カテゴリ:井深大 語録
トリニトロン悲話
カラーTVの主流はシャドウマスクという方式だった ところがこの方式は美しい色が再現できない 色づれが起こるという欠点があった 昭和三十年代半ばソニーはクロマトロンという方式に こだわり続けていた ところがこのクロマトロンは不良が多く 高電圧の絶縁が難儀だった ほんの少しばかり市場に出しても クレームだらけ クロマトロンは苦労マトロンと蔑まれた 窮地に追い込まれた井深は「もう一度シャドウマスクを考えないか」 と弱音を吐いたことがある そのうちシャドウマスクも性能が向上しはじめ クロマトロンは最大のピンチを迎えた そのころ開発責任者の吉田はワンガン三ビームの 調査結果を現場に流したが冷ややかな反応だった それでも現場をくどき渋々実験させたところ 意に反してフォーカスがピッタリ合った その後アパチャーグリルを開発し改良を重ねた 昭和四十二年十月ついに一台のトリニトロンTV が完成した 井深は皆良くやった。有難うというだけで 後は言葉にならなかった 一年後、苦労を重ねたトリニトロンはデビューした 苦労マトロンという言葉はすでに過去のものとなった それから約四十年 ついに世の中のTVはブラウン管を液晶やプラズマなど 薄型TVが逆転してしまった 指導者を失ったソニーは混乱し いまだに電機部門は赤字 ブラビアが売れ始めたとはいえ 特徴のない会社になってしまった お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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