小児科医の行動、人工呼吸だった。 小児科医「少しの間呼吸が止まっていたようですが戻りました。念の為に人工呼吸器を付けますね」 私「はい…」???何が起こったのか理解できなかった。 生れた時から診てくれていた小児科医の医師もすぐに部屋に来てくれ、とても心配をしてくれていた。 少しの間、処置をするので病室から出て待っていてと言われ、私は出て行く。 広いロビーで暫く待ちながら輝の父親にメールで伝える。侍女にも伝える。 小児科医が今からCTを取りに行きますと伝えに来た頃、輝の父親が戻ってきてその後、大阪から侍女が来た。 超女は加古川に住んでいて姫路の高校に通っていたし、大したことではないと思ったので連絡をしなかった。 CTも終わり、病室に一旦戻る。担当の脳外科医が来たのは23時頃。顔面蒼白だった。 ヤバい・・・やってしまったかもって感じにも見て取れたかな。私的には。 脳外科医「明日の朝、一番でCTをもう一度撮った後にシャントチューブの再建手術をしましょう。その後は集中治療室に移動しますので準備をしておいて下さい」と。 病室内には心電図やレントゲンの機械、その他の点滴なども増やされていた。 10月19日、朝。 CTを撮る為にまた輝はベッドごと連れて行かれる。あれから目を覚ましていない。 輝だって眠れなかったんだから眠いんだろうって思ってた。集中治療室に移動する準備も出来ていたので荷物はまとめてあった。 なのに、何故?慌てた様子でベッドごと輝は個室の病室に戻ってきた。 脳外科医「途中でまた呼吸が止まりました!処置をしますので病室から出て下さい!」 何事?廊下にパイプ椅子が用意され、私達は3人で座って待っていた。 バタバタと病室内に何人の医師や看護師さんが入って行って出てきているのか数えきれない。 麻酔科医や色んな医師が急いで私に説明に来る。早口過ぎてわからない。インフォームド・コンセントも何もない。 こうしますね!いいですか?はい。では後でいいので書類にサインをしておいて下さいね!と何枚も渡される。 いくつもの医療機器が運ばれては廊下に置かれる、また中に入れられる。 小児科のピンクの大きなゴミ袋がいくつも廊下に並べられては持って行かれる。中で何が行われているのか全く不明。 何時間待った?やっと部屋に戻った時…部屋は医療機器はあるものの、片付けられていて、、、 輝、なんで勝手にオペされてるの?誰がシャントチューブ刺していいって言った?そんな同意書サインしてない。 ま、いいよね。これで落ち着いたのなら。そう思った。これからが正念場だわ、今回の入院は長引きそうだから何か食べないと。 私はスーパーに買い出しに行き、喫煙所で友達の1人に、こんな事があったとメールをした。 ケータイの電源を切り、部屋へ戻って3人で食事を摂っている。 常に医師と看護師さんは付いてくれている。食事中、また容体が急変して処置が始まる! 今度は部屋から出る。食事の続きはロビーで、なんて喉を通る訳なかった。数時間後、落ち着いてきた様子で器機等が運び出された後の事。 個室のカーテンの隙間からチラッと見えた脳外科医。恐らく看護師さんの1人に向かって話しかけている。 「しかし、これだけの点滴のポンプなぁ~」とニヤっと笑っていた。 小児科のシリンジポンプ式点滴では足りず、他病棟からも借りてきて9つベッドの足元にあったものの事。 他の器機にも使う為、延長コードだらけでもあった。 確かにそうなのかもね、こんなドラマ以上の現場は見た事もないし…でも医者が笑っちゃダメでしょ。 私がぼんやり見ていたら、慌ててカーテンを閉めた。あんたの顔、一生忘れないと思う、忘れたくても無理。 部屋に戻って暫くしたら、看護師長が来て「サイゴまでお願いしますってセンセイに言った?」って。 何の事?「言ってません」って言ったら、ちゃんと言いなさいって。意味がわからないし言わなかった。 その後、脳外科医にも「会わせたい人がいたら会わせてあげて下さい」って言われたけど、その意味も分からなかった。 誰にも知らせてない。友達がメールくれてたから返信する為に外に出て行った時に状況説明だけしただけ。 20時30分頃、小児科医2人のカンファレンス。現状の報告を聞く。 私「シャントチューブを抜かなかったら、こうならなかったんじゃないですか?」 医師達「違います。脳外科医のセンセイの説明を聞きますか?」 私「いいえ結構です。」 