生まれてから小中学時代

1971年この世に生まれる 普通に地元の小中学校へ通う

父は鉄工場を営んでおり、俗に言う「職人気質」丸出しの人でした。
朝は早くから家を出て夕飯時に帰ってくると毎日お酒を飲んで大暴れ。
玄関が『ガラ!』っと開くと『ビク!!』って感じでした。
それからすごい女好きでした。(よくお母さんが我慢していたと思う)
まあ・・会社を上手く切り盛りできるくらい人には女の一人や二人囲えるくらいじゃあないと・・なんて勝手に(私が)判断していましたが・・。

母は美容院を営んでいます。よくお店に行って「お金ちょ~だい」と言うと鬼のような顔で裏(自宅の方)へ連れて行き「お客さんがいるのに・・・・(ブツブツ)」と叱られました。私の印象としては『ヒステリック・世間体を気にする(店があるから当たり前かもしれませんが)』って感じでした。

妹(2歳年下)はのんびりやでお姉ちゃん(私)大好きっ子でした。(私は嫌いでした)学校で「あ!○○のお姉ちゃん!!」と指を指されるのが大嫌いでした。よく喧嘩すると近所中聞こえるような大きな声で泣き叫ぶのでいつも親に私が叱られていたような気がします。だから喧嘩の仕方も(声を出されないように)工夫したっけなあ・・。

母の実家が田舎で木工を営んでいて、私は小学校の頃から毎週のように電車とバスに乗って泊まりに行っていました。従兄弟のお兄ちゃん達と山中駆け巡って遊んだり、木っ端で船とかを作って川で遊んだり・・楽しかったなあ。

保育園の頃父と母が別居して母の実家の近くの一軒家で父と離れて暮らした時期がありました。子供ながら怖い父がいなくて楽しかった。(これははっきり覚えています)
それよりもっと小さい頃に母の実家に私達だけを預けた事もあったようです。(おばあちゃんから聞いた)「いつおかあさん帰ってくるの?」と泣いて困ったって。

私が小3の頃母が精神病で入院しました。たぶん原因は父。この頃親がいないので家の手伝いなんかせず、母のお見舞いすらロクに行かず遊び呆けていました。退院の日にあわてて家のポストに手紙を入れたりして・・。

父と母の喧嘩は良くありました。母に「別れるけど(父と母と)どっちにする?」と聞かれ妹が母を選ぶのを分かっていたので父・・・でもなあ・・小6の時には「どっちにも行かないからお金頂戴」と言ったのを覚えています。(そう言われて母も思い止まったらしい)

小4から冬でも半袖半ズボンで過ごしていました。男の子と間違えられるような活発で元気で色気づくのも遅かったように思います。

中学では剣道を始めました。どちらかと言うとまじめで正義感が強い性格でした。でも何でだか目だったようで「番長」とあだ名(小学校の頃)を付けられ中学になってそれが気に入らなかったのか一つ上の女子にいじめられた事もありましたが・・負けませんでしたがね。


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