お気楽と心配性-男親・女親-
ウェブサイトの人生相談を観ていると、平気で支援・介護を求める男の子を持つ親と老後娘に心配をかけまいと自立・自助に心を砕く女の子を持つ女親の対比が珍しくない。
結婚は若い男女が新しい家族となり新家庭を築くこと、さらには親の支援・介護は実子の務めと法が変わって60年を越えても、いまだ旧態依然の家の考えから脱出出来ない人たちが少なくないことが驚きである。
年金生活者の生活が、その子供たちよりも豊かな生活をしていることは間々あり得る現実の中で、家のローンを息子世帯に求める理不尽も散見される。
意識の違いが、想像を超えている。
戸籍筆頭者となっただけで、嫁を貰った感覚。
筆者にはあり得ぬことなのだが、それを是認しかつ良い嫁を演ずる若い女性の存在も信じがたいがあることを認めざるを得ない。
キーは男、父親であり若い家庭の夫である。
いわゆる戦後教育を受けながらの無知蒙昧には、教育の無力に失望させられる。
先のブログ「精神格差婚-男親・女親-」は、息子母親と娘母親の確執に困惑する赤岩氏の独白である。
息子の才覚あるいは、嫁である義娘の専らの希望であげた式・披露宴を邪気なく楽しんだ新郎の母親に対し、娘を新しい家庭に送り出した新婦の母親が感じる想いに同情させられる。
新婦のご両親は、娘の入籍に対し数十万の祝いをし、更に式・披露宴に際しては倍する祝いを重ねてされたという。
一方、新郎の親は、入籍に際し些少の祝いを包んだが、式・披露宴での祝いは、既に済ませた形にしたという。
金の使い方はそれぞれであるし、使わぬことがその後こども世帯に苦労をかけない礎かも知れないが、寄進もなく振舞い酒に酔いしれる無作法に驚きと落胆を感じたようだ。
今ひとつ、新婦の母親、赤岩婦人の心配は新郎が次男で、先様の長男と親の関係が上手く行ってないことのようだ。
次男の長男教こそ最悪である。
ベンチ・ウォーマーの控え選手が突然4番を任される、次男の長男教があるからである。
『やることもやらないで』の次男世帯への依存こそが、赤岩婦人の唾棄する恐れなのである。