病室に戻ったら、脳外科医に「何か説明が必要でしたら・・・」と言われたけど断りました。 私の腕の中で小児科医の心肺蘇生が行われた時、脳外科医「帰って来い!」ってドラマみたいな事を言ってました。 その後、輝は目を覚ます事はなく私の腕の中で息を引き取りました。 は?死んでるの?身体がまだこんなに熱いのに人は死ぬの?死ぬみたいです。 普通、医療従事者は泣いてはいけないそうですが、生まれた時から診てくれていた小児科医や大勢の看護師さんが泣いてくれていました。 エンゼルケアを受けて、帰路に着く途中で輝は私の腕の中で死後硬直をはじめてしまった。 どうして霊柩車を呼ばなかったのだろう。 あの感覚が忘れられなくて、恐らく一生消えない程の傷を左腕に何度も何度も傷を付けてきた。 どうしてもっと医学の勉強をしなかったのだろう。 輝が亡くなってから必死で勉強をして、短期間で医療裁判の勉強もして医療過誤専門の弁護士が驚く程の資料を揃えるなんて遅すぎる。 どうして、あの脳外科医を信用してしまったのだろう。
10年。昨日で決別しようと思っていた。 大津赤十字病院とは示談が成立している。 あの脳外科医を刑事訴追するのは辞めようと決めていたはずなのに、検索窓に脳外科医と名前を入れたらトップに出てきた。 顔写真まで出して。 決めていた通りでいいのか。 あの人は、輝を死なせたけれど助けた命の方がはるかに多い。 証拠保全した資料は全て捨てたら、許す以外の方法は取れなくなるからそうしようか。 たぶん、私の中で答えはもう出ているんだろうけど。
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そんなことがあったのかみゃ。。。
(2015.10.20 17:04:19)
この風呂具も削除の日は近いな。
(2015.10.20 20:16:34)
ひかるちゃんにとって10月18日、19日って辛い日だったんだね。
10月18日が誕生日の私は何か不思議なものを感じたよ。 脳外科医もだけど看護師長も信じられない!! 上辺だけの治療に言動っていうか・・・ ひかるちゃん悔しいね。。(TwT。) (2015.10.21 01:02:55)
りらっさま~
その時は辛くなかったけど、お葬式が終わって誰もいなくなった後が辛かったかな。 医療ミスだと思ったから裁判をしようと思ったけど… 暫くは泣いているだけでPCや本で調べ物をしているかだった。 看護師長の言った言葉の意味がわかったのもあとからで・・・それでも輝の体重や年齢に耐えらない程の強いお薬を何度も投与してもらっていました。 「これ以上投与したら心臓に負担がかかってダメがもしれないけど点滴をしますか?」って何度も色んなお薬を投与してもらいました。 あたしは心臓に負担がかかって別の合併症が起こったとしても、例え一生目を覚まさなくても生きていてくれるのならそれでいいと思って同意書なしでお願いをしましたが、病院側からすれば家族には医療費負担がかからなく高額な点数稼ぎをできるんだから、亡くなるまでの間いくらでもって感じだったんでしょうね・・・? その事は済んだ話なのでいいのだけど、その話を後で知人にしたら「出来レースやったんやな」って・・・ 確かにそうだったのかも知れません。 ご自身もお子さんがいらっしゃる方なのに、人の子の死を「出来レース」だなんてね。 世の中、色んな方がいるもんですね。 脳外科医は輝が亡くなってすぐに他の病院に移りました。 ですから医療裁判上、病院と示談しただけで脳外科医には何のお咎めもなかったんです。 医療訴訟をするに至るまで、何人もの弁護士に相談している間、この事件は民事の医療訴訟ではなく刑事事件としても十分立件できると言われたので、示談成立後、色々と法律を調べて出来る事は刑事訴追だけでした。 結果はどうなるにせよ、警察に行って時間をかけて手続きをして裁判所に出向く事になれば、あたしはまた同じように思い出すんだろうと思います。 このスパイラルから抜け出さなくてはいけないと思っています。 医療現場というものは、ドラマ以上の事が繰り広げられているというものを知りました。 “白い巨塔”に出てきたような証拠保全が行われていました。 弁護士が何人も助手を従えてコピー機も持参してきて、示談成立後はたくさんの資料とレントゲンやCTなどのフィルムを返してもらいました。 1年2ヶ月だったけど、それが輝の天寿だったのだと思います。 >ひかるちゃんにとって10月18日、19日って辛い日だったんだね。 > >10月18日が誕生日の私は何か不思議なものを感じたよ。 > >脳外科医もだけど看護師長も信じられない!! >上辺だけの治療に言動っていうか・・・ >ひかるちゃん悔しいね。。(TwT。) > ----- (2015.10.22 03:29:27)
