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終戦記念日という事で。
勝手にリンクしていいのかな。 ハルノートで検索したら一番わかりやすそうだったので、勝手に貼りつけてしまいました。 日本が勝ち目のあまり無さそな戦争をどうしておっぱじめたのか、興味のある方はどうぞ。 開戦以外に日本存続への道があったのか。 ハルノート突きつけられる前の日本側の提案した条件を見ると、なんか泣けてきます(泣かないけど)。 植民地時代の当時、同じアジアの国々はあっちゃこっちゃ列強に取られ、その中で小国日本がアップアップしながらなんとか独立を守ろうとして頑張っていた中でのハルノートです。 いかに列強が日本を封鎖して追い詰めたがっていたか。 鬼のようなハルノート。 第一次世界大戦後、返しきれるはずのない巨額な補償金を課されて経済的に追い詰められ後にも先にも引けなくなってブチ切れてなんとも気だけは強そうなちょびひげオヤジが台頭してしまったドイツ。 列強の脅威にさらされながらも必死で独立を守ろうとしていた日本をあの手この手で追い詰めた欧米諸国。 ドイツや日本は、本当に戦争したがっていたのでしょうか。。。 本格的に勝ち目が無くなってきたのに、それでも戦い続けて特攻攻撃まで始めた日本。 どうしてそんな事する前にとっとと降伏しちゃわなかったのでしょうか。 敗けはもう確実だ。 でも、少しでもマシな条件で敗けられるように、戦っているのだ。 どこかで聞いた(か読んだ)、ある特攻隊員の言葉です。 無条件降伏。 と学校で習った気がするけど、実際はポツダム宣言受諾。 ポツダム宣言の条件下での降伏だったとの事です。 無条件、というのは、前線の兵力の無条件撤退、という事なのだそうです。 少しでもマシな条件で敗けられるように。 先の特攻隊員の言葉が胸に沁みます。 せめて原爆落とされる前に降伏出来なかったのか、、、 でもそれは今だから言える事。。。。 なんて事を思いながら、今更手に入れたi podにいっぱいダウンロードして聞きながらネットしていたら夜中になってしまったよ。。。寝ます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ミクシィでは、昨日・今日とこの問題関連で、たくさんの方々と意見交換することができました。
中で、私の知人の方が、このようなことをおっしゃってました。 ******* 今日は、日本が独立した日ですね。 中国の属国状態になって長い年月が過ぎましたが、ようやくでした。 靖国に眠る英雄の魂が守ってくれたのでしょう。 戦争は出来ればしないのがよいのですが、この前の戦争は、せざるを得なかった戦争ですな。 アメリカがどうしてもしたかったのですし、スターリンがどうしても戦争を欲していたのです。 弱小国は、いつの時代でも平和を求めることはできません。大国が攻めてくれば、それでおしまいです。 最近、ソ連が過去の文書を公表しつつあり、それによれば、スターリンの戦略は、日本軍をシナに呼び込み、国民党政府軍と戦わせるよう支持していたようです。 そのために尾崎ホツミを総理の特別顧問に送り込んでいたのです。 そしてアメリカにも手先をとしてホワイトを送り込み、対日宣戦布告書ともいうべき文書を書かせて、日本に送りつけたわけですな。 大きな国は戦争と平和の選択が出来るが、小国はその選択が出来ないのは常識です。 (以下略) ******* 特攻隊員の方々は、真剣に命をかけて願っていたはずです。 子孫たちを、むざむざと最悪の条件の世界へ追いやりたくはない、と。 学校では教わらなかった情報を知れば知るほど、知らないことがまた一つ、と増えていく気がする今日この頃です。 (ところで、あきゃんさんミクシィまだでしたら、メール送りましょうか^^) (2006年08月16日 12時03分39秒)
>少しでもマシな条件で敗けられるように。
そうです。勝ち目の無い戦争であれば、なるべく有利な条件で負けるために戦うべきなんです。 良い講和条約を結ぶために一定の戦果が必要であると。そこから逆算して戦略を考えるべきでは無かったか。 そういう発想が旧日本軍首脳部に果たしてあったのか。ちょっと疑問に感じます。 戦後の自虐史観教育のせいで「あの戦争は悪い戦争だった」「私達は過ちを繰り返してはなりません」的な思考停止が蔓延しました。 しかし本当は、戦争に至った経緯やあの戦争の意義や、より良い戦いが出来なかったどうか、何が間違っていたか、など本当に反省し考えなくてはいけない事が沢山あるのだと思います。 (2006年08月16日 16時12分51秒)
時田さくらさんへ
人気取りだの何だの言われていますが首相の動機がどうであれ、お隣の批判を押しのけて、して当然の事をようやくしてくれてちょいと嬉しかったです。見ながら、「中国、韓国!さ、どうします?しちゃいましたよ?」とワクワクしてしまいました。 今後隣国にとって靖国が外交カードとして効力を失っていくといいなぁ、と思っていますが、次の首相はどうするんでしょうね。 続けていかないと、また属国に逆戻り、、、? >弱小国は、いつの時代でも平和を求めることはできません。大国が攻めてくれば、それでおしまいです。 アメリカのうまいところは、あくまで日本が始めたように仕掛けを作ったところでしょうか。。真珠湾然り。 攻めて来たからというよりはこっちから仕掛けたようなシナリオだし。 >大きな国は戦争と平和の選択が出来るが、小国はその選択が出来ないのは常識です。 今世界を見回しても状況は同じですね、、、。 >特攻隊員の方々は、真剣に命をかけて願っていたはずです。 >子孫たちを、むざむざと最悪の条件の世界へ追いやりたくはない、と。 >学校では教わらなかった情報を知れば知るほど、知らないことがまた一つ、と増えていく気がする今日この頃です。 全く同感です。。。 (2006年08月17日 02時26分02秒)
探偵野原さんへ
>そういう発想が旧日本軍首脳部に果たしてあったのか。ちょっと疑問に感じます。 確かにそうですね。 もちろん軍内部にそういう発想を持っていた人もいたんじゃないかと思うんだけど、敗戦間際の日本軍首脳部には、それらを取りまとめる能力みたいなものがちゃんと機能していたのかなあ、、と思います、、、。 それに、敗戦間際はともかく、開戦した時はどんなに状況が悪くとも「戦うからには勝つ」という気概で始めたんでしょうしね。 敗けから逆算して戦い始めたとは思えないもんな、、 でも、そうするべきだったんでしょうかね、、、 >戦後の自虐史観教育のせいで「あの戦争は悪い戦争だった」「私達は過ちを繰り返してはなりません」的な思考停止が蔓延しました。 しかし本当は、戦争に至った経緯やあの戦争の意義や、より良い戦いが出来なかったどうか、何が間違っていたか、など本当に反省し考えなくてはいけない事が沢山あるのだと思います。 ほんとそうですね~ 「悲惨な戦争だった。」「私たちが悪かった。」で全て完結してしまっていて、本当の意味で(探偵さんがおっしゃってるような意味で)「どうしたらこの過ちを繰り返さないように出来るのか」の検証や議論は全く為されていないし、そんな議論すら出来るような場も雰囲気も無いように見えます。 探偵さんのコメント、なんか、いろいろ考えさせられました、、、 (2006年08月17日 02時46分28秒) |