カテゴリ:郷土の歴史
太平洋の荒波を乗り越え無事役目を終えた咸臨丸はその後 どうしたのだろう・・・ これも想像と史実で追いかけてみよう 慶応二年(1866)海防の強化と開拓のため 咸臨丸は小笠原諸島に 派遣された なにしろ、長さ五十メートル 幅七メートル強の小さな軍艦 それでいて太平洋を往復した咸臨丸。損傷が激しいため 蒸気機関を外され純帆船となり輸送に従事した 海舟はこの事に落胆した 「小なりとはいえ、軍艦に違いねえ なんてこった」・・・と この頃になると大きな軍艦が建造、購入されていた時期なので 仕方なかったのでしょう ※この年は竜馬っちゃ!が伏見奉行所の捕手に襲撃され 危うく命を落とすところを、お龍が助けた年でもありました 慶応四年1867)八月十九日幕府軍の輸送船として播竜丸に 曳航され江戸湾を出たが、途中房総沖で嵐に遭い、漂流しながら 駿河の清水港に入港した 播竜丸は修復した後、清水を出航したが咸臨丸は九月十八日 官軍の富士山丸や武蔵丸、飛竜丸などの攻撃を受けた 白旗をあげて降伏しようとしたが願い届かず多くの 乗組員が殺害された この様子を傍らで見ていた威勢のいい若者が・・・ この続きは次回(最終回)で・・・ ここまでの分はこちらに纏めています。時間があったらお立ち寄り下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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