今日の夕方、一度ここに来て
ひかるちゃんのお返事読んだのね。 涙が止まらなくなってどうにもならなくなって 読み逃げのような形で帰ってしまった。 ごめんね。 脳外科医って同じ系列の病院に移ったのかしら? その医師をかばって逃すような形で 最後には何のお咎めもなしって納得いかないよね。 (2015.10.23 01:20:53)
りらっさま~
その脳外科医はたくさんある赤十字病院とは全く別の系列の病院にいました。 県立病院の脳外科医として勤務をしていました。 あたし、その病院に確かめに行きました。 外来の日を調べて、終わる頃に待合いで座って見ていましたが間違いありませんでした。 日赤辞めて公務員か・・・日赤に言われて依願退職という形だったんでしょうね。 その後、研究施設のようなところで働いていましたが今は大きな総合病院にいるようです。 京都大学医学部卒業でそれなりのキャリアを積んでお咎めもなく転院を繰り返し、脳外科の色んな専門分野の学会にも所属しているようです。 『神の手』は持ち合わせているかどうかわかりません。 シャントチューブを抜く前に造影剤検査を怠った事、チューブを抜いた後の処理も適切ではなかった事。 親としては“ただれば”ですが、医師としてはそれで済まされる問題ではなかったのではないかと思います。 果たして、自分の家族にも同じ診断と処置を行ったかと考えると、絶対にしなかったと思います。 然しながら、医師はボランティアでしているわけではなく職業として収入を得てしている訳ですからそこも然り。 敢えて付けたしますが滋賀県の弁護士で請け負ってくれる人も居らず、京都、兵庫と探し、やっと請け負ってくれた医療裁判専門の弁護士も最終的には赤十字病院に寝返ったのです。 ギリギリまで引き延ばし、裁判に証言をしてくれる医師を探すのに最低でも200万円~300万円は必要だと言われました。 当時1歳2ヶ月の子供が亡くなった場合の賠償額の相場は1,800万円でした。 これから新たに別の弁護士を探すにも時間がなく、日赤からの示談金は1,500万円でしたので示談をする他方法がありませんでした。 唯一出した条件が「謝ってほしい」だったのですが… 示談成立後、数ヶ月待っても謝ってくれる事はなかったので問い合わせたところ、示談書に“陳謝する”と書いてある事が謝罪だと弁護士に言われました。 確かに書いてありました。そういうものみたいです。 医療裁判というのは「専門性の壁」「密室性の壁」「封建性の壁」という大きな壁に阻まれてとても難しいものです。 弁護士を弁護過誤で訴える事も考えましたが、その時のあたしにはもうその気力はありませんでした。 花岡青洲という医師がいなければ、輝も1歳2ヶ月まで生きる事はなかったかも知れません。 >今日の夕方、一度ここに来て >ひかるちゃんのお返事読んだのね。 >涙が止まらなくなってどうにもならなくなって >読み逃げのような形で帰ってしまった。 >ごめんね。 > >脳外科医って同じ系列の病院に移ったのかしら? >その医師をかばって逃すような形で >最後には何のお咎めもなしって納得いかないよね。 > > ----- (2015.10.23 08:48:11)
初めまして、ミャオ嬢様からのご紹介で訪問させていただきました。
本当にお辛いことでしたね。同じ医療従事者として何と申し上げてよいか、、、。 私はもう還暦になり、あと数年の現役生活しか残っていませんが、「様子を見てください」に付け加えて、緊急性のある症状はどんなことか説明して、少しでも気になるようなことがあるときには電話で相談したり救急車で受診するようにお話しています。 この記事を読ませていただいて、それだけでは不十分でなぜその症状が緊急性があるかを説明して、自分の名前をサインしてその症状を記録して渡すことが大切だと思いました。 大切な家族に対して親御さんの観察力は鋭く、気になることはやっぱり大事な兆候であることが多いです。 医学は非常に難しく、なかなか医師の話す言葉をわかることは難しいですね。しかも、それがご自分のお子様にどういう意味があるかをわかるためには、医師の説明について理解できたか、不明な点はないか、さらに疑問に感じたことはないかなど確認して説明を詳しくしたり、医師との面談の機会を持つように調整するようにするのが看護師の役割でもあります。 自分の病気だって、私はいくつもの病気の内服治療していますが、たった15分とか30分の説明を100%理解するのは難しいです。 思い出すだけでもお辛い出来事をブログに書いていただきありがとうございました。 私は何もして差し上げることはできませんが、患者さんやそのご家族が少しでも不安をなくせるように努力していきたいと痛切に思いました。 (2015.11.03 04:53:07)
アメキヨさん
看護師さんなんですね。 立派なご職業だと尊敬しています。 私自身、子供の頃から何度も入院をしてきましたのでとてもお世話になりました。 今年の2月に骨折をしたので今年は2回入院をし、約4年前には巻き爪手術で全身麻酔も受けました。 それ以外にも何度も入院をしています。 皆さん、とても良くして下さいましたので感謝をしております。 自分自身の入院や手術は誰にも言わなかったりするのですが、輝の事があってから、友人の手術などには付き添い家族でもないのにカンファレンスルームに一緒に入り医師の説明は全てボイスレコーダーで録音をしていました。 病室での些細な説明も1人で聞かないようにと必ず付き添って説明を一緒に聞いていました。 もう同じ後悔は繰り返したくなかったんです。 私はいま心療内科、整形外科、皮膚科、耳鼻科と通っていますが今まで色んな医師に会ってきました。 ただ医師免許を持っているだけの最低な人格を持ち合わせている人もいました。 資格を持っているだけでは、私は先生とは呼ばない事にしています・・・ >初めまして、ミャオ嬢様からのご紹介で訪問させていただきました。 > >本当にお辛いことでしたね。同じ医療従事者として何と申し上げてよいか、、、。 >私はもう還暦になり、あと数年の現役生活しか残っていませんが、「様子を見てください」に付け加えて、緊急性のある症状はどんなことか説明して、少しでも気になるようなことがあるときには電話で相談したり救急車で受診するようにお話しています。 > >この記事を読ませていただいて、それだけでは不十分でなぜその症状が緊急性があるかを説明して、自分の名前をサインしてその症状を記録して渡すことが大切だと思いました。 > >大切な家族に対して親御さんの観察力は鋭く、気になることはやっぱり大事な兆候であることが多いです。 > >医学は非常に難しく、なかなか医師の話す言葉をわかることは難しいですね。しかも、それがご自分のお子様にどういう意味があるかをわかるためには、医師の説明について理解できたか、不明な点はないか、さらに疑問に感じたことはないかなど確認して説明を詳しくしたり、医師との面談の機会を持つように調整するようにするのが看護師の役割でもあります。 > >自分の病気だって、私はいくつもの病気の内服治療していますが、たった15分とか30分の説明を100%理解するのは難しいです。 > >思い出すだけでもお辛い出来事をブログに書いていただきありがとうございました。 > >私は何もして差し上げることはできませんが、患者さんやそのご家族が少しでも不安をなくせるように努力していきたいと痛切に思いました。 ----- (2015.11.04 12:59:25)
ブログを読ませていただきました
私も水頭症の子を持つ親です 生まれてすぐにシャント手術をして、今は5歳になりますが感染症や器具の不具合などで2回の再建手術をして来ました 主治医は信頼できる人ですがこちらも病院までは車で片道1時間半以上の県外なので大変です やはり何かあった時は様子を見ろと言われ近くの病院をたらい回しにされ結局は主治医の病院へ、ということもありました 大学病院の為、研修医が関わることもあり腕に要らぬ傷跡をつけられたこともあります ミスかどうかは分かりませんが納得いかないようなこともあります このブログを読んで次に何かあった時はしっかり記録しておこうと思いました お子さんを亡くされたあとも必死で戦っている姿、感動しました ありがとうございました (2018.06.14 00:01:27